それからのそれから

1週間ばかり、妻の実家に行っていました。

義父は10年ばかり前に他界し、その時以来妻の実家には行っていませんでした。義母は昨年生死にかかわる大病をしたせいで、想像以上に弱っていてとても驚きました。
義父が開いた医院を長男が引き継いでいるのですが、妻が医院の会計や入院患者の給食の準備等細々した雑用をしていますので、「義母が動けなくなったいま、いよいよ我が家には帰れなくなったな」と思っています。

さて、私の昨年の肺がん騒動の顛末です。

がんセンターでは「癌ではなさそうだ」という確率的結論を得ました(私は「癌ではない」とほぼ確信しています)。

がんセンターの担当医師が、これからの経過観察をがんセンターでやるか、もとの病院でやるか聞きましたので、わたしは「本当に苦しんでいるたくさんのがん患者さんの邪魔をしたくないので、もとの病院にもどります」とつたえました。医師はもとの病院(いまK病院といいます)の担当医師に(T医師といいます)に、診断結果を封書にしたためてくれました。

K病院は総合病院で数年前に新築しました。
設備も新しく気持ちのいい病院なのですが、おそらく経営上の問題だと思いますが、医師の数が少なく、一週間に一日だけの診察という科目もあります(現在はだいぶ診察日が増えましたが)。呼吸器内科はT医師が週に一日来るだけです。

このT医師はとても丁寧な診察で、患者としてはありがたいのですが、ある意味少し度を超していて、そのぶん待ち時間がとても長いのです。予約していても1時間オーバーは当たり前です。

そんな訳でこれを機に病院を変えようと思いました。近辺に他に2つの総合病院があります。一つは私立病院でもう一つはG大学付属病院です。

私立病院は建物が古くとても混んでいるので、大学病院に行くことにしました。大学病院に電話し、事情を説明して当病院で診てもらえるか聞きました。回答は「患者の意向を尊重するので、当病院で診てもいいです」とのことです。

がんセンターの診断書、K病院の検査データをもって大学病院にいき、再度事情を説明して、「こちらで診ていただけますか」と確認したところ、「構いません」とのこと。

私がもっていったがんセンターの診断書を開封し、受付処理をしてくれました。

私が呼吸器内科の待合でしばらく待っていると、呼び出しがあります。何かと思えば、この場におよんで「K病院への回答なので、こちらで診ることはできません」という話です。

「なら、どうして封書を開封するのだ」と腹立たしくいいますと、内科の受付は謝罪もなく「これは大丈夫です」といって、封書の切り口をテープで張り合わせるだけです。

私はG大学病院のこの一連の対応に大変腹をたてています。

担当医師に聞かなければ判断できないのであれば、ことを担当医師に確かめてから私に回答すべきだし、まして封書を開封しておいて、「大丈夫です」ですます問題ではないだろう。

このような判断のまずさ、対応のまずさは今の世にたくさんあるように思います。「キチッとしたものの考えかたができない人がたくさんいるのだ」と寒々しい心持になりました。

 

ところで、前回の表題を「それから」にしました。夏目漱石の「それから」はどんなものだったかなと、インターネットで粗筋を探しました。多分私は読んだことがないと思います。

「夏目漱石を読むのもいいか」と通りすがりの本やで、「こころ」を買って読んでみました。「三四郎」、「それから」、「門」もこの際読んでみようと思います。

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