F・ギース 「中世ヨーロッパの騎士」

コロナが全世界に蔓延してきて、ヨーロッパや米国では大変な数の感染者と死者を出していますが、日本は欧米に比べれば、感染者・死亡者共に比較的少ない数に抑えています。政府与党は無能で「皆さん予防に努めてください」と責任を国民に押し付けロクな政策も出さないまま、日にちが過ぎていきます。
なぜ日本はこれほど感染が抑えられているかと問われたば、政府与党あるいは日本人の多くは、「日本人の民度が高いからだ」と自慢していますが、自慢してすむことか。
非常時の日本の政治家の無能さに今更ながら、苛立ちます。

 

今回に限らず、日本人の色々な行動に接するにつけ、私は暗澹たる気分になります。

人前で自分の意見を言わない(言えない)。
事を起こしたくないので、上の人や回りの人たちの意見や行動に合わせる。
自分で考えないから、いざというときどうしたらいいか分からず、決断できない。

西欧から追い詰められると、「戦争は必須である」と集団精神病になり、
「日本は神の国だ」とか「皇国人民だ」とか言って、
新聞は国民を煽り、日本人全員が盲目的玉砕戦に突入する。

敗戦すると、「日本人がすべて悪うございました」と何が何でも謝罪しまくる。

極めつけは、「日本が戦争を起こさなければ、戦争は起こらない」と憲法9条を何が何でも守ろうとする。

このような不思議の国・日本人の性格はいつどのように作られたのだろうと考えます。
日本人の気質の基本部分は中世にできて、江戸時代・武士の世以降に固定させたのではないかと考えていますが、
その議論は後回しにして、それに対応する西欧人の気質もきっとヨーロッパ中世、特に騎士の精神構造に基盤を置くのではなかろうかと、最初の一歩として、フランシス・ギース著「中世ヨーロッパの騎士」(日本語訳:2017年、講談社文庫)を読んでみました。

 

本書では騎士の萌芽・変貌・衰退の歴史と、その時々の社会情勢や騎士の活動について、生存した騎士の活躍を通して、騎士像を描いていきます。

但し、固有名詞が沢山でてきますし、ヨーロッパの歴史・政治機構の変遷をよく知らなければ、何が何だか分からなくなります。
中世の王とは何か。どのように王が誕生したのか。王は何を所有しているのか。土地、平民、農奴は、王の所有だったのか。王と領主と騎士はどのような関係だったのか。私はそれらを知らないのだから、騎士について十分に理解できるはずがありません。

こういうと、身も蓋もないので、この本を読んで理解した範囲で「騎士像」についてご報告します。

 

騎士は歴史的に三段階に分けて考えることができます。
第一は、9、10世紀戦乱が頻発した時代に、鎧を着け、馬に乗った戦士として登場した時期
第二は、11世紀から13世紀に十字軍の活躍と呼応して騎士の身分が確立した時期
第三は、中世末期から近代初頭にかけて、国民国家が出現し、軍隊が鉄砲を使うようになると、騎士の制度が衰退した時期

ヨーロッパでもフランス、ドイツ、イギリス等の国よって、政治体制が異なるようで一概にはいえませんが、基本的には騎士は封建制度の一構成要素であったことは間違いないようです。
封建制度では、君主が家臣の軍事的および軽い奉仕の見返りに封土を与え、君主は保護と援助を、家臣側は忠誠を誓うのが基本的構造です。このとき家臣は通常特定数の騎士と共に君主に仕えます。また家臣は自分が君主と交わしたのと同様な誓いを騎士と交わし、封土をあたえて騎士の忠誠を確保していました。このように封建制の最盛期には、騎士がこの制度の基盤になっていました。

ここで重要なのは、君主、家臣、騎士は相互の約束によってのみ結ばれた「自由人」だったということです。

中世騎士の発生は日本では平将門とほぼ同時代で、性格も同じように、自然発生的に生まれた暴力集団で、日本ではつわもの(兵)といわれ、西欧では騎士と言われたのだろうと思います。

但し騎士の成長と武士の成長で、支えになった価値観は西欧ではキリスト教が日本では儒教ないし仏教だったのだろうと思うし、それが現在に至る西欧人の精神構造と日本人のそれとを異なるものにしたのだと思います。

error: コピーできません !!