吉川英治「新・平家物語」

吉川英治「新・平家物語」が長いので、辟易しながら現在三分の一ほど読みました。

保元平治の乱、鹿ケ谷の陰謀の話が終わって、ばらばらになった源氏が義経を中心に集まってきたところです。

私が知りたいのは歴史的事実、ないし「平家物語」を知りたいのですが、
この本には著者の創作が大分入っているらしいので、せめて歴史的事実だけは「外さないでね」という希望を持つだけです。

水原一「平家物語」(新潮社、1979) を図書館で借りて、目次だけ比べてみましたが、本物の平家物語と本書では、目次の構成は大分違います。

さて、これまで読んだ部分での感想です。

全体的に、朝廷での政治的な駆け引きや動きについての、記述はあまりありません。
天皇家や藤原家や武家の人たちがどのように動いたかという話、そのほかに多分著者の創作だろうと思う人物の動きや物語が多くあります。

例えば、常磐御前についていた召使や、
崇徳天皇の井戸(泉)の守をしていた人物や、
清盛に取り入った豪商の話、
武蔵坊弁慶やその母親の話は、
平家物語そのものにあるのでしょうか、あるいは吉川英治の創作なのでしょうか。

それにしても、これらの脱線話が長々とありますので、私は興味がなくて、「どうでもいいのだよ」といいたくなります。

保元の乱も平治の乱も戦いそのもには、数日で終わっています。

「へー」と思ったのは、これらの争いを庶民は物陰にかくれた見ていたということです。司馬遼太郎の「坂の上の雲」で日露戦争の日本海海戦で、外国武官が確か旗艦(三笠)に乗船して、戦況をみていたという話が出てきますが、そのことを思い出しました。

母親・常磐御前から引き離され鞍馬寺で生活していた牛若丸が、出家しなければいけない年齢を前に、鞍馬を抜け出し、つてをたよって、平泉まで苦難の旅をする話、その途中で自分で改名するにあたって、源氏の開祖・経基の一字「経」と源氏ゆかりの「義」の字をとって義経としますが、小説では本当は八男であるにもかかわらず、先祖のヒーロー八幡太郎義家に憚って、九郎にして源九郎判官義経と名乗ったということです。

これまで読んだ歴史書で、「保元平治の乱後、源氏は京から一掃されたが、地方では大きな勢力を温存していた」と勝手に想像していましたが、本書では、関東から平泉に至るまで、平家の監視が厳しく、義経が平泉に旅するにも大変な危険を身近にしていたし、まして、その後京に潜伏するにも、命がけだったと描かれています。

史料では、武蔵坊弁慶のついてはほんの数行記述があるだけのようですが、本書では、弁慶の話は結構多くのページで語られています。

あと三分の二残っていますが、できるでスピードを上げて完読したいと思います。

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