春らしくなってきました

4月7日、今日は天気が良く、庭の花も春らしくなってきました。クリックすると拡大画面を表示します。

 

義母の看病ー花のタネ撒き

昨年暮れ、義母が体調を崩し市立病院に入院しました。
「正月には帰ってくるだろうか」と妻と話していましたが、予想外に悪化。
3か月過ぎた現在も入院したままです。

義母は10年以上前に心臓を悪くして緊急入院したのですが、このとき腎臓も悪くして、高齢(95歳)ですから、一度体調を悪くすると回復力もないので、なかなか元に戻りません。

総合病院では3か月入院すると追い出されるようで、
転院のために介護認定を受けて(最上位の要介護認定のようです)、転院の準備もできているのですが、ここにきて、何かの感染症で微熱があるようで、転院もできない状態です。

3か月間毎日、昼食に合わせて、妻と私が病院に出かけて、細々を世話をしていたのですが(私はただの運転手です)、どうやらこの病院にコロナ感染者が入院しているらしく、先週から家族の面会もできないくなりました。

私たち自身も高齢だし、私は慢性呼吸器疾患を抱えていますので、
「病院には行きたくないな。コロナウィルスに感染したら、一巻の終わりだな」と思っています。

 

読みかけの本が数冊あります。

国際法や興味があったが読む機会がなかった本です。
早く読み終えたいのですが、纏まった時間が取りにくく、中途半端なままです。

 

少し前、梅とリンゴが花を付けていた時期には、メジロが来て花をついばんでいたのですが、今は代わりに毎日鶯が鳴いています。
家は川のそばに建っているのですが、鶯は基本向こう岸にいて、なかなかこちらに来てくれません。鶯はメジロに比べると警戒心が強く、一度も姿を見たことがなかったのですが、一昨日初めて我が家のつつじの木の枝を飛び回って遊んでいたのを見ることができました。

庭には恐らく10種以上の鳥が現れていると思います。
鳥のえさをトレーにまいて、庭に置いているのですが、気づいてくれません。
巣箱を注文したので、適当なところに取り付けようと思っています。何かの鳥が住み着いてくれないかなと期待しています。

 

暖かくなってきたので、花のタネをポットに撒いて、苗を育てています。
ペチュニア、ベゴニア、マリーゴールド、カスミソウ、スイートピー、ナデシコ、カーネーション等です。多分500株以上になると思います。

根っこが地中深く枝別れせず伸びていくいわゆる直根性の植物(コキア、スィートピー、ゴデチャ等)は植え替えを嫌います。
ピートモスでできた種まき用のポット(ジフィーポット)が市販されていて、この中に種を撒いて苗が育ったら、そのまま地中に植えてしまえが、根を痛めることなく、地植えができるようですので、今年はコキア等にこのジフィーポットを使ってみたいと思います。

今大半のタネはやっと葉っぱが出てきた程度ですが、少し前に撒いたカンパニュラは苗として成長してきたので、庭に移植しました。葉が元気になっています。

 

今庭で咲いている花は、レンゲ、チューリップ、芝桜、アネモネ、ヒヤシンスが中心です。八重桜の蕾が少し膨らんできました。

 

スイートピーのために昨日庭を耕しました。
スイートピーは直根性で移植を嫌うようです。葉っぱが2、3枚出てきましたので、できるだけ早く地植えしようと思います。

他の花も苗がもう少し大きくなって、茎がしっかりして根が張ってきたら早めに地植えしようと思います。

 

4月になったら、昨年失敗したコキアに再挑戦したいと思います。
直接地植えとジフィーポットと大きめのプラスチックポットに種を撒いて移植する方法を試してみようと思っています。

 

よさそうな朝顔の種を購入しましたので、今年は多めにプランターに直播したいと思います。
そのほかに朝顔のタネを1500粒買ったので、フェンスに可能な限り広範囲に植えようと思います(まだ届いていません。こんなにたくさん使いきれないでしょう)。

