ウィリアムズ「中国の戦争宣伝の内幕」

気になる隣国・韓国については一通りの勉強をし、自分なりの考えを持ちました。

気になるのはもう一つの隣国・中国ですが、中国の勉強を始めると深みにはまると思い、着手するのに躊躇していました。

ただ、いずれ読もうと何冊かの中国本は買っていました。フレデリック・ウィリアムズの[中国の戦争宣伝の内幕](2009年、芙蓉書房)を手に取ると、とても興味をそそられて一気に読みました。

ウィリアムズは1890年生まれのアメリカ人で、若い頃は世界中を今でいうヒッピーのように旅したようです。その後サンフランシスコに拠点を置き、新聞記者として活躍します。

当時日本は中国に満州事変(1931年)をしかけ、満州の経営権を握り、さらに清朝末期、混乱の中国への侵攻の機をうかがっていました。

当時中国に群がったハイエナは日本だけではありません。イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストリア、ベルギー、ロシアも多かれ少なかれ中国を狙っていたのです。

ウィリアムズは支那事変勃発(1937年)の前、そして始まってからの中国や満州、日本を取材し、体験し、見聞きしたことをまとめて発表したのが本書です。原著は1938年の出版です。

日本に対する彼の視点は、第一章の最初の文章ですべて言い尽くされています。

20世紀の今日から80年以上前に、アメリカを含む西洋列強は日本のドアを叩いた。農業国としての閉ざされた中世風の生活を止め、外国に向けて港を開き、世界貿易競争のエキサイティングな儲け話に加わるように誘ったのだ。しぶしぶと、いくぶんおずおずとした調子で日本は同意した。しかしそうなったからには、日本は中途半端ではいなかった。
(中略)
やがて日本は西洋列強が新しく見出した保護すべき友人という立場から、対等のライバルとみなす程度まで競争力を貯め、成長してきた。

彼らの態度は変わった。日本の背中を優しく叩いて、「お前はいい子だ」とはもう言わなくなった。彼らは態度を変え、団結して対抗するようになった。
(中略)
ゆっくりとそして段々と日本の工業生産物を世界の市場から、締め出し始めたのだった。

私の勝手な想像ですが、ウィリアムズは日本(人)と波長が合い、日本(人)が好きだったのだと思います。そして彼なりの義侠心から、日本を擁護し、西欧とりわけ自国アメリカの政治および言論を批判します。

 

話は蒋介石の動静を中心に展開します。

蒋介石はドイツ人軍事顧問の意見を入れ、日本を挑発し、アメリカを引き入れようとします。

蒋介石は支那事変を仕掛け、その責任と残虐な行為はすべて日本にあるとするプロパガンダを展開します。キリスト教会を通じ、あるいはアメリカの中国人堂(トン、秘密結社)を通じて、日本のあることないことの残酷行為や失態を世界に発信します。

日本の台頭を嫌った西欧は、そのプロパガンダにのり、本当はもっとも警戒すべきロシア、中国の共産主義に加担する形で、日本に圧力を掛け続けます。

ウィリアムズは、
「日本は満州でよくやっているではないか」
「残酷な行為は中国側ではないか」
「どうして正しく事態を判断しないのだ」
と叫び続けます。

とりわけ、米国からすれば貿易総額3位の日本、アメリカに好感を持ち仲良くしようとしている日本に、酷い仕打ち(中国への武器輸出、日本製品の不買)は間違っていると叫びます。

蒋介石が世界に発信する、
「日本は酷い国」だというプロパガンダは巧妙であり、
「かわいそうな中国、不当で残酷な日本」
という国際世論が形成され、
日本は世界の中で孤立無援になります。

ウィリアムズは「日本は宣伝の下手な国」だと嘆きます。

そして、情勢はウィリアムズが危惧した方向に向かい、この本が出版されてから3年後に日米は開戦します。

 

内容は過去の話とはとても思えません。いまオバマ・アメリカは中国にすり寄り、韓国は米議会に「日本の戦争責任が不十分だ」と、ロビー活動をします。(そしてマスコミは、「日本はのけものにされる」と大騒ぎします)

「嘘も100回言えば本当になる」とはよくいうことです。

「戦争を放棄し、誠実に世界に貢献していけば世界は日本を尊敬するようになる」との主張は白々しく思えます。

個人の小さい付き合いの中でなら、それも一理あります。しかし、私たちと全く異なる価値観の人たちに対して、誠実にふるまうことですべてがうまくいくとは考えられません。あまりにもお人よしです。ましてや国際政治での性善説ほど危険なものはありません。

不当なプロパガンダにははっきりと反論しなければいけません。

 

私は、この数ヶ月明治以降の日本の対外的歴史を少し勉強しました。そして、「日本が進んできた道はやむを得なかったのではないか」と思います。

例えは悪いかも知れませんが、突然野盗の群れに取り囲まれたとき、まず自分が生き残ることを考えます。懸命に努力し野盗が手出しできない力をもったとき今度は、その力を弱めようと周りからよってたかって攻撃を受けることになった。

日本のかじ取りにミスもあったかもしれないが、それならどうすればよかったのか。

野盗の群れの中で、自己主張する過程で日本は近隣国に加害したことは事実でしょう。

しかし、日本の戦いは白人帝国主義に対する有色人種の戦いでもあった。結果日本は酷い目にあったけれど、そしてそれは一面では身から出た錆だったけど、日本の戦いをきっかけとして、あらゆる人種は「対等である」と主張し、認めさせることになったのもまた真実であったと考えます。

私が強く思うのは、日本は日本人は常に自分の立場をはっきりと主張し、議論し、そのような議論の中から同調者を確認し、世界の中で、日本の地歩を確立しなければいけません。

波風が立たないように議論を回避し、問題を先送りにしてはいけません。これはプロパガンダとは違います。嘘を本当ということはできませんが、正しいことをあるいは正しいと思うことを、はっきりと主張することは、絶対にやらなければいけない作業です。「ことを荒立てない」を最善とすることこそやめなければいけません。知性と理性と論理を武器に主張しなければいけません。

個人レベルでもましてや国家のレベルでも。

決して「苦手」では済まされません。

error: コピーできません !!