仏教 2

今回読んだ本は、「面白いほどよくわかる 仏教のすべて」(田代尚嗣、 日本文芸社 平成13年、以下「仏教のすべて」といいます)と、「100分de名著 大乗仏教」(佐々木閑、NHK出版 平成29年)と、池上彰著「仏教ってなんですか」(飛鳥新社、2014)ですが、3冊目の池上彰の本はいけません。

アマゾンの評価がよかったので買ったのですが、後半に出てくるチベット仏教のダライラマに会った話を書きたくて、前半で付け焼刃的に日本の仏教を語ったに過ぎません。浅薄な内容で、「日本の仏教は酷くてチベット仏教が素晴らしい」のようになっていて、ことの本質を理解していない(と私は思います)。「君は時事問題の解説だけしていなさい」と言いたいです。

 

さて、「仏教のすべて」には文字通り仏教について沢山のことが書かれていて、短時間で全部を理解するのも、ここで詳細を書き出すのも無理です。

関心がある要点だけをつまみ食い的に紹介します。

仏教の開祖は釈迦です。誰でも知っています。釈迦の生きた時期は不確かですが、大体紀元前500年ころとされています。

釈迦は北インド(現在はネパール)の小国の王子で、結婚し子供ももうけましたが、人の苦(老・病・死)に「何故?」と問い、29歳で出家し(多分バラモン教)、解を求めて修行の旅に出ます。

厳しい修行の日々を続けますが、やがてこの厳しい修行では解は見いだせないと考え、中道の道を取ることにし、瞑想の末悟りを開きます。

釈迦は弟子の求めに応じて、どのようにすれば悟りの境地に至るか説きます。
弟子も増え、祇園精舎に教団の本部を置きますが、釈迦は80歳になっても布教の旅を続け、旅の途中で入滅します。

釈迦の入滅後、直ぐに弟子500人が集まって、膨大な釈迦の教えを編集します。
その数約8万5千にのぼるそうです。
しかし、そも後も教えは文字にされることなく、長い間暗誦で伝えられました。

暗誦された教えは、伝える集団によって、違いが出てきます。そして、紀元前後になってやっと、教えの文字化が始まります。

 

ここで仏教の世界観を見ておきます。

仏教には大きく二つの世界があります。
「輪廻する世界」と「輪廻しない世界」、別の言い方をすれば、「迷いの世界」と「悟りの世界」、「此岸」(しがん)と「彼岸」、「煩悩の世界」と「涅槃の世界」です。

輪廻する世界には、六つの道(どう)があります。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道(後で追加されました)、人道、天道です。

例えば、人道にいる人間は死ぬと、三途の川を渡り、その先には生前の行いを判定する七つの法廷が待っています。私達もよく知っているのは、第五法廷の閻魔大王です。

裁判官は、人が生前に持った業によって判定して、先に書いたどれかの道に送ります。運よくまた人道になるか天道になるか、あるいは地獄道に落ちるか、
その裁判官の決定に従うしかありません。

また、例えば畜生道に落とされた人間は、畜生として生き、死ぬとまた三途の川を渡り、法廷に引き出され、その判定から、次の道に送られます。

天道はハッピーな世界で、「これで十分幸せ」と思われますが、ここにも死が待っていて、ここでの所業によって、また別の世界に送られるのです。

これを永久に続けるのが、輪廻の世界です。

仏教では、輪廻する世界はいずれにしても辛い世界ですから、この輪廻の世界からどのようにしたら、輪廻しない世界に行くことができるのかを説くのです。

結論からいえば、修行によって煩悩を捨て去ることによって、この願いがかなえられます。

この輪廻しない世界に到達した人が仏陀(悟りを開いた人)です。釈迦は瞑想により煩悩を捨て仏陀になり、涅槃の世界に行ったのです。

仏陀になるためには、すべてを捨てて修行しなければいけません。働くことも畑を耕すことも禁止されます。ですから、他人から供物をもらって生きていかなければなりません。

しかし、そのような生活ができる人は限られています。これでは、日常を抱える悩める多くの凡夫(平凡は人)は救えません。どのようにすれば凡夫が救えるのか。

釈迦の教えは変容し、大乗仏教が生まれます。

 

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