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私の韓国論

私は隣国韓国について無関心ではいけないと、2ヶ月余り自分なりに勉強してみました。

「この問題をどう考えればいいか」現時点での整理をしたいと思います。

最初に韓国の「反日」はどのように形成されたか。

半島の北、満州・今の中国東北部あたりは、紀元元年頃から高句麗が支配し、その南では西暦4世紀ころから百済、新羅、伽奈の3国が覇を争っていた。これらの国は礼儀を重んじる国だったという。

しかし7世紀、新羅が半島を統一したときから歯車が狂い始める。すなわち、半島の統一に新羅が中国・唐の力を借りたことから、半島は中国の影響を強烈に受けることになった。武力に優れた高句麗や文化に優れた百済から学ぶことをしないで、中国の文化を全面的に取り入れた。

10世紀になると新羅は衰退し、高麗が半島を統一する。高麗はナショナリズムを復活し、仏教文化を重んじた。しかし、12世紀にはモンゴルが中国を統一し明王朝を築き、半島へも武力侵攻を試みる。高麗はモンゴルと講和と武力衝突を繰り返し、その中で元寇の部隊として鎌倉幕府に襲いかかった。

1392年、明と交戦中であった高麗の将軍・李成桂は自国を裏切り、敵対する明の力を借りて自身の国・李氏朝鮮を建国する。

ここに朝鮮は決定的に中国の属国としての呪縛にからめとられることになる。

中国の中華思想に従い、中国が世界で最も優れた国であり、朝鮮がそれに次ぐ国(小中華)であり、それ以外はすべて野蛮な国とした。

また、李朝では仏教を徹底的に排斥し儒教を取り入れる。

儒教(性理学)の基本的思想は、王は天に代わって、天の徳をもって世界を治める。これに対して民はその王に忠誠を尽くし、子供は父母を敬い、妻は夫に誠心をこめて仕えなければいけないというものである。

徳を積むため王(貴族=両班)は、ただただ儒教の教えを勉強し、その勉強に不要はことをしてはいけない。すなわち汗を流すことも働くこともまして商売することも、すべて賤しいことだとしたから、文化も工芸も発達することはなかった。この儒教原理主義は身分制度を肯定し、国を硬直させた。

このような中華世界に浸っていた16世紀末、日本から侵略を受ける。朝鮮は予想もしなかった野蛮国日本からの侵攻にプライドを傷つけられ、日本への激しい憎悪の心理が形成される。

下って19世紀になると、世界に帝国主義の嵐が吹き荒れるなか、日本は明治維新をなしとげ、いち早く西洋文明の一員になる。

日本は安全保障の観点から朝鮮の開国を望むが、朝鮮は応じない。

結局、日本は日清・日露戦争を経て、朝鮮を併合する。この過程で、恐らく当時の日本人は、プライドだけは高いが時の流れを直視しようとしない朝鮮の為政者や、汚くロクな文明も持たない、また腐敗にまみれた朝鮮を軽蔑したのだろうと推測される。

その当然の反作用として、特に朝鮮の上流階級の人々は、日本への憎悪を増長させたのだろう。これが2回目の反日の動きであったと思われる。

先の大戦で日本が敗れ、朝鮮は南北に分かれて独立すると、大韓民国の初代大統領李承晩が王族の出身であったこともあり、反日を強烈に打ち出す。

日本統治に一定の評価を下していた親日派が亡くなるにつれ、特にノ・ムヒョン大統領の時代に反日教育が激しさを増す。

反日教育のもっとも重要な歴史観は、前回紹介した「解放前後史の認識」で主張されたもので、「李朝には資本主義の萌芽があったが、その発達を阻害したのが日本である」というものである。

これは歴史を正しくみていない。自分たちに都合のいい解釈である。イザベラ・バードは、当時朝鮮では「貨幣の流通がない」と言っているのであり、とても資本主義経済の萌芽があったとは思えない。

