月別アーカイブ: 2010年08月

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Refactor Pro!

我が家の朝顔

退院するとDeveloper Express社からメールが来ていました。
以下のようにVS2008をアンインストールしろというものです。

1) Completely uninstall DXperience.
2) Completely uninstall VS 2008.
3) Ensure that you’re running under an account with administrative privileges and install VS 2008 and DXperience v2010 vol 1.5 back.

VSのアドインの不調でVS本体をアンインストールしろはないだろう。
それによってどれだけ深刻なトラブルが起きるか考えたことがあるのか。
当然受け入れられません。

レジストリの中に以下のkeyが2ヶ所ありました。これを削除しました。
‘CodeRush;C:ProgramDataApplicationDataMicrosoftMSEnvSharedAddinsDevExpressToolsOrcas.Addin’,

また、VS2010用Refactor=[Refactor Pro!]はアドインではないようなので、
‘C:ProgramDataMicrosoftMSEnvSharedAddinsDevExpressToolsOrcas.Addin’
も削除。

これで現象としての不具合はなくなりました。
すなわち、VS2008起動時に変なメッセージは出なくなりました。

現状 [Refactor Pro!]はVS2010とVS2008で動作しています。
が、まったくどこからも使われていないVB2008用Refactorもインストールされたままです。

以前これを削除すると不具合が生じたのでそのままにしておくことにしました。

[Refactor Pro!]をまだ十分使っていませんが、
無料のVB2008用Refactorに比べれば機能が格段に多くなっています。
それにC#等沢山の言語に対応しているようです。
今後のプログラム開発に役立ってくれるだろうと楽しみにしています。

このソフトは$99で現在円高なので9000円弱で購入しました。
ユーザに対するライセンスなので自分で使う分にはどこでも使うことができます。

ついでですが、以前VS2010付属のInstallShieldに期待していると書きましたが、
試しましたところプロダクトキーのサポートがないようで、
企業内のインストールには問題ないかもしれませんが、市販パッケージ用にはつかえそうにありません。

インストールプログラムは今後多分昨年購入したInstallAwareを使います。
ただしWIXにも挑戦し何とかものにしたいと思います。

「カラマーゾフの兄弟」

8月3日遅く、妻が九州から駆けつけてくれました。

近くに住む次男は朝の早い仕事なので余り頼み事ができません。
長男は会社の帰りに遠回りして、
我が家によって頼んだ荷物を病院に持ってきてくれますが、
退社してからの作業なので、十分こちらの頼みたいことが通じません。

妻が来てくれたのでやっと安心しました。
(ただし、妻は実家の病院で代わる人がいないので、8日にはまた九州に帰りました)

病院にコンピュータを持ち込んで、AndroidとJoomlaの勉強をしようと思っていたのですが、
インターネットにつなぐことができなくて作業が進みません。

「ダ・ヴィンチ・コード」を読み終えたので、妻に私の魔法の本箱から、本を持ってきてもらいました。
妻が持ってきたのは、なんと「カラマーゾフの兄弟」です。
確か2年近く前に読もうとしたですが、ドストエフスキーのカッタルさに閉口して、
2冊目で投げ出していました。

話は、1代で財をなした、少々柄の悪い父フョードルとその3人の息子と下男、
それに彼らを取り巻く女たちの愛憎劇です。

長男ミーチャ - 退役軍人で父親と仲が悪い
次男イワン - 学生でクールな無神論者
三男アリョーシャ - 見習い(?)修道僧
下男スメルジャコフ - 癲癇(てんかん)もち、出生不詳、父はフョードルといわれる

3兄弟それぞれに恋人が絡み、父と長男が一人の女グルーシェンカを取り合う。
そんな中で父フョードルが殺害され、長男が逮捕され裁判にかけられる。

イワンは彼につきまとうスメルジャコフから、
「あなたが父親を殺したい」と思っていたから、私が代わりに実行したのだと告白される。
スメルジャコフは裁判の前日自殺し、イワンも精神に異常をきたす。

