「朝鮮紀行」日清戦争後の朝鮮

イザベラ・バードの「日本紀行」と「朝鮮紀行」は、おなじく旅行記ですが、ずいぶん違いがあります。

「日本紀行」はある種気楽な旅行記で、旅の途中で送った手紙を編集した形をとっていますので、彼女が接した人々に対してリアルタイムの感想を書いています。

一方の「朝鮮紀行」は3年に亘る朝鮮での体験を整理して書いたものであり、また彼女が遭遇したのが戦争という深刻な悲劇であったので、軽々しく書きたくない、公平に冷静に真実を見つめたいという気持ちが表れています。その分、生身の人々の活写はありませんが、広い視野での分析、展望をしています。これは旅行記というよりジャーナリストとしての記述です。

さて、バードは日清戦争終結後の1897年再度、生まれ変わろうとしているソウルを訪問し、激動の朝鮮について総括しています。(以下の記述は他の文献も参考にしています)

日清戦争を通じて日本が朝鮮に求めたのは、明治維新と同等の改革であったと思います。

これまで長きに亘って従属していた清からの独立を大前提に、あらゆる社会構造の改革を求めました。当時の朝鮮の収入が400万ドルであったのに対して、日本は300万ドルの貸し付けを行っています。

日本は、朝鮮の改革を遂行した開国派の人々を強く後押したのは間違いありません。

次のような改革に着手します(呉善花「韓国併合への道」より)。

1.中国の年号の使用を止め、開国紀年に変更。
2.宮内府と議政府の分離。
3.六曹(吏曹、戸曹、礼曹、兵曹、刑曹、工曹)を八衙門(内務、外務、度支(財務)、軍務、法務、学務、工務、農商務)に再編。
4.科挙の廃止。
5.封建的身分制の廃止。
6.奴婢の廃止。
7.人身売買禁止。
8.拷問廃止。
9.罪人連座法廃止。
10.早婚禁止。
11.寡婦の再婚を許諾。
12.財政改革。
13.租税の金納化。
14.通貨の銀本位制。
15.度量衡の統一。

これらの狙いは、旧来の朝鮮の悪弊を根絶しようとするものでした。これは今の私たちからすれば、当然のことと思いますが、当時の朝鮮では旧守派の国王・閔妃・大院君各派が強く反発し、改革は進すみません。

日本は閔妃が改革の最大の障害と考え暗殺しますが、これは当然国際的な反発も招き、逆に、日本は朝鮮の改革に積極的にかかわることができなくなっていきます。

そして、国王がロシア公使館に逃げ込んだこともあり、ロシアは日本の立場を肩代わりしていき、と同時に改革はどんどん後退していきます。

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