昨年レンゲと同時期菜の花も撒いたのですが、見たこともない矮性で、そのうち大きくなるのだと信じていたら、種を付けて終わるようです。
レンゲが終わったら、コスモスやひまわりを沢山植えようと思っています。

庭の土を余すところなく花で埋め尽くそうと構想しています。

春の先駆け

2月15日、白梅にメジロがやってきて、花をついばんでいました。パチリ。

白梅にメジロがやってきて、花をついばんでいました

 

3月5日、寒くなる前に撒いた種や球根から、芽や花が出てきました。
色々な花のタネを買ったので、暖かい日にポットに撒いて、苗を作りたいと思います。クリックすると拡大します。

ウェストファリア体制 3

本書はウェストファリア体制およびグロティウスについて色々語っていますが、グロティウスの理論・思想がこの条約あるいは体制に具体的にどのように影響したのか、あるいは採用されたのかさっぱり分かりません。
ただ、以下のようなグロティウスの主張は合意されたのだと理解します。

 

グロティウスは戦争の「善悪」を議論したのではなく、戦争のルールを議論しているのだと、著者が何度も強調しています。

グロティウスの「戦争と平和の法」は大著で日本語訳版は入手し難い一方、英語版は比較的安価ですが、わざわざ買って読む気力がないので、この本については孫引きのような議論しかできません。

グロティウスの考えでは、戦争に善悪を持ち出すから、悪魔=異端は殲滅するしかないことになり、殺戮が度を超すことになる。戦争は善悪を決するところではなく、「主権国家による決闘である」と考えよう、そうすればある時点で戦争は終了できるし、悲惨な戦争を避けることができる。
というのがグロティウスの主張の核心部分のようです。

ここで「主権国家」が重要で、主権国家の体をなさない国にはこのルールは適応できない。主権国家でなければ、主権国家の「餌」になるしかない、植民地化されて当然だとさえ、筆者はいいます。

ウェストファリア条約は、ヨーロッパの白人社会だけで適応された条約だが、1907年日本が日露戦争に勝ち、日仏、日ロ、英ロ協商が締結され、日本が国際社会で主権国家として認められたことが、逆に言えばウェストファリア条約を世界基準・国際基準にしたと、著者は主張します。

但し、ウェストファリア条約が締結されたからと言って、世界から戦争がなくなったわけではなく、決闘としての戦争ばかりではなかったのです。

更に、米ウィルソン大統領は1918年14箇条宣言で絶対的正義を持ち出し、ウェストファリア条約の精神をぶち壊したと非難します。

 

筆者は一体何が言いたいのか私には分かりません。

ウェストファリア条約は一時期一定の効果を持ってのでしょう。しかし、だから筆者は世の中をウェストファリア体制にしろと言っているのでしょうか。それが現実的なのでしょうか。理論や思想は現実に向き合うものだと思います。できもしないことを理想とするのは全くの空論です。
また、ウェストファリア条約は万全ではなく、その後も戦争は続いているし、「主権国家」として体をないしていない国もあるのでしょう。植民地に甘んじろといっているのでしょうか。

この機会に「国際法」あるいは国際政治を勉強したいと思います。

 

追。
今回大急ぎて世界史を勉強しました。高校では世界史を選択したのですが、完全に忘れています。
手っ取り早い勉強の方法がありました。YouTubeのトライの世界史講座は1講座15分程度、約300講座あって、これをメモを取りながら、再生スピードを1.5倍にして聞くととても効率的です。

ウェストファリア体制 2

前回ご紹介した倉山満著「ウェストファリア体制」 について最初にお断りしますが、私はこの本の語り口は大嫌いです。

「本」は冷静に議論しなければいけないのに、この本は端から端まで煽り運転です。

例えば、「はしがき」で「日本人の全人類に対する罪」と題して、
「甚だしい勘違いが蔓延しています。『古い時代よりも新しい時代の方が文明的である』との思い込みです」という。
それについて、著者なりの理屈をつけていて、その理由付けそのものには反対しないが、物事は他の視点からの考察も必要なのであって、それだけでの断定は全く説得力がないのです。