前回紹介した李栄薫[大韓民国の物語]によると、韓国歴史教科書の模範解答はソウル大学校の高名な教授・韓永愚の[我が歴史を再発見する]で、ここでは次のようにいっている。

彼によると、李朝の文化とモラルとは、美しい宝石にも似たものでした。また李朝の文明政治はすでに西欧の近代民主主義とかわらない水準にありました。そのような李朝が滅んだののは李朝のせいであるとするのは、「凶暴な盗賊」をさしおいて、「善良な主人」だけを咎めるとんでもないやりかただというのです。盗賊が闖入したから戦えというのは、武を重視する野蛮人たちがやることです。別の言い方をすれば、李朝はあまりに善良だったために、凶暴な外敵を防ぐことができなかったということになります。

李栄薫は朝鮮の滅亡をこのようなとらえ方をするとは、いったい歴史から何を学ぼうとしているのか。と根底的な問いを発する。

私たちは韓国の歴史にあれこれいう立場ではありませんが、韓国が歴史を歪曲して一方的に日本が悪いといいはる間は議論できません。

韓国人との話し合いは、彼らが歴史を直視し、不当な要求を日本にしないことが出発点だと思います。

慰安婦問題や強制連行や残虐行為は全くなかったとは思えませんが、同時に国として組織的にやったとも思えません。

韓国もベトナム戦や朝鮮戦争で多くの虐殺をしたと報告されています。またベトナム戦では女性に対したくさんの性的暴行をしたし、朝鮮戦争では公設の慰安所が設けられたといいます。

戦争は常に悲惨や残虐が付きまとうのであり、残虐さのない戦争などあり得ないと思います。さらに言えば、朝鮮時代には平時でさえ残酷な拷問があり、日清戦争後に拷問を止めさせたのは日本だったのです。

朝鮮は古来からたくさんの国に支配されました。
漢、隋、唐、契丹、女真、元等です。

また元と共に日本を攻撃したこともありました。

さらに言えば、明治時代日本が開国し、朝鮮にもそれを求めたとき、朝鮮では自力での開国ができなかった。周りの国からすれば、それは朝鮮一国で済む話ではない。

これらの歴史の事実をさらけ出して、初めて議論することはできるのであって、自分に都合の悪い事実を隠して、「お前が悪い」と言い合っていては実のある議論はできません。

韓国に言いたいのは、過去特に朝鮮の歴史を美化するのはやめるべきだということです。

昨年、週刊朝日が橋下現大阪市長の親族の過去を暴く事件がありましたが、そのとき橋下市長は、「じいさんがどうのこうの。関係ないだろう」といいました。その通りだと思います。

私はゴルフが好きだから、よくゴルフ中継を観ます。女子は特に韓国選手がアメリカでも日本でも文句なく強く、昨年の日本女子プロでは、半分以上の優勝は韓国選手がさらっていったと思います。これはもはや[日本ゴルフツアー]ではなけく[韓国ゴルフツアー]です。さすがに興ざめで、「日本人選手、もっとがんばってよ」といいたくなります。

しかし、一選手としてみれば韓国選手は一様にスウィングが綺麗で、黙々とプレーするのはアマチュアからすれば羨望です。

彼らのプレーを見ながらよく思うのですが、彼らはどのように考えながら日本でゴルフをしているのでしょうか。格闘技や集団競技であれば闘争心をむき出しにする必要もあるでしょうが、心を安寧にしなくてはいけないゴルフでは、強い反日感情を持ち続けていては、日本でこれだけの成績は出せないのではないのでしょうか。