裁判では人々の予想を覆し、陪審員はミーチャに有罪判決をいいわたす。
ミーチャが流刑地に送られようとしている一方、
ミーチャの無実を信じ、
しかし自分がこの結果に追い込んだと、
負い目を感じる人たちが脱走計画を画策するところで小説は終わる。

実は小説はもう少しおまけが続きます。
ドストエフスキーは続編を構想していて、この部分は続編への序章と思われます。
しかし、本編完結直後彼は突然病を得て他界します。

この小説はおよそ明治10年(1879年から1880年)に雑誌の連載として発表されたものです。
時はロシア帝政末期、身分制度があり、人々は正式には貴族、僧侶、農民のいずれかに属していました。
当時のロシア人の階級意識も私たちからすると、想像するしかありません。
カラマーゾフ一族は貴族に属し、陪審員の何人かは農民であったという設定は暗示的です。

もう一つ私たち日本人に分かりにくいのは神の問題です。
「ダ・ヴィンチ・コード」とは異なる次元の話ですが、
「神は存在するのか」という西洋思想の根源的な問題意識があります。
ゲーテの「ファースト」は神に逆らい悪魔メフィストフェレスに魂を売り、
その代わりに地上の快楽を得ます。
イワンは苦悩します。
私たちはイワンとスメルジャコフの関係を、
ファーストとメフィストフェレスの関係に重ね合わせてしまいます。

更に読んでいてイラつくのは、話がアリョーシャの行動にそって語られるのですが、
語る「『わたし』がいったい誰なのか」ということです。
この小説の最も重要な問題「父親を殺したのは、誰だ」ということを、ぼやけさせています
(ドストエフスキーにとっては重要ではないのでしょう)。

「ドストエフスキーはとてもカッタルイ」と私は思っています。
真面目に文章を追って読んでいてはなかなか完読できません。
ゴチャゴチャしたところは読み飛ばさなければ、うんざりします。
今回退院や雑用の合間をみて、1週間あまりで2巻から5巻まで読みましたが、
これでちょうどいいと思います。

これくらいのスピードで読むと、小説の全体像が分かってきます。
勿論詳細は分かっていませんが、「後は気になるところを読み返すのがいいのかな」と思います。
すっ飛ばして読んでみて、「様々なテーマを取り上げ、構成のしっかりした、面白い小説だ」という感想を持ちました。

イギリスの哲学者ウィトゲンシュタインは「50回以上読んでそらんじている」ということです。

評判になった亀山訳は誤訳が多いと批判があるようですが、
私たちには、そのような議論はどうでもよいことで、
それより、アリョーシャが子供と話す部分もすべて丁寧語で、その方が気になりました。

入院中一番心配したのは、孫に見せようと植えたベランダの朝顔です。

水遣りは妻がいる間はいいのですが、
いないときは長男に頼んだり次男に頼んだり、スケジュールに気を使いました。

おかげで毎朝大輪の青い朝顔をみることができるのは少し幸せな気分です。

治療経過そして退院

先月29日入院以来朝晩抗生物質の点滴を受け、24時間鼻から酸素の吸引をしました。治療はこれだけで、だいたい一日おきに血液とレントゲン検査をします。

月日
白血球数
赤血球数
CRP
GOT
GPT
35~94
376~493
0.3以下
8~38
4~44
7月29日
113
462
6.35
16
6
7月31日
88
430
16.26
29
26
8月2日
78
416
14.11
50
111
8月4日
72
410
10.50
24
73
8月9日
61
416
2.68
14
27
8月11日
59
400
1.21
14
22

肺炎なので当然ですが白血球数は入院当初高い値を示していました。
が、早くも治療3日目には抗生物質が効いてきたようです。ただしその代わり肝臓にダメージを与え、8月2日には GOTの値が跳ね上がりました。その日から肝臓を保護する薬の注射が始まり、8月9日にはこれも押さえ込みに成功です。