このような断定が至るところにあって、更に悪いことには、著者はいったい何が言いたいのか、よくわかりません。とにかく騒々しく叫び続けます。

最初にウェストファリア条約が締結された時代背景・いきさつを書かなければいけませんが、本書では何が何だかわからないので、WEBをあちこち調べてまとめてみました。

 

ドイツの北に位置するネーデルランドは当時スペイン・ハプスブルク家の領地でしたが、キリスト教新教を信じる北部が1588年事実上独立し、1648年ウェストファリア条約が締結された時、正式に独立が認められます(当地の首都ホランドから日本ではネーデルランドのことをオランダといっています)。

日本で秀吉が信長の後継者の地位を切り取ろうとしていた頃、後に「国際法の父」といわれるフーゴー・グロティウスはオランダの名門の家に生まれます(1583年)。
グロティウスは幼少から神童といわれ、8歳でラテン語の詩を作り、11歳で名門大学に入学、14歳で卒業、15歳でオランダ使節団の一員としてフランス宮廷に赴いたとき仏国王アンリ四世は彼を「オランダの奇跡」と讃えたといいます。16歳で弁護士事務所を開設、総統クラスの弁護をするなど、10代で既にオランダを代表する知識人だったといいます。

しかし、順風満帆だった人生の歯車が35歳のとき突然狂いだします。宗教論争に巻き込まれ、終身刑を言い渡されて投獄されます。が、37歳の時大きな本箱に隠れて脱獄(最近似たような話がありました。こちらは楽器ケースでした)、フランスに亡命します。

フランスでの不遇の亡命生活の中で、1631年「戦争と平和の法」を出版、ローマ教皇庁からは禁書指定を受けますが、本書は市井では根強い支持を得ていきます。

フランスで亡命生活をしていたグロティウスは30年戦争に介入したスウェーデンから要請を受け、1634年駐仏スウェーデン大使に就任しています。

 

16世紀カトリック教会の腐敗を批判して新教が興り、信仰の対立が原因で各地に戦争が勃発します。

神聖ローマ帝国内で新教が勢力をのばすと、国内の諸侯は敵味方に分かれて内戦がおこります(1618~1623)。これに続いて新教のデンマークが介入(1625~1629)、続いて同じくスウェーデンが介入(1630~1635)、最後にカトリック教の国フランスが介入(1635~1648)し泥沼の殺戮を展開します。

この戦争はとても悲惨で、ドイツ中央部の人口1700万人が700万人にまでなったといいます。
悲惨だった理由は、ルールなき殲滅戦だったからです。異端は人間とはみなさないので、殺すのに何のためらいもないばかりか、単に殺すだけでなく、苦しめて殺すのが当然になっていたといいます。

 

そのような30年に及ぶ殺し合いの果てに、さすがに厭戦気分が高まり、ドイツ北部のウェストファーレン州で、戦争にかかわった146の地域・国が使節を送り、4年に亘って停戦交渉をし、1648年ウェストファリア条約が締結されます。これは世界史的に画期的なことであったといいます。

この会議で決められた内容は膨大なようですが、大きくは次の点だと言われています(WEBのコピペです)。

・ 世界で初めての「国際会議」であり、初めて結ばれた「国際法」であった。
・ 宗教について新教徒(プロテスタント)を認めた(即「信教の自由」ではない)。
・ ドイツ地方は解体され、それは「領邦国家」としての「国家」を定義したこととなった。
・ 「国家」を定義し、その「国家」の単位で国と国との政治を進めるという基礎が出来た。

目に見えてはっきりしたことは、神聖ローマ帝国国内の300におよぶ諸侯が主権国家(戦国大名に近いのでしょうか)として独立した。それだけでなく神聖ローマ帝国の領土はフランスやスウェーデン等に割譲され、神聖ローマ帝国は壊滅したということのようです。

この会議は世界で初めての代理全権大使による国際会議であり、締結された内容は世界初の国際法と言われるもので、グロティウスの思想が大きく貢献したといいます(残念なことにグロティウス自身は1645年海難事故で亡くなっています)。