人生を変える

今若者が学校を出ても職につけなくて大変厳しい時代が続いています。

私が若い頃はまだ日本に貧乏があって、私の通っていた公立中学から高校に進学したのは、男子で1/3、女子では1/5程度ではなかったでしょうか(もっと少なかったかもしれません)。さらに公立高校から大学に進学したのは同じく男子で1/3、女子も1/5程度だったのでしょう。

当時が今と人々の気持ちで違うのは、当時はたとえささやかであっても、それぞれが「目標」を持てたということでしょう。一つは「アメリカ」が象徴する豊かさへの憧れであり、可能性への期待感があったと思います(可能性を求めて多くの若者が東京を目指しました)。

今の時代は、私たちの時代より数倍物質的には恵まれていますが、心のよりどころをどこにも求めることのできない絶望感があるもかもしれません。

 

私は戦中生まれで、西日本の1地方都市で育ちました。私の父は建築の職人(親方)で、兄3人も父の手伝いをしていました。

私は男ばかり6人兄弟の4番目で、兄弟の中で唯一公立高校に進学し、職人一家の中では「出来る」子供でした。

しかし公平にみれば高校は中くらいの成績で平凡な生徒でしたが、それでものんきに地元の大学に進学して、将来は建築家になることを夢みていました。

家計のことは無関心でしたが、恐らく父の会社は経営が困難になっていて、私を大学に進学させる経済的余裕がありませんでした。

高校3年の正月を前に、父と一緒に働いていた兄から「大学にはやれない」と涙ながらに告げられました。
頭が真っ白になりました。
卒業を間近に就職活動を始めてみても、どこも使ってくれるところはありませんでした。

残された道は私も兄達と同じく父の仕事を手伝うことでした。

3月になると高校の授業もなく、それぞれに就職や進学の準備をしています。
とても皮肉なことに父は地元の大学の工事を請け負っていました。
国立大学の発表の日でした。
天気のいい寒い朝だったと思います。
私も朝から大学の建築現場で、鍬を使ってトロ箱でモルタルを捏ねていました。

誰かが私の目の前を通りすぎようとしています。
「ふっと」目をやると、数日前まで席を同じくしていたクラスメートでした。
小倉君と井口君と北川先生です。

私は声を上げることができませんでした。
かれらが私に気づいたのかどうか知りません。
影絵のように彼らの横顔が「スーと」通り過ぎていきました。
今も鮮明に覚えています。
目の前何メートル先だったのでしょうか。
遠い昔の映像は今も私の脳裏に焼きついたままです。

「なぜこういうことになったのか」私は深く反省しました。
「誰のせいにすることも出来ない」。
「すべては自分のせいだ」。

しばらく建築現場で働きました。
幸い兄弟が沢山いたので兄弟のサポートを受け、2年遅れて地元の(そう私自身土方仕事をしていた)国立大学の建築学科に進むことができました。

 

私は意志の強さを信じています。

「同じ人間に出来ることが自分に出来ないはずがない」と。
(スポーツ等生まれながらの身体能力にかかわることでない限り)

僭越ですが、苦悩する若者にエールを送りたいと思います。
「負けるな」

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