ただCRPという炎症反応値は高いままです。これがなかなか下がりません。

主治医が肺に水が溜まったいるようだと、8月5日肺の水を抜きました。
当然初めての経験ですが、病室のベッドのそばの丸椅子に座って背中から針を刺し
およそ700mlの胸水を抜きました。
350ml缶ビール2本分です。水とはどのようなものなのだろうと興味津々でしたが、半透明で血液が少し混じって桃色でした。例えようが分かりませんが、想像していたたとえば痰のようなものではありませんでした。

肺にダメージがあるので、「酸素」が一つの肺機能測定のバロメータで、入院以来ずっと酸素を鼻から吸入していましたが、体内に取り込んだ量を示す数値がなかなか改善しません。健常者では97から100の値をとるようですが、私は酸素吸入してやっと95を超える程度です。

入院当初少し大きく呼吸すると、肺が引っ張られる感覚がありましたが、胸水を採って2日目あたりから、呼吸が楽になりました。

体温は朝は平熱ですが、夕方に微熱がでる状態でしたが、入院10日目あたりから37度を切るようになりました。

酸素吸入なしでなんとか96を超えることを確認し、8月10日酸素を外ました。

胸水を抜いたとき一部を細菌の検査に出していましたが、「問題なし」との回答が返って来ました。とても心配していたのでほっとしました。

2才になったばかりのお気に入りの孫が見舞いにきてくれました。元気が出ました。

孫が見舞いに来てくれました
孫が見舞いに来てくれました

11日血液検査をして、CRPがまだ少し高いのですが、退院になりました。

ほぼ2週間の入院でした。この間エアコンの効いた病室にいましたので、
外界の暑さがまだひどいのか心配です。

なにはともあれ退院はうれしいものです。

「ダ・ヴィンチ・コード」

実は私は独り暮らしをしています。
妻は遠く九州の実家の病院に手伝いに行っていますし、
息子二人は近くで所帯を持っています。

入院が決まったのは29日のもう6時頃だったかもしれません。
次男は近くに住んでいるのですが、朝が早いので今からいろいろ頼むのは無理です。
長男がちょうど車で帰宅途中だったので、我が家に寄り必要なものを持ってきてもらいました。
妻は実家の病院で会計と給食を担当していますので、
月末月初は動きがとれずそれでも3日には、こちらに来てくれる手はずを採ってくれました。

治療は抗生物質を朝晩点滴し、ひたすら薬の効力に期待するだけです。

息子に衣類と一緒に買い置きしていた文庫本を持ってきてもらいました。
彼が私の書棚から見繕って持ってきたのは「ダ・ヴィンチ・コード」。
私が1年位前に買って本箱に放りこんでいたものです。
最初の方は確かに読んだ記憶があります。

ともかく読み始めました。
まず、驚いたのは著者の薀蓄のすごさです。
この話はキリスト教の根深い部分を題材にしています。
話は丸一昼夜の出来事です(多分)。
私も正味丸一昼夜程度で読み飛ばしましたので、細かい部分を理解していません。
間違っているかもしれません。次ぎのようなものです。

原始キリスト教では女性を尊重し、
キリスト自身も妻帯者であり、夫婦ともにそれなりの家系の出だった。
(女性の地位がキリスト教では大問題であり、この小説の重要なテーマである)。

下って1099年十字軍の指揮官がエルサレムに就き、
一族の持つ強大な秘密を後世に引き継ごうとシオン修道会を設立。
その秘密の中にソロモン王の秘宝の所在を記したものがあり、
事実であった(らしい)ことから秘密の信憑性が高まる。
シオン修道会はテンプル騎士団を組織し、秘密裏に本格的に財宝探しをさせる。
テンプル騎士団は成果をあげ強力な力を持つことになり、
ローマ教会さえも手に負えなくなる。

遂にローマ教皇クレメンス5世はフランス王の力を借り、
ヨーロッパ全土に極秘の命令書を発信。
テンプル騎士団を異端とし、「1307年10月13日をもって完全に殲滅せよ」
「あらゆる手段を使って、秘密の財宝を探し出せ」というものであった。
こうして同日をもって凄惨な血の粛清が決行された。
有名な13日の金曜日である。