本当のところは何も知らないのですが、「国がどうのとか、関係ないではないか」でいいと思います。

目の前のプレイヤーであったり国の姿そのままの韓国でいいではないか。何時までも、過去に・恨(ハン)に縛られていいことがあるのか。

韓国人による韓国論

これまで紹介した呉善花や金文学の他にも、韓国を直視しようとする韓国人による韓国論の本があります。

日本語に翻訳された本の多くは日本びいきですが、より正確に近現代の歴史を評価しなおそうとする本も少数ですが翻訳されています。

これまでご紹介しなかった次のような本を読みました。

朴泰赫 「醜い韓国人」(光文社、1993年)
鄭大均 「在日韓国人の終焉」(文芸春秋、2001年)
崔基高 「日韓併合の真実」(ビジネス社、2003年)
金完燮 「親日派のための弁明」(草思社、2002年)
朴一他 「『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ」(コモンズ、2006)
李栄薫 「大韓民国の物語」(文芸春秋、2009年)

李朝の身分は大きく分けて、貴族(両班)、中人、常人(奴婢)の三つに分けられていて、日本統治以降この身分制度は廃止されたものの、精神的にはその後も残存していました。

朴泰赫は中人の出だと書いています。その他の人の出自はわかりませんが、韓国人による韓国論では、自分の出自によって歴史観が異なると思います。

両班出身の人々は、朝鮮を滅ぼし自分達の身分を奪った日帝は憎いのでしょうし、
下層の人々は日帝に対して一定の評価をすると思います。

朴泰赫「醜い韓国人」は、父親から聞いた朝鮮時代の特に常人の悲惨な生活、その後に訪れた日帝時代の様々な改革について、日韓併合を肯定的に評価しています。(ただしこの本は、日本人外交評論家・加瀬 英明との共著であるといわれている)

崔基高「日韓併合の真実」は、李朝末期、日清・日露戦争期に、韓国内で改革を志ざした人々の努力と挫折について忠実になぞっています。これも日韓併合を肯定的に評価しています。

金完燮「親日派のための弁明」も内容的には上と同じようなものですが、更に激しく韓国や中国を批判し、日本を肯定しています。

日本が西欧列強の他(アジア・アフリカ・南米の中で)ただ一国近代化ができたのは、江戸時代が封建社会であった点をあげています。実は私も漠然とそう思っていました。

封建社会とは、いわば株式会社の事業部制です。本社は徳川幕府であり、大名は事業(藩)部長です。本社と事業部は緊張感をもち、それぞれの内部の結束と産業の発展に尽力します。

それが藩それぞれと国全体に力をつけ人材を育て、国の一大事にあたって一致結束できたました。

他方専制君主制では、君主が巨大な力をもつ一方、君主に代わる力、中間管理職や民衆の意識が成長しておらず、国全体としての大きな力を発揮できなかったと主張しています。同感です。

鄭大均は、日本人を母親に持つ在日韓国人二世で、殆ど日本人と言ってもいい人ですが、この人は「もういい加減に在日とかいってないで、帰化して日本人になろうではないか」のような語り口です。

朴一他「『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ」では、「マンガ嫌韓流」への反論です。複数の著者による共著です。多分全員日本人あるいは帰化人あるいは在日韓国人だと思います。少し読みましたが反論ですので、細かい議論はじっくり読まなければ、良否の判定ができません。

李栄薫は高名な韓国の経済史の教授のようで、従来の韓国の歴史教科書・歴史認識を歴史の歪曲として、韓国人としてのプライドをもって、冷静に様々な論文を引用して批判しています。

1979年~89年6冊からなる「解放前後史の認識」なる本が出版され、2002年から採用された高校の教科書はその記述の根拠をこの本によっています。

ここにある歪曲した歴史認識に危機感をもった金完燮は論文集「解放前後史の再認識」を編集し、更に「大韓民国の物語」では「再認識」に掲載された論文をもとに歴史教科書を批判しています。

すなわち、歴史教科書の思想は民族主義といわれるもので、韓民族の優秀性を謳ったり、民族を美化している。「いったい韓民族とは何か」との問いから初めて、これらの民族主義の無意味を指摘し、科学的歴史観を唱えます。

李朝の政治を批判する一方で、初代大統領・李承晩は韓国では評判が悪いが、彼でなければ大韓民国の統一と建設は不可能であったと、一定の評価をし、ここでも韓国史の通説・俗説を批判しています。

