漱石を読む

漱石の「こころ」と「三四郎」を読みました。

30歳後半に書いた「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」、「虞美人草」が小説家としては最初期の作品で、明治41年41歳で書いた「三四郎」、それに続く「それから」、「門」で本格的な小説家になっていきます。
30歳後半から50歳で死去するまで僅か10数年の作家生活だったということを今回初めて知りました(Wikipedia)。

「こころ」は漱石47歳の作品です。

ですから、年代的には「三四郎」「こころ」と続くのですが、私は何の考えもなく、先に「こころ」を後から「三四郎」を読みました。

感想です。

「両方ともまったく面白くない」
私にはこれらの小説のよさがまったくわかりません。
「日本文学」としてどれほどの価値があろうと、今に生きる一読者からすれば駄作とでもいいたいほどです。

特に「三四郎」は、筋らしい筋はなく、田舎(熊本)から上京して東大に入学した三四郎の日常、
友人や知人との細々した出来事の記述、知人の一人美禰子との恋心の移ろいの描写に終始します。
読み進めるのには苦痛が伴いました。

巻末の解説によれば、当時漱石は俳句の世界を意識していたということです。
漱石は正岡子規と親交があり、確かに子規の影響があったのかもしれません。

ただ面白かったのは、今話題になっている東大の入学が当時は9月だったということ、今の文学部とか理学部のように学部制ではなく、別の大学だったらしいということ、小説の後半に三四郎が罹った病気がインフルエンザだということ等です。

「三四郎」は若い頃読んだ記憶がありますが、細かいことは覚えていませんでした。
こういう内容なら当然といえば当然かと思います。

一方「こころ」は作家生活の晩年の作になります。

大学に入学した「私」が、鎌倉の海でとても気になる「先生」に出会います。
私は積極的に先生に近づき懇意になり、東京の自宅にたびたび訪ねます。

先生は職を持たず、親の遺産でいわば隠遁生活をしています。
私は先生がなぜそのような生活をしているか詰問しますが、「いずれ」というだけで話たがりません。

「私」の父は長年腎臓を患っていて、重篤という知らせに帰省します。
父の様態は悪化しとうとう死んでしまいます。

葬式の日先生から分厚い手紙が届きます。あわただしいなか、気になるので手紙の最後を読むと、「この手紙がついたころ私は死んでいます」のような文面が目に入り、父の葬儀をほったらかして汽車に飛び乗り、先生の長い手紙を読みます。

手紙には先生がなぜそのような生活をしているのか、なぜ死ぬのかが書いてあります。
そして小説は終わります。

私の感想は、まず「かったるい」です。
そして技巧が一般読書には違和感があるということです。

「私」はたびたび先生の家を訪ねますが、隠遁生活をしている人とどのように付き合っているのだろうと不思議に思いますし、父親の葬儀を放っておいて、後は先生の手紙で終わりというのはどうかと思います。

考えてみれば私は、日本の文学(といわれる小説)をあまり読んでいません。
どれもかったるいからです。

逆にたとえばサルトルの戯曲はいいたいことがはっきりしていて、考えさせられます。
日本文学のテーマもそれなりに考えさせられるテーマを持っているのでしょうが、私は「どうでもいいや」と思うことが多いのです。

これは趣味や人生観の問題かもしれません。

ついでですので、漱石が本格的に小説家になった「それから」と「門」を読んでみたいと思います。

error: コピーできません !!