網野義彦「日本の歴史をよみなおす」

先月「九州の歴史」について私なりに整理して、2回に分けて書きました。そこで取り上げた時代は、足利尊氏から室町第三代将軍義満あたりまでで(ほぼ南北朝時代にあたります)、特に九州の豪族少弐と菊池の盛衰について取り上げました。

アマゾンで「九州の歴史」で本を検索して、買って読んだのは、大半は戦国時代、戦国武将の攻防についてです。ですから、南北朝以降から戦国時代が始まるまでのおよそ100年の間の九州の歴史がどうだったのか、纏まった本を見つけることができませんでした。

この時代は、私の貧弱な歴史の知識の中でもとりわけ空白の時代なのですが、網野義彦が「15世紀という時代は、政治的には相対的に安定期であり」と書いていますので、あまり大きな事件がなかったので、この時代は歴史の教科書にも多く書かれていないし、私の知識が欠落しているのもやむなしということでしょうか。

但し1467年には約10年続く応仁の乱があり、戦乱の時代になっていくので、網野がなにをもって15世紀は安定期だったといっているのか、私には分かりません。

となると、逆に中世のビッグネームではない庶民がどのような生活をしていたのか大変興味をそそられ、数冊読んでみました。

桐畑隆行「筑前 歴史風土記」(文理閣、1978年)、網野義彦「日本の歴史をよみなおす」(筑摩書房、2011年)がその趣旨に沿うもので、永原慶二「下剋上の時代」(中央公論、2008年) はこの時代のメインストリームを丁寧に語っています。

最初、網野著「日本社会の歴史」(1997年、岩波書店)を読んだのですが、 なぜか読みにくくて半分くらいで読むのをやめました。

以前このブログでもご紹介しましたが、網野は左寄りだとわかっていたのですが、それはそれとして、庶民の話を期待して読みました。その期待はおおむね間違っていなかったのですが、なかでとんでもない左寄の記述があり、おったまげました。

将来、いつかは天皇が日本の社会にとって不要になる時期がくると思いますが、その時には、われわれは、日本という国号そのものをそのままつづけて用いるかどうかをかならず考え直すことになると思います。

私は、中世の特に庶民の歴史を勉強しようと思ったのに、どうして天皇制廃止論がでてくるのか。私ははっきりいって天皇制廃止論には反対だし、なぜここで著者はこの話を書かかければいけないのか私には理解できません。

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