「シュリーマン旅行記 清国・日本」

ハインリヒ・シュリーマン著[シュリーマン旅行記 清国・日本](廣済堂 1998年)を読みました。

シュリーマンといえば、トロイアの発掘で有名です。
彼は1822年ドイツに生まれ、家が貧しかったので、高等教育を受けられず、職を転々としますが、商売に成功して、幼いころの夢であった発掘調査を開始し、歴史的な発掘を成し遂げます。

私も彼の生き様にはある種憧憬の念を抱いていましたが、Wikipediaでは美談ばかりではなく、多少批判的に書いています。

1863年、事業をたたんで世界漫遊の旅にでます。トロイアの発掘はそれから数年後のことです。インドから海路、香港、上海、北京、万里の長城へ行き、1865年幕末の日本にきています。

日本では横浜、八王子、江戸への旅をしますが、幕末、日本は開国するかどうかで大きく揺れていた時代です。
開国反対の攘夷論者が外国人の命を狙って事件をおこします。
それでも好奇心の旺盛なシュリーマンは、江戸に唯一開かれていたアメリカ公司を頼って貪欲に日本の旅をしています。

 

さて、シュリーマンは万里の長城を見るため、上海、天津から北京に入り、長城に向かいますが、その途中で見るもの聞くものを書きとめています。

天津の近くにはフランスとイギリスの要塞があります。

天津はとても汚い町で、汚さでは世界の筆頭に挙げられると書いています。
さらに北京に入りますが、北京を囲む堂々たる城壁に比べ、北京もまた世界でもっとも不潔な街だといいます。

北京で見たものは…
汚い町の汚い人々。首枷をつけられ自由の利かない罪人。刑場でさらされた首。纏足を施された女性。壮大な建物も手入れが悪く、朽ち果てるままです。

どこに行っても、陽光を遮り、呼吸を苦しくさせるひどい埃に襲われ、まったくの裸か惨めなぼろをまとっただけの乞食につきまとわれる。どの乞食もハンセン病を患っているか、胸の悪くなるような傷に覆われている。彼らは痩せこけた手を天に上げながら、跪いて額を地にこすりつけ、大声で施物をねだる。

異様な光景はこのくらいにしておきます。

長城に向けて旅立ちます。途中一泊して長城は一人での挑戦です。

ふもとの町で、旅の目的を聞かれて、「長城をみることだ」とこたえたら、「石をみるために長く辛い旅をするなんてなんと馬鹿な男だろう」と笑われます。

シュリーマンは、「どうしてもしなければいけない仕事以外、疲れることはいっさいしないというのがシナ人気質である」と感想を書いています。

長城の行けるころまで行きます。到るところで崩れていたり、急峻な道であったりしますが、ご本人にしてみればとても感動した長城見学でした。

長城にしても北京の街にしてみても、過去のすばらしい建造物をどうしてこれほど無関心に放置するのだろうと、不思議に思います。

シュリーマンは演劇に興味があって、中国でも日本でも観劇しています。中国では、お金を出せば、300もある演目の中から希望するものをその場で決めることができ、演者が見事に演じることに大変驚いています。ただし、音楽は全くなじめません。

港ではジャンクに乗った海賊が横行し、香港ではデンマーク船や、スペインの大型船が襲われています。香港を発って行方知れずになる商船の9割は、海賊に襲われたのだといっています。

 

シュリーマンは上海から日本に向かいます。

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