この本の残りの部分は第三部・日本人からみた戦争と第四部・エピローグです。
第三部・日本人からみた戦争では、予想通り、日本が独りよがりに自分を美化することばかり熱中していたと、色々な資料を基に日本および日本人を分析します。
原著では、詳細な参照文献が明示されているようですが、大変残念なことに、この翻訳本ではそれらが一切省かれています。そのため読んでいて今一つ真実味が薄れます。
まず、日本人の個人的行動規範は「其の所」を重要視するといいます。「其の所」はルース・ベネディクトが「菊と刀」で指摘した概念で、日本人は階層制度を信奉し、階層そのものを否定することなく、与えられたそれぞれの「其の所」に満足し、「其の所」で本分をはたそうとするといいます。
実は私は「菊を刀」を読んでいませんし、かつて「其の所」という言葉もその意義も考えたこともありませんでしたが、当時日本に階層制度があったかどうかは別にして、「身の程に生きる」という考えは特に戦前にはあったのだろうなと思います。
日本人の自己中心的・内省的思考法は何処からきたのでしょうか。
もちろん、島国という地理的条件が一番大きいのでしょうが、儒教や仏教の影響もまた大きいと推測します。儒教や仏教には自分を見つめ戒める教えが多いのではないでしょうか。
内省的思考では、仲間と仲良く力を合わせていくには都合がいいし、争いがあっても仲間内のそれである間は、結局日本人の行動規範のうちに収まってきたと思います。
しかし、自己内省的で周辺への同程度の考察がなければ、自己満足というものです。言い換えれば井の中の蛙で、日本民族だけでの付き合いでは、結構都合よかったと思いますが、第二次世界大戦という、まったく異なる価値観と全面衝突したとき、その脆弱性を露呈したと思います。
日本人は自国を美化することに勢力を尽くします。日本の歴史は2600年続く神の国であり、天皇をいただく世界に類のないすぐれた民族だと断定します(現在の、南北朝鮮の主張を連想します)。
昔話「桃太郎」を自分=日本人に重ね、漫画や映画を作って陶酔します。清廉・潔癖な桃太郎は犬や猿を家来にして鬼退治します。桃太郎とは日本人であり、犬や猿は韓国・台湾であり、鬼は西欧です。
やがて、大東亜共栄圏なる世界ビジョンを打ち上げ、世界の中で最も優れた日本民族がその中心に座り、東南アジアの国々を従えて、西欧帝国主義に対峙するのです。
東南アジアへの進出は、旧来の植民地支配とは異なるもので、日本民族が中心になったアジアの解放と繁栄を目指すものだといいます。(しかし、日本がどのように言おうが、結局のところそれは新たな植民地支配に過ぎないと著者はいいます。)
日本はその実現のためには人口を増やし、統治者として外地に移住しなければいけません。当時7000万人であった日本人の人口を1億人にする目標をたて、「産めよ増やせよ」の政策をとりります。
大東亜共栄圏なるものに対して、東南アジアの人々は強く反発したと著者は述べています(私は大東亜共栄圏の実態をまだ勉強していませんので、この問題についての私見は保留します)。
第四部・エピローブ
結局のところ、日本人のこの夢物語は、東南アジアを巻き込んだ大きな被害とともに、1945年8月終焉したのですが、最後の1年間の死者は、それ以前の死傷者数を超えていました。
第二次世界大戦での死者数は5,500万人にのぼるということです。
このうち日本人の軍民の死者数は210万人(一説のは250万人以上)、終戦の年のアメリカの空爆による民間人の死者40万人にのぼります。
東南アジアの国々でもたくさんの死傷者を出しています。
ところが、終戦と同時に、あれほど憎しみあった日米の敵同士は、あっけなく友好的関係になります。
どうしてなのか。
それは「それぞれの相手に対するステレオタイプを都合よく入れ替えたからだ」といいます。
日本からすれば「アメリカはそれほど悪者ではなかった」と考え、一方のアメリカは戦時はあれはど日本人を軽蔑し「黄色い猿」といって罵ったのに態度を変え、「日本人は大人になりきれない子供なのだ」、
「欧米が45歳とすれば日本は12歳の子供であり、大人は子供を矯正しなければいけない」と考えました。
そして日本人はここでも「其の所」の精神を顕在化し、時の首相鈴木貫太郎は「『よき敗者』にならなければいけない」といって憚らなかったと著者はいいます。
こうみてくると、結局のところ日本人は戦争中・戦後そして今日に至るまで、幼児性を卒業できないままでいるように思います。
この本は1987年に、英語版と日本語版が同時に出版されました。その時期は、日米の経済戦争が激しくなってきた時期で、欧米は日本を「エコノミックアニマル」といって、「ジャパンバッシング」が激しくなった時期です。
このような状態の中で、著者はこの本を世に問うことで、愚かな人種戦争への警鐘としたかったと思われます。
著者ジョン・W・ダワー(現MIT教授)は一時期日本に住み、夫人は日本人だそうです。日本には一角のシンパシーをもっていると思われます。
先にも書きましたが、この本に参照文献の明示がないのが大変残念ですが、総じて著者の主張は正しいように思います(戦場の実態の記述は判断保留です)。
私は先の大戦でいえば、「日本が悪かった」とか「アメリカが悪かった」とか、悪者探しするよりも、事実がどうであったかを明確に知ることが重要だと思います。
そしてそれぞれの立場、弱点を考慮したうえで、どのように付き合っていくかが重要です。
個人の世界で考えたとき、友人関係で真の友人であれば時に耳の痛いことをいうことは当然あるし、逆に言われた方もまた、いうことがあれば冷静に反応するのも当然です。
国際関係でも同じで、国同士は時に利害が反することは当然あることです。そのときお互いを十分理解したうえで、「あなたと立場が違う」とはっきり言わなければいけません。
アメリカが「失望した」といえば、「一大事」とばかりビビりまくる日本の知識人・マスコミの芯のなさには、失望を通り越して怒りを覚えます。