月別アーカイブ: 2014年11月

3 posts

吉本貞昭「日本とアジアの大東亜戦争」

Amazonでの評価が高かったので、吉本貞昭「日本とアジアの大東亜戦争」(2013年、ハート出版)を読みました。

大きな活字で漢字にはカナが振ってあり、子供向けに書いたのだと思います。
150ページ程度ですから、正味1日程度で読むことができます。

内容は、15世紀の大航海時代、西欧が世界の国々を支配していった経緯から始まって、日本とロシアの衝突、満州事変から日本と中国との衝突、日本を追い詰めたアメリカ・イギリスの動き、アメリカとの全面戦争と、日本による東南アジアの国々への進出、等先の大戦を一通りおさらいしています。

しかし、私はこの論調には多いに疑問があります。

本の前半は上で説明した戦争の経緯で、後半分は日本の戦争の正当化です。すなわち、「日本は西欧から追い詰められた被害者だが、一方で日本はアジアの国々の独立を助けた」という話が続きます。

大東亜共栄圏は西欧の植民地とは違う。インドやインドネシアの人々は日本に感謝している。

先の大戦の本当の勝者は日本だという結論です。

この本は嘘偽りを書いてはいないと思いますが、日本の陰の部分をいっさい無視しています。

この本を無批判に受け入れるのは疑問があります。特にこの本が子供向であることは問題です。

子供向けなら、日本のいいとこも、間違っていたところも、バランスよく記述すべきです。

益井康一「なぜ日本と中国は戦ったか」 2

アヘン戦争(1840年)で清が英国に敗れると、
「眠れる獅子」の実態を知った西欧列強はこぞって中国に襲い掛かる。

日清戦争(1894~1895年)で、日本が清に勝利し、清から遼東半島と台湾の割譲を受けるが、
遼東半島については、ドイツ、フランス、ロシアが反対したために、
日本はその権益を放棄する(三国干渉)。

ところが、日本を牽制した西欧は自分の欲望は拡大し、
ロシアは遼東半島の旅順・大連を、ドイツは山東半島の膠州湾を、
イギリスは九竜半島をフランスは広州湾を租借する。

当然中国国内では、列強の侵略に反対して排外運動が活発するが(義和団の乱等)。
列強は、自国民を守るという名目で、北京や上海に軍隊を配置する。

日清戦争後、満州・朝鮮半島に触手を伸ばすロシアと日本は対立し、
日露戦争(1904年から1905年)が勃発。
日本はこの戦争にも勝利し遼東半島および満州の権益を得るが、
満州の権益をめぐって今度はアメリカとの関係が悪化していく。

中国の国内情勢は益々不安定になり、
日本の支援を受けた孫文が1911年上海で中華民国大統領に選出され、
1912年遂に清国は滅亡するが、
その後も中国の混乱は続き、日本が押す孫文とイギリスが押す袁世凱が対立、
孫文は一時日本に逃亡する。

1914年第一次世界大戦が勃発すると、
日本は日英同盟を根拠に参戦、膠州湾・青島のドイツ軍を撃退、
戦後、日本はドイツが保有していた中国の権益の移譲を求め、
中国と深くかかわるようになる。

革命ソ連は依然として満州への侵攻の機会を伺っていたが、
これに危機感をもった日本は満州への支配を強め、満州事変(1931年)を引き起こす。
批判にさらされた日本は、
第一次世界大戦後結成された国際連盟の常任理貴国の地位を捨て、
国際連盟を脱退、孤立の道を突き進む。

中国では、蒋介石の国民軍と毛沢東の共産党が手を組み(1936年、西安事件)、
いよいよ日本は中国・西欧を敵にまわした大戦争に突入していく。

1937年、盧溝橋事件を契機に日本と中国は全面的に争うことになり、
日本軍は上海や、南京、上海の北徐州で激戦を続け、
更には、南京陥落を前に西部山岳地帯・重慶に逃れた蒋介石を追って、
南京の西・武漢(漢口)に兵をすすめ、ここを拠点に重慶を激しく空爆する。

日米の開戦前、アメリカは義勇兵を募り重慶の蒋介石を支援、
開戦後は、重慶から飛び立った米軍のB29は、武漢や中国に展開している日本軍を攻撃、
更には九州を爆撃する。