ローマ教皇=バチカンはこれを機にキリスト教の再構築を計る。
それまで語り継がれた福音書の都合のいいもののみを聖書として取り入れ、
ほかは異端として弾圧していく。
イエス・キリストは血の通った人間の子ではなく「神の子」であり、
イエスに近づいてきた女マリアは妻ではなく娼婦であった。
数世紀にも亘って魔女狩りをし、女性の地位の格下げを行った。

しかしテンプル騎士団を完全には抹殺することはできなかったし、
シオン修道会は秘密結社としてその後も存続していた。
そしてかれらは、バチカンの数々の悪行の証拠を隠しもっているといわれていた。

実はシオン修道会の総長には、ダ・ヴィンチをはじめ多数の著名人が就任していた。
ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、キリストと12人の弟子の絵として知られているが、
実はこの絵でキリストの右隣の人物は女性で、
これこそがキリストの妻マグダラのマリアだというのである
(著者が、もちろんダ・ヴィンチが、と著者が主張)。

シオン派が過去の歴史を公表するといううわさが流れる(過去なんども)。
公表されればキリスト教世界の根底を揺るがす大事件である。
証拠の隠し場所を守ろうとする一派とそれを暴き完全に抹殺しようとする一派との
緊迫した状況を迎えている(真実は分からないが)。

この状況のなかで、バチカンから「カルト」として追放されようとしている教団がある。
そしてこれを利用しようとする黒幕=導師が登場する。

ある日(の夜から)、
ハーバード大学宗教象徴学教授ラングトンと、フランス司法警察暗号解読官ソフィア・ヌヴーが、
一昼夜のドタバタ劇を演じる。

もちろんここで話しの展開を書くのはマナー違反だから書かないが、
わたしは、これは日本漫画の劇画かと思いました(劇画についてほとんど何も知らないのですが)。

これは面白いというのでしょうか。
登場人物はどれも怪しく、「そんなことあり?」ということ多々あり、
話がいいところになると必ず場面が切り替わり、
テレビの番組ではあるまいに、「馬鹿にしているの?」といらだちます。

昔読んだシドニー・シェルダンの「ゲームの達人」の方が面白かったように思います。
(8月2日病床にて)

また入院しました

7月の下旬は、35度近くの猛暑日が続きました。
私は極力日中は外出しないようにし、夜寝るときはエアコンをつけて寝るのが常でした。
エアコンは余り使いたくないので、タイマーをできるだけ短い時間に設定していました。
7月28日は気温が下がり、夜も久しぶりに熱帯夜をまぬがれました。
「これでやっとエアコンのお世話にならなくてゆっくり休める」というところですが、そうはいきません。

私は高層住宅の9階に住んでいますが、
周りに高い建物がなく、時として猛烈な強風に吹きさらされされます。
当日もそういう日でした。
普通に開口をあけると、家の中は台風状態です。
室内の風の強さに合わせて開口の幅を調節すると、
南か北の何れかの開口でピューピュー音がして、のんびりしている状態ではありません。

そんな訳で当日は、窓をしめてエアコンをせずに休みました。
翌29日朝から体調が優れません。
実はその日は、掛かりつけの総合病院の皮膚科に薬をもらいに行くことにしていました。
午前は患者が多いので午後に行くことにしました。

体調がおかしいので朝から何度も検温しましたが、
毎回38度近くの値を示します。
私は滅多に熱を出さないのでただごとではないと直感しました。
「熱中症に罹ったな」と思い、予定通り病院に行き、皮膚科、内科と順番に診てもらいました。
内科はいつものことでずいぶん待たされて、診察をうけました。
「CTを撮ります」

再度診察室に呼ばれたときは、内科の受付をして4時間になろうとしていました。
「こんなに待たせて」私はまず文句をいいました。

医師はそれには返答しないで、
「肺炎ですね。すぐ入院です」
えっ「何日くらいですか」
「10日から2週間」です。

今回は入院の準備もないまま、
1日もベッドを離れることができなく、
やっと本日11日退院しました。