網野義彦「蒙古襲来」

昨年夏、「平将門を勉強しよう」と思い立ち、その後、平安・鎌倉前期までの武士の生い立ちと盛衰を勉強しました。

当然の成り行きとして、鎌倉時代後半の勉強に進んだのですが、少し手間取りました。

これまで基本的に講談社版「日本の歴史」を読んできたので、鎌倉時代後期の第10巻・筧雅博[蒙古襲来と徳政令]を読み始めたのですが、どうしたことか、まったく興が乗らない。数十ページ読んだところで、アマゾンでの評価をみると、この本の評価は大変悪い。「みなさんそう思っているのか。私が悪いのではないのだ」と、この本を読むのを止めました。

今度はアマゾンの評価がいい本を読んだ方がいいと、評価の良かった網野義彦「蒙古襲来」(2015年、小学館)を読みました。読み始めると、この本は私にとって大変新鮮な感じがしました。
記述が具体的で、歴史の中心にいた人たちだけでなく、庶民の行動・生活が細かく書かれているためです。
今回網野の本は初めて読んだのですが、網野は知る人ぞ知る高名な歴史家のようで、多くの読者を持ち、また彼の学説には賛否両論があるようです。

ところで、最初この本は面白いと思ったのですが、読み進めるとしんどくなってきました。多分、この本にはたくさんの古文書の引用があり、それが続くと初心者には苦痛になってくることが理由だと思います。著者が力をこめて解説すればするほど、初心者の私には、拒否感が増してきて、読み進むことができませんでした。ですから、著者が本当に主張したい部分、そして学会で議論ななっている部分を、私は殆ど理解していないのかも知れませんが、ともかく私なりに理解した部分をまとめたいと思います。

この本が扱う時代は、北条執権の全盛期を築いた5代執権時頼から始まって、蒙古襲来に対峙した時頼の子・8代執権時宗、蒙古襲来の後始末のあたった9代執権貞時、後醍醐の決起により鎌倉幕府が滅亡する14代執権高時までです。

以下まず、鎌倉時代後期がどのような時代であったか。この本を読んで得た私のイメージを書きます。

前回書きましたが、鎌倉幕府創設以来、幕府内部での抗争が続きますが、時頼の治世になって、やっと執権の力が確立し、また公平性を確保する司法制度の充実したことで、鎌倉幕府の安定期を作ります。

しかし、安定したのは幕府の政治体制であって、社会は決して平穏ではなかったと思います。

当時農民は必ずしも土地に縛られていた訳ではなく、不満が募れば領主に反抗して、しばしば自分たちを庇護してくれる権力者や寺社をたよって集団逃亡します。

また、たくさんの浮遊する非農民もいました。すなわち漁業や狩猟で生活をするもの、鋳物師や鷹匠のように求めに応じ住居を変えるもの、渡り歩く各種の芸人や博打うち等々です。

また、貨幣経済の発展に伴い、富めるものと貧するものができます。特に蒙古襲来で疲弊した多くの御家人は、所領を細分化して命脈を保ったり、更には自分の所領を手放してしまいます。

幕府は御家人を救済すべく徳政令を発令して、非御家人に渡った財物を御家人に無償で返却させますが、これは逆に深刻な副作用を起こし、社会を混乱に陥れます。

幕府がいくらテコ入れしても、一部御家人の没落は食い止めようがなく、土地を失った御家人や逆に力をつけた非御家人は、[悪党]と言われる反体制のアウロロー集団を作り、色々な紛争を引き起こします。

幕府は度々悪党掃討に乗り出します。

もう一つ、社会を不安定化するのが寺社です。現代人は想像できませんが、当時の人々は天変地異を恐れ、呪いや仏教の教えを信じていました。

このような人々の畏怖を背景に、寺社は自分たちの主張を通すために、しばしば朝廷や幕府に対して強訴します。

これらの不安定勢力に加えて、当然朝廷、幕府、御家人の内部でも、またこれらの勢力相互間でもしばしば紛争が起こり、その結果、沢山の訴訟が朝廷や幕府に持ち込まれます。

朝廷や幕府はこれらの騒乱や訴訟を迅速に判断し解決なければ、幕府に対する不満が蓄積されます。

そしてその不満が頂点に達して時、鎌倉幕府は滅亡の危機を迎えることになります。

error: コピーできません !!