前回書きましたが、この本では戦闘の記述だけではなく、この戦争についての朝鮮側の反省点を書いているということで、私は何を書いているのか期待したのですが、結論をいえば期待外れです。
朝鮮が、なぜ日本に易々と国土を蹂躙されたのか、二度とこのようなことが起きないように、国の在り方はどうするのか、軍事をどうするのかを議論していると期待しましたが、そうではありません。
書いていることは、あの時もっと日本軍を追えばよかったとか、砲台をこの位置にすればよかったとか戦術の話だけです。
私は失望しましたが、当時としてはこれが限界だったかも知れません。
日本軍が何人で攻めてきたのか、何人で防戦したのか。この本には数字が殆どでてきませんので、今一つ戦闘のイメージが湧きません。おそらく、人を数える余裕すらなかったのでしょう。
朝鮮では軍(武官)の身分が低かったので、いざ戦争となったときには碌な兵士がいなかったのでしょう。
文官や搾取されていた農民がいくら出てきても、長い間、戦争に明け暮れた日本の兵士にかなう訳がありません。
朝鮮人はただただ逃げまどうだけで、柳成龍によれば、日本軍はあたり構わず、焼き払い殺戮しまくったということです。
それに、ただでさえ痩せた土地、戦乱で荒廃した農地から碌な収穫もありません。餓死した人も沢山いたようです。
Wikipediaでみると、半島に渡った日本人兵士(約20万人?)の3分の1程度が死亡しているようですが、大半は、戦闘ではなく病気や飢えや寒さで死んだということです。これから類推しても半島の悲惨さは目を覆うばかりだったのだろうと想像します。
本書注には、日本軍が戦利品として朝鮮人の鼻と耳をそいで持ち帰った、その数3万にのぼると書いています。また、捕虜として連れ帰った朝鮮人は日本で労働力として使役されたり、奴隷として売られたとも書いています。非道な話です。
しかし、この話も更に検証しなければいけないと思います。
連れ帰った韓国人をどのように処遇したのか(一部が陶工になったのは有名な話です)。奴隷として売ったというが、どこに売ったのか、書いてないし、私は知りません。
秀吉の時代に、外国で日本人が奴隷として使われていた。それを怒って、秀吉はキリスト教を弾圧し、ポルトガルを締め出したという話を読んだことがあります。
それに似たような話だったのでしょうか。
また、当時の少なくとも東アジアの国々はこのような残酷さは、特別なことではなかったのではないか。著書の中でも、韓国の兵が作戦に失敗したり、不信を持たれると、情け容赦なく斬殺されたと書いています。
13世紀の元寇は壱岐対馬で日本人を虐殺し、沢山の婦女子を拉致・連行しています。
今思えば、これらはすべて非情、非道ですが、食うか食われるかの世であれば、単純に一方を非難できないように思います。
先の大戦でさえ、残忍なことはあったのです。日本のことではありません。どこにもあったのです。(下を、クリックしてください)
「米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断」
「連合軍による戦争犯罪 (第二次世界大戦)」
朝鮮人の連行について、私には分からないことがあります。日本は多くの朝鮮人を連行したのですが、後年、捕虜の返還交渉になったときに、帰国を希望した朝鮮人は極少人数だったということです。
日本人が半島で殺戮しまくったという話とどう整合すればいいのか、私にはわかりません。
一事だけを見て、善悪を判断するのに躊躇します。
ふと、昔読んだサルトルの戯曲「悪魔と神」を思い出しました。Wikipediaに出ていますので、興味がある方はこちらを参照してください。
中世に実在した騎士をモデルにした戯曲です。
残虐非道な騎士ゲッツは、あるとき僧と賭けをし、負けた罰として善政を行います。しかし、彼が実行しようとした善政は、期待した方向にはいかず、次々に悲惨・残虐を招きます。
サルトルは、「神とは」、「善とは」、「悪とは」を問いかけます。