金完燮は韓国で迫害を受けているようですが、正しいと信じることを懸命に主張しているようです。

呉善花「スカートの風」

呉善花著「スカートの風」は1990年暮れに日本で出版されベストセラーになっています。呉善花のデビュー作です。今回のブログを含めて3回のブログ(「嫌韓流」、「悲しい日本人」、「スカートの風」)は時代を遡ることになります。ある意味「どうして?」という回答が遡ることでわかってくる部分があります。

呉善花は、1956年韓国済州島生まれ。韓国の大学を卒業、軍隊に4年勤務した後に、27歳でアメリカへの寄り道として来日。日韓の文化の違いから心の葛藤に苦しみますが、アルバイトをしながら、大学に通います。日本人ビジネスマンには韓国語を、韓国人ホステスには日本語を。来日7年、韓国人ホステスのドキュメントを撮る手伝いをすることから、韓国人ホステスの生き様を本にすることになります。

タイトルからして、風俗韓国ホステスの話と思っていましたが、内容はとても真摯な文化論というところです。

話は日本で働く韓国人ホステスから始まって、韓国での女の置かれた立場、李氏朝鮮のヤンパンとキーセンの関係から、日本人と韓国人の習慣や物の考え方の隔たりについての考察です。

 

韓国では男の子は大事にされるが、女は「いずれ他家に嫁ぐのだし」低く見られる。女の子は早く金持ちの家に嫁ぐか、それができなければ、親や男兄弟のために働くことが当然と見なされます。

現在(本を書いた当時)の韓国でも依然として、李氏朝鮮のものの考え方=儒教の原理主義が根強く残っていて、汗水たらして働くことは賤しいことだと考えられています。

教育も十分受けることができない、貧しい家の娘は工員として働くことになりますが、工員の賃金は安いので、それで足りなければ、結局多くの場合、水商売の道に入ることになります。

また離婚も女には不利で、離婚した女は行く場がなく、水商売に入る例が多いといいます。

彼女たちはもはや正式の結婚は望めないので、金持ちの愛人になることを夢見ます。

韓国ホステスの典型はこのような人たちだということです。

韓国の女は抑圧されていて、置かれている立場を逸脱すると、金持ちの愛人になることがセカンドベストの幸せと考えるのだと理解します。そうならないためには身を固くし、従順に家や夫に尽くさなければいけないのでしょう。そのような韓国人(田麗玉)からみれば、日本の女は尻軽にみえるのかも知れません。

この本では韓国ホステスの話から始まって、日韓のビジネスマンの比較、日韓の言語比較までしています。

韓国語には日本語以上に敬語があるが、謙譲語がないので、社外の人と話すとき、自分の上司についての話も敬語を使う。「社長さまは御出かけございます」。

また、日本語には受け身が多様される。
たとえば、「どろぼうに入られた」、「あなたに死なれるとこまる」。
これらの言葉づかいには、自分の非を暗示している。

しかし韓国語にはそもそも受け身がないので、すべて自分の主張になる。
「どろぼうが入った」。
ここには私の非はいっさ入らない。

言葉の面からも、日韓のものの見方感じ方に違いがある。

 

これを書いた時彼女が30歳前半だったのでしょうから、とても冷静な記述で敬服しました。

田麗玉「悲しい日本人」

日本寄りの韓国論を何冊か読みましたので、こんどは韓国人による反日日本論を読んでみました。

その一冊が田麗玉著「悲しい日本人」(原著タイトル「日本はない」、たま出版、1994年)です。

彼女は1991年から約2年、韓国放送局KBS(日本でいえばNHK相当?)の特派員として東京で生活し、帰国してから政治家に転向、ハンナラ党の広報責任者になりましたが、昨年の選挙で落選したようです。

この本は彼女が日本で経験したことをまとめたもので、1994年韓国で出版され100万部以上のベストセラーになったそうです。時系列的には、前回ご紹介した「嫌韓流」の10年前の出版です。(実は、その後盗作として訴えられ、最終的に敗訴しています)

