マッケンジー「朝鮮の悲劇」

マッケンジーはカナダ国籍のジャーナリストで、英国[ロンドン・デイリー・メイル]紙の記者として、1904年1月から1905年4月にかけて日本軍に同行し日露戦争の記事を書いています。その後も韓国を取材し、1908年本書「朝鮮の悲劇」(日本語翻訳、平凡社、東洋文庫、1972年)を出版しています。

この本では、最初に開国から日露戦争に至る朝鮮の小史をまとめています。

すなわち、鎖国を布いていた1870年代末期(日本では明治維新の時代)、各国からの開国圧力・特に日本の力に屈し条約を結び、それをきっかけに次々に西欧列強との条約を結んでいく様や、李朝高宗の父大院君と同夫人閔氏との権力争い、日本による閔氏暗殺、高宗のロシア大使館への逃避、日本とロシアの衝突を簡潔に書いています。

彼が朝鮮に渡り、実際に目の前に起こっている様子、ロシアとの力関係で日本がだんだんにロシアを圧倒し、朝鮮への圧力を強めていったこと、蜂起した反日[義兵]への容赦のない鎮圧の様が書かれています。

彼は危険を冒して[義兵]のいる村に出かけて取材をします。ソウルの東南約100Kmの地点です。焼かれた村々を見、民衆や義兵から話を聞き写真を撮っています。

彼は自分でもいっているように公平な記述に努めています。ここに書かれていることは嘘偽りはないと思いますが、やはり韓国に同情的な視線で日本を批判しています。それもまた当然かもしれません。目の前の悲惨には誰でも同情するでしょう。

ひとつ不思議に思うのは、日露戦争真っただ中であったにも関わらず、日露戦争の話が殆ど出てこないということです。この本は現地報道であって、歴史を語っているのではありません。

 

日本が維新を成し遂げたとき、朝鮮もまた日本と同じように自力で開国したのなら、その後の歴史はまったく異なったものだったと思います。

多くの人が指摘するように、当時の李氏朝鮮は不合理な身分制度の中で腐敗にまみれ、冷静に世界情勢を判断し自力で独立する力がなかった。

やっと日本が西洋列強に、近代国家の一員として認めさせたとき、朝鮮のそのような状態は、日本の安全保障にとって看過できない問題であった。

結局日本はこの厄介な隣国に首を突っ込んでしまいます。今考えれは、日本は朝鮮に関与すべきではなかったかもしれない。当時でも、朝鮮への関与に否定的な政治家が何人もいたのです。初代韓国統監・伊藤博文もその一人でした。どちらにしても半島侵出は難しい判断であったのは間違いないでしょう。

結果として日本は朝鮮の悲劇の直接的加害者になりました。そのことは認めなければなりません。がさらに、李氏朝鮮時代からの歴史の考察を欠如していたのでは、朝鮮=被害者、日本=加害者という単純な図式に終わってしまいます。

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