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吉川英治「親書太閤記」2

吉川英治の歴史小説はどれもそうですが、訳が分からない人物が登場します。
新書太閤記でも私には訳が分からない、別の言い方をすれば不要な平民3人が登場します。

一人は、前回ご紹介した楊景福・通称於福(おふく)という人物です。伊藤五郎太夫なる日本人が陶器の勉強のために景徳鎮にやってきて、中国人の女性との間に子供を受けますが、この子が日本に帰り日吉の近所の茶わんやの跡取りとしてに住んでいます。小さい頃は虚弱だったために、子供たちからよくいじめられ、そんなときはいつも日吉がかばってやっていました。
日吉15歳のとき、奉公に出た茶わんやに於福がいます。ところが、於福は昔の恩も忘れて日吉に随分高圧的に接してきます。

秀吉が信長に召し抱えられ墨俣城の城主なったとき、秀吉の前に落ちぶれた於福が現れます。
秀吉は昔を恨むでもなく於福に声をかけ、暫く秀吉の居城で茶わんを焼かせていますが、侍としては不適格だとして堺の千利休に紹介し、於福は利休の弟子として生きていく、という話になっています。

WEBで探してみても、伊藤五郎太夫なる人物は実在したようですが、於福という人物の史料は見つかりません。多分吉川英治の創作だと思いますが、この人を小説の中に登場させることが、どうして必要なのか私にはわかりません。

二人目は、竹中半兵衛の妹のおゆうです。斎藤龍興の家臣であった竹中半兵衛は、龍興の無能さを怒り、斎藤家を去り一時浅井家に身を寄せますが、間もなく浅井家も去り、引退・隠棲します。秀吉は半兵衛を高く買い三顧の礼をもって、自分の家臣に迎えます。

半兵衛には仲のいい妹がいて、それがおゆうです。
やがて女好きの秀吉はこのおゆうを無理矢理側室にし、半兵衛もおゆうも苦しむのですが、半兵衛が若くして病死すると、おゆうは秀吉のもとを去って尼寺で静かに余生を送るという話です。

しかし、これもWEBで探してもそれらしい人物を見つけることができません。

三人目は、於通(おつう)という女性です。もとは武家の出ですが、おゆうの尼寺で源氏物語の勉強をしたりおゆうの世話をしていた於通は、野望をもって都に行こうとします。秀吉が家康との合戦で、通りがかった田舎道で、於通を見かけ、陣中にいれて、碁を一緒に楽しむのような話ですが、「見も知らぬ女を陣中に引き入れることなどあるのだろうか」と不信に思います。

ただし、小野於通なる怪女は実在したようで、Wikipediaによると「詩歌・琴・書画など万藝に秀でた才女であった」ということです。

このような、史実からすれば、全く怪しい話が出てくるので、たくさん登場する武将や彼らの活躍がどれほど真実なのだろうと、疑いが強くなります。

これは歴史小説の最大の欠点です。

吉川英治「親書太閤記」

吉川英治「親書太閤記」は紙の本では全11巻、私は無料のキンドル版で読みました。

話は秀吉(日吉)の誕生から50歳ころまで、
本能寺の変、清須会議を経て、信長配下の先輩や同輩武将を排除あるいは配下に置き、畿内・東海・北陸・紀州・四国を平定、途中巨大な大阪城を築城しますが、
三河(浜松)の家康やそれ以東、中国では安芸(広島)の毛利とそれ以西の支配は未完で話は終わります。

その後、秀吉は九州や東北を平定し益々増長する一方、
後継者にしていた甥の関白秀次と、長年茶の師匠であり政治の参謀であった利休を自殺に追いやり、刀狩り、太閤検地、身分制、キリスト教追放、朝鮮出兵等、暗く複雑な行動をする秀吉の後半生の約12年について語っていません。
いわば、イケイケどんどんの前半の物語といったところでしょうか。

昔の映画華やかりし時代には、秀吉の話は年中行事のようなもので、何度も映画化されていますので、ここでもいちいち書きません。ざっと、主要部分だけ書いていきます。

小説では、
天文5年(西暦1536年)、尾張の国熱田に秀吉が生まれますが、
同年大陸・明の景徳鎮で日本人の父と中国人の母の間に楊景福なる人物が生まれます。帰国し茶わんやの跡取りになるのですが、この人物は実在の人物かどうかもわからないし、最後まで付け足しのエピソードで終始しますので、何のために仰々しく最初の話題にしたのか分かりません。

さて、秀吉の父は農業の傍ら、戦いがあれば褒賞目当てに志願して戦場に出る生活ですが、戦闘で負傷し働けなくなり、母親は働けない夫をかかえ、苦労しながら姉と日吉を養っていきます。やがて、その父親が他界すると母は再婚しますが、悪ガキの日吉はこの継父とそりが合わず、母が持たせてくれた姉の婚礼のために貯めてお金を懐に、一人で生きていくために家をでます。
日吉は針売りをしたり、住み込みで手伝いをしたり、村々町々を転々としながら生きていきます。

母親は侍にならないでくれと願いますが、逆に秀吉は侍になろうと機会を狙い、信長の遠出からの帰りみち直接信長に家来にしてほしいと直談判します。秀吉18歳、信長20歳の時です。

これから秀吉は信長のもとで下級武士の仕事をするので、どんな仕事にも懸命に働いたという以外大した話はなく、この小説の数冊分は、秀吉の話というより、むしろ信長の話が続きます。

日本の歴史・中世

私は、高校で日本史を学び大学の受験科目でも日本史を選びましたが、私の日本史といえば、聖徳太子であり頼朝であり秀吉であり明治であり、ビッグネームとビッグイベントの発生年の暗記で、物理や数学と同じように人の血の通わない、教養としての歴史です。

ここ数年、私は興味に任せて日本の歴史を勉強していて、これまでの私の日本史は歴史のほんの一面のものだったと思うようになりました。
歴史の教科書で登場する人名の数は数百でしょうが、実際にはその数万倍いや数百万倍以上の人々が生きてきた筈なのに、私はそのような一般の人がどのように生きてきたのか、殆ど何も知りません。

もう一つ、中世の歴史本を読んでいて、ずっと頭から離れないのは、「武士とはいったい何なのか、暴力団と何が違うのか」という疑問です。平将門、八幡太郎義家、平清盛、源頼朝、足利尊氏、織田信長等々の英雄は、暴力団の親分とどう違うのかという問いに答えることができません。

今回私は将門時代から初めて織豊時代まで、当初は講談社版、鎌倉時代あたりから中央公論社版の「日本の歴史」を中心に、興味がある本を脱線しながら読んできました。印象では中央公論社版はビックネームの活躍の他に、庶民や社会の動向も解説していて、時代をイメージしやすかったと思います。

その間、吉川英治の長編小説「新・平家物語」、「私本太平記」、「新書太閤記」を読みました。以前にも書きましたが、小説の長所と短所がありますが、人名や事件が印象に強く残りますので、長所の方が大きいと思います。

次回から数回にわたって、その後に読んだ戦国時代近辺の本で、読みながら感じたことを交えて感想文を書いてみようと思います。但し、最初に最近読み終えたばかりの、時代を最も下った「新書太閤記」からはじめたいと思います。