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網野義彦「日本の歴史をよみなおす」2

回り道が長くなりました。本題に入ります。

この本は著者がどこかで講義したものをまとめたらしく、その点分かりやすいとも言えますが、逆に重複した話が多く、かったるい印象があります。

それはともかく、著者は沢山の古文書をよく研究していて、話題が豊富で説得力があると思います。(ただし、「と思う」のような部分が沢山あって、学術的に認められていない主張は気を付けて読まなければいけません。)

話題は中世のビッグネームではなく、庶民を中心とした話です。

実はこの本は大分前に読んだので、もう忘れたことが多いのですが、印象に残った部分をご紹介します。

まず、中世日本について、著者が最も言いたかったことのひとつが、日本は農民国家ではなかったということです。
中世日本には農民ばかりではく、すでにたくさんの職業があった。農業の他、漁業・狩猟、織物、鋳掛等を生業とする人々が沢山いたのであり、百姓は農民を指すのではなく、これらの様々な仕事をする民を指す言葉だったといいます。

14世紀後半から15世紀にかけては、これまでとは異なる社会の発展があって、自治権をもった村や町が出現し、町では商業や宿が営まれていて、上のような様々な人や芸能人が、それらの町を移動して生活をしていた。

14世紀には漢字、平仮名、片仮名の3種類の文字が広く使われるようになった。当時の識字率は正確には分からないが、現在日本各地には古文書が広く分布しているとことからみて、相当の人々が文字を使っていた。
また日本各地には方言があって、理解できないことが多々あるが、古文書には方言がなく全国で均質であり、大抵の古文書は読むことができると驚いています。

平仮名、片仮名まじりの文書は10世紀に出現、13世紀には文書全体の20%程度が仮名まじり文だが、15世紀になるとこれが60、70%にもなるということです。

ところがその中では平仮名まじりが大半で、片仮名まじりは1、2%だそうです。

片仮名文書は口頭で伝えられる文書に使われたといい、神仏にかかわりがある、例えば起請文、願文、託宣記等や裁判に使う文書、面白いところでは、落書きに片仮名が使われているということです。落書きは”落とす”行為によって、人の手から落ちて神仏のものになったということです。

また日記にも片仮名が使われたということです。

一方、平仮名は女性の文字として普及しますが、やがて男性も私的な文書に平仮名を使い始めます。15世紀になると平仮名まじり文が多数使われるようになり、下層の侍、村の大名、主だった百姓も文字が書けたといいます。

また、宗教も多数の文字を使い、これも日本における文字の発達に寄与します。

結局、日本は律令時代以来徹底した文書主義を採用したということで、そのために多数の古文書が残っているということです。

次は貨幣の話です。

12世紀までは交換手段は絹や米でしたが、13世紀になると中国、宋から銭が輸入されますが、当初は貨幣本来の使用目的=価値の交換よりも、一種聖なるものと考えられ蓄財に使われたと著者はいいます。
しかし、14世紀になると貨幣は大量に輸入されるようになり、本格的に貨幣が交換手段として使われるようになったが、その契機が市場の発達であったということです。

余談ですが、日本では大量に銅が産出されたし、古くから鋳物の技術もあったのに、中世には日本では殆ど貨幣を鋳造しなかったのはどうしてなのか、著者は不思議がっています。いわれてみればその通りです。

さて、金融(らしきもの)も発達してきます。

日本での金融の起源は出挙(すいこ)だといいます。古代では最初に獲れた初穂は神にささげられその後蔵に収められます。次の年初穂は種籾として農民に貸し出され、秋になり収穫期には初穂にお礼の利稲(りとう、利息)をつけて蔵に戻す。という制度があり、これを公出挙といいます。

鋳物師は12世紀以降、殿上で使う鉄の灯炉を天皇に差出、その代り全国を自由に遍歴して鉄および鉄器ものを販売する特権を認められていた。

中世の商工業者、金融業者、芸能民は神仏、天皇の直属民という地位を得て一種特別な民として市場から市場に遍歴していました。

しかし、13世紀後半になると、畏れと関連づけられていた穢れは、神との繋がりを断ち切りむしろ蔑視する対象へと変わっていき、それを生業にする人々も卑しい人々として蔑む対象になっていった、といいます。

鎌倉新仏教の「浄土宗、一向宗、時宗や禅宗までも悪人や非人、女性にかかる悪や穢れの問題に、それぞれ、それなりに正面から取り組もうとする宗教だった」が、世俗の権力によって弾圧され、15世紀には日本の社会のなかに、被差別部落や遊郭、さらには「やくざ」つまり非人や遊女、ばくち打ちに対する差別が定着していった、と著者は主張しています。

その他にも女性の問題、天皇の問題等議論していて、思想的偏向はフィルターに通してみると割り切って考えれば、大変濃い内容の本だと言えます。

ただし、必ずしも学会で認められていない主張もあり、自分なりに捨象して理解する必要があると思います。

網野義彦「日本の歴史をよみなおす」

先月「九州の歴史」について私なりに整理して、2回に分けて書きました。そこで取り上げた時代は、足利尊氏から室町第三代将軍義満あたりまでで(ほぼ南北朝時代にあたります)、特に九州の豪族少弐と菊池の盛衰について取り上げました。

アマゾンで「九州の歴史」で本を検索して、買って読んだのは、大半は戦国時代、戦国武将の攻防についてです。ですから、南北朝以降から戦国時代が始まるまでのおよそ100年の間の九州の歴史がどうだったのか、纏まった本を見つけることができませんでした。

この時代は、私の貧弱な歴史の知識の中でもとりわけ空白の時代なのですが、網野義彦が「15世紀という時代は、政治的には相対的に安定期であり」と書いていますので、あまり大きな事件がなかったので、この時代は歴史の教科書にも多く書かれていないし、私の知識が欠落しているのもやむなしということでしょうか。

但し1467年には約10年続く応仁の乱があり、戦乱の時代になっていくので、網野がなにをもって15世紀は安定期だったといっているのか、私には分かりません。

となると、逆に中世のビッグネームではない庶民がどのような生活をしていたのか大変興味をそそられ、数冊読んでみました。

桐畑隆行「筑前 歴史風土記」(文理閣、1978年)、網野義彦「日本の歴史をよみなおす」(筑摩書房、2011年)がその趣旨に沿うもので、永原慶二「下剋上の時代」(中央公論、2008年) はこの時代のメインストリームを丁寧に語っています。

最初、網野著「日本社会の歴史」(1997年、岩波書店)を読んだのですが、 なぜか読みにくくて半分くらいで読むのをやめました。

以前このブログでもご紹介しましたが、網野は左寄りだとわかっていたのですが、それはそれとして、庶民の話を期待して読みました。その期待はおおむね間違っていなかったのですが、なかでとんでもない左寄の記述があり、おったまげました。

将来、いつかは天皇が日本の社会にとって不要になる時期がくると思いますが、その時には、われわれは、日本という国号そのものをそのままつづけて用いるかどうかをかならず考え直すことになると思います。

私は、中世の特に庶民の歴史を勉強しようと思ったのに、どうして天皇制廃止論がでてくるのか。私ははっきりいって天皇制廃止論には反対だし、なぜここで著者はこの話を書かかければいけないのか私には理解できません。