彼女にとっては、日本での経験は不愉快なことが多かったようで、この本は鬱憤晴らしということでしょうか。ただし、その書きかたは感情的でとても知的とはいえません。

たとえば、地下鉄にのって「なんで日本女性はブスなんだろう」と思ったと書いていますが、ブスかどうかは彼女の美意識の問題かも知れませんし、だいたい、他人の身体的欠陥を本の中で「堂々と」書く人の人格を疑います。

何につけても日本人をこき下ろすのですが、人にはそれぞれ異なる価値観があるでしょうし、また、どこでもありそうなバカなことを捕まえて、「だから日本人はだめなのだ」という方向にもっていくのには辟易します。

「日本人をどうのこうのというけれど、韓国も同じではないの。もしかしたらあなたたちはもっと酷いのではないの」という気になります。

特に女性をボロクソに言いいます。「だいたい、日本は男尊女卑の国だ」といいいますが、韓国はそれ以上にひどい男尊女卑の国だと理解しています。

「『蝶々夫人』や『唐人お吉』は西洋人の妾なのに、なのを嬉しがっているのだ」と。

この本が出版された当時、イタリアで5人連れの日本人女学生が、一人のイタリア人に部屋に連れ込まれて、強姦された事件がありましたが、これも日本人の女がいかにバカかを証明するとてもいい材料になっています。

みんなで飲みに行って、「割り勘にするのはあり得ない。上司が全部払うものだ」(逆にいえば、韓国人は見栄っ張りで、金を借りても他人をもてなすときいています。とりあえず、文化の違いでしょう)

「仲間の飲み会でも女がお酌するのは下品だ」「よそに行ったとき、履物を帰るときのために、後ろ向きにそろえるのは馬鹿げている」

「イジメという日本の娯楽」という章があって、帰国子女がイジメらてているという話が書いてあります。確かに日本でのイジメは深刻です。

だけど、特にこの問題は韓国人にいう資格があるのだろうか。李朝での支配階級の平民・奴婢へのイジメ・虐待は、筆舌に尽くしがたいほどだったのです。

ともかく、様々のことについて、自分のことはそっちにおいて、他人を批判するこの人はいったいどうなったいるのだろう、と驚くばかりです。

人間の本性についての分析であったり、異国で出会った人々の観察だったりならいい、どこにでもあるバカな話やその国の習慣について。自分の尺度に照らして、その国全体を嘲笑するのはおぞましいというしかないのです。

また、酒の席で「日本人バカヤロー」と叫ぶのもあるだろうが、本にして国中が「そうだ。そうだ」と集団で叫ぶ。それをテコに国会議員になり党の主要ポストに就く、など呆れ果てるばかりです。(この本は20年前の出版ですので、現在は改善されているのならいいのですが…)

 

李御寧「『縮み』志向の日本人」(講談社学術文庫、1982年)という本を読みました。
日本でも幾つかの賞をとったようです。

この本は日本のいろいろな文化を緻密に考察して、とどのつまり「だから、日本人は矮小だ」といいます。

日本庭園も、折詰弁当も、俳句も、生け花も、人形も、トランジスタも。矮小化した日本だと。

だが考えてみれば、誰かがいっていましたが、これをもって「自然を愛する日本人」とも「繊細な日本人」とも、「創意工夫の日本人」とでもなんとでもいえるのです。

数年前流行った「謎かけ」芸人を思い出します。「日本人と掛けて…」、「縮み志向と解きます」その心は…

あらゆることを取り上げて、この二つの句を関連づけてみせます。これがお笑い芸なら笑って済ませますが、底意地の悪い日本人論では笑えません。

この本の底流にある「反日」を取り除けば、それなりの文明批判だとは思いますが、偏向した日本論にうやうやしく贈呈する、日本の賞とはいったい何なのでしょうか。

 