その間別働隊は、広州、香港、桂林を占領するが
(日本が香港や桂林を占領したことは知りませんでした)、
このあたりから日本軍は弾薬が欠乏し、敗戦の気配が漂ってくる。

 

この本では、おそらく当時の新聞記事をもとにしているのでしょう。
中国戦線をかなり細かく書いていて、各作戦にどの部隊が参戦し、
日本軍および中国側の損害や捕虜がどれ程であったか数を明記しています。

私は今回初めて中国戦線の勉強をしました。
細かいことは覚えていませんが、色々なことを知り、色々なことを考えます。

一番は、日本が一直線で戦線拡大していったことで、
著者も書いていますが、何度も踏みとどまる機会があったということです。

狂気の中では、人は立ち止まることができません。
日本の軍隊の中にも、戦線拡大に反対する人がいたようですが、
このような狂気では、大抵の場合先に行く方が支持されます。

卑近な話ですが、日本のバブル時代、ブレーキをかけなければいかなかったのに、
アクセルを踏んで会社に多大の損害を出した経営者がたくさんいました。
バブルの中では、冷静な判断ができません。

このような時こそ、知識人やジャーナリズムが全力でブレーキをかけなければいけないのですが、
新聞はむしろ日本軍を囃し立てました。

軍国主義の時代、文民は口出しできない状態だったのでしょうが、
そのような国にならないように、常日頃真剣に国のあり方を議論し行動しなければいけません。

「盧溝橋事件は、中国が汚く仕掛けたのだ」という話がありますが、
中国は国土を侵略されていたのであり、
自分の国を守ろうとする人たちがどのような手を使おうが、侵略者には文句は言えないと思います。

問題は、初期戦線ではむしろ西欧が深く中国を侵食していたのに、
ある時期からは、西欧と中国が手を結び日本だけが敵になった構図です。

これこそ「西欧は汚い」といいたいが、戦争はそのようなもので、
日本の大局観の欠如を反省するべきだと思います。

日本は、日本人あるいは周辺国に多大の損害を与えました。
これは二度とやってはいけないことですが、唯一この経験を肯定できるとすれば、
ここからどれだけのことを学ぶかということです。

それは「すべては日本が悪かった」とか、
逆に「日本は正しかった」とか、
「戦争を放棄すれば、だれも攻撃してはこない」というような単純なことではありません。

日本が危険な状態にならないように布石を打ち、
危険が迫った時、どのように行動すればいいのか、常に考え行動しなければいけません。

賢くしたたかに生きていくことを学び、研究しなければいけません。

益井康一「なぜ日本と中国は戦ったか」

8月に「暫くお休みし、9月には再開します」と告げて、
結局再開がのびのびになってしまいました。

ブログを中断する前には、毎日400人を超える人がこのブログを訪れてくれていて、
それは嬉しいことですが、同時にプレッシャーになります。
中断する理由が、「忙しい」というのは間違いではなかったのですが、
それよりも、「書かなければ…」というプレッシャーがきつくなって、
「お休みしたい」と思ったのが本当のところです。

まとまったことを続けるのは、結構しんどいことです。
五木寛之は何十年も新聞にコラムを書いているそうですが、
職業とはいえそれだけで尊敬します。

私は職業としての文筆家ではないので、
今後は無理をしないで、「休むもよし、始めるもよし」と気楽にブログを続けたいと思います。

 

さて、中国との戦争はどうして起き、どのような経過を辿ったのか勉強しようと、
益井康一「なぜ日本と中国は戦ったのか」(2014年、光文社)を読みました。

著者は1911年生まれ、毎日新聞の記者として、終戦まで中国で戦場を駆け回った人です。
本の内容はまさに新聞記事のごとく、淡々としかしかなり詳細に戦況を語っています。

どの時期から従軍したのか、私が読み落としたかもしれません。
おそらく、1937年の盧溝橋事件あたりから、日本軍と行動を共にしたのだと思います。

本では日清戦争の戦後処理から始まって、日中戦争に至ったいきさつをざっと語り、
その後はかなり詳細に日本軍の動向について、
敗色を帯びてきた昭和19年までの、中国戦線の模様を書いています。

大半は中国での蒋介石軍との戦いについてであり、
毛沢東の名前は殆どでてきませんし、太平洋戦争についても書かれていません。