ともかく私が手にした、反日の議論は粗雑で相互理解の役には立ちません。

山野車輪「嫌韓流」

数年前確かNHKだったと思いますが、韓国の荒唐無稽な活劇時代劇が連続で放送されて面白く観ました。

私が観た韓国TVはこれ一本で、何故か他の韓流TVは見たことがありません。見ないのだからなんとも言えませんが、私には韓流TVは雰囲気的に「胡散臭い」感じがするのです。

日本の女たちが韓流に群がりますが、「なんと日本の女は平和ボケしているのだ」とあきれはて、「多分政治的に誰かが仕掛けているのだろうけど、それで日韓の理解が深まればいいか」とそれ以上に深く考えないできました。

多くの平均的な日本の男は、そのようにしてきたのではないでしょうか。

そんな訳で、私は日本女性の「韓流」、韓国人の「反日」は知っていましたが、「嫌韓流」は知りませんでした。

「嫌韓」は「2002 FIFA ワールドカップ」以降際立ってきたようです。すなわち、「2002 FIFA ワールドカップ」で韓国のプレーが「汚い」と、インターネットで若者が不満をぶつけたのがきっかけのようです。その前に多分、若者としては自分達に直接関係のないことなのに、いつまでも「反日」に晒されてうんざりしていたということ、また女たちの韓流に反発したという深層心理があったと思います。

そのもやもやを理論的にすっきりさせてくれたのが、2005年発行のマンガ「嫌韓流」だったのでしょう。(私は知りませんでしたが、もう10年近くも前のことです)

 

この本は当時大手新聞では広告掲載を拒否されましたが、それでもAmazonでは売上No1になります。(Amazonで売上No1は大変なことです)

今回Amazonでみると多くの賛同の声が載っています。

私もマンガ「嫌韓流」を買って読んでみました。結論から言えば、韓国嫌いの立場から「なぜ嫌いなのか」が比較的よくまとめられています。9話からなります。タイトルと簡単にその主張を紹介します。その他著者以外の識者の小論文がいくつかついています。

第一話 日韓共催ワールドカップの裏側
ワールドカップでの韓国選手のラフプレーと審判の誤審問題

第二話 戦後補償問題
戦後補償は終了している

第三話 在日・朝鮮人の来歴
強制連行説への疑問

第四話 日本文化を盗む韓国
剣道やサムライの起源は韓国だとか、ソメイヨシノが韓国原産だという主張に対する反論

第五話 反日マスコミの脅威
2003年石原新太郎東京都知事の発言を、真反対にとられるように編集したTBSへの疑問

第六話 ハングルと朝鮮人
ハングルが世界一優れた文字だといい、漢字をすてた韓国の方針への疑問

第七話 外国人参政権の問題
はっきりと反日を唱える外国人が多数住居する地域で彼らの参政権を認めると、日本の国益に反する事態が起こる可能性がある

第八話 日韓併合の真実
このブログでも書きましたが、日韓併合は「韓国が自力では独立できなかったからだ」等の話

第九話 日本領侵略 竹島問題
竹島が日本の領土だとの主張を過去の歴史、地図を使って説明しますが、複雑で私はまだ未消化です

 

マンガの絵はお世辞にもうまいとはいえないし、描きかたもえげつなく低俗感は否めませんが、議論は結構しっかりしています。

日韓問題の所在を知り、更に自分で関連書籍で勉強する、その第一歩としてはいい本だと思います。なによりもマンガなので、要点を簡単に知ることができます。続巻も4巻まで出ていますので、読んでみたいと思います。

 

韓国に「謝罪しろ。謝罪しろ」といわれて、訳も分からず、「すみません。すみません」といったり、韓流にキャーキャーいってはしゃぐより、はっきりと日本の立場を主張し、韓国がそれが誤っていると思うならなら反論する、というお互いの本音をぶつけ合う作業は、日韓が本当に理解しあうには、やらねばいけない健全な通過点だと思います。