田麗玉「悲しい日本人」

日本寄りの韓国論を何冊か読みましたので、こんどは韓国人による反日日本論を読んでみました。

その一冊が田麗玉著「悲しい日本人」(原著タイトル「日本はない」、たま出版、1994年)です。

彼女は1991年から約2年、韓国放送局KBS(日本でいえばNHK相当?)の特派員として東京で生活し、帰国してから政治家に転向、ハンナラ党の広報責任者になりましたが、昨年の選挙で落選したようです。

この本は彼女が日本で経験したことをまとめたもので、1994年韓国で出版され100万部以上のベストセラーになったそうです。時系列的には、前回ご紹介した「嫌韓流」の10年前の出版です。(実は、その後盗作として訴えられ、最終的に敗訴しています)

彼女にとっては、日本での経験は不愉快なことが多かったようで、この本は鬱憤晴らしということでしょうか。ただし、その書きかたは感情的でとても知的とはいえません。

たとえば、地下鉄にのって「なんで日本女性はブスなんだろう」と思ったと書いていますが、ブスかどうかは彼女の美意識の問題かも知れませんし、だいたい、他人の身体的欠陥を本の中で「堂々と」書く人の人格を疑います。

何につけても日本人をこき下ろすのですが、人にはそれぞれ異なる価値観があるでしょうし、また、どこでもありそうなバカなことを捕まえて、「だから日本人はだめなのだ」という方向にもっていくのには辟易します。

「日本人をどうのこうのというけれど、韓国も同じではないの。もしかしたらあなたたちはもっと酷いのではないの」という気になります。

特に女性をボロクソに言いいます。「だいたい、日本は男尊女卑の国だ」といいいますが、韓国はそれ以上にひどい男尊女卑の国だと理解しています。

「『蝶々夫人』や『唐人お吉』は西洋人の妾なのに、なのを嬉しがっているのだ」と。

この本が出版された当時、イタリアで5人連れの日本人女学生が、一人のイタリア人に部屋に連れ込まれて、強姦された事件がありましたが、これも日本人の女がいかにバカかを証明するとてもいい材料になっています。

みんなで飲みに行って、「割り勘にするのはあり得ない。上司が全部払うものだ」(逆にいえば、韓国人は見栄っ張りで、金を借りても他人をもてなすときいています。とりあえず、文化の違いでしょう)

「仲間の飲み会でも女がお酌するのは下品だ」「よそに行ったとき、履物を帰るときのために、後ろ向きにそろえるのは馬鹿げている」

「イジメという日本の娯楽」という章があって、帰国子女がイジメらてているという話が書いてあります。確かに日本でのイジメは深刻です。

だけど、特にこの問題は韓国人にいう資格があるのだろうか。李朝での支配階級の平民・奴婢へのイジメ・虐待は、筆舌に尽くしがたいほどだったのです。

ともかく、様々のことについて、自分のことはそっちにおいて、他人を批判するこの人はいったいどうなったいるのだろう、と驚くばかりです。

人間の本性についての分析であったり、異国で出会った人々の観察だったりならいい、どこにでもあるバカな話やその国の習慣について。自分の尺度に照らして、その国全体を嘲笑するのはおぞましいというしかないのです。

また、酒の席で「日本人バカヤロー」と叫ぶのもあるだろうが、本にして国中が「そうだ。そうだ」と集団で叫ぶ。それをテコに国会議員になり党の主要ポストに就く、など呆れ果てるばかりです。(この本は20年前の出版ですので、現在は改善されているのならいいのですが…)

 

李御寧「『縮み』志向の日本人」(講談社学術文庫、1982年)という本を読みました。
日本でも幾つかの賞をとったようです。

この本は日本のいろいろな文化を緻密に考察して、とどのつまり「だから、日本人は矮小だ」といいます。

日本庭園も、折詰弁当も、俳句も、生け花も、人形も、トランジスタも。矮小化した日本だと。

だが考えてみれば、誰かがいっていましたが、これをもって「自然を愛する日本人」とも「繊細な日本人」とも、「創意工夫の日本人」とでもなんとでもいえるのです。

数年前流行った「謎かけ」芸人を思い出します。「日本人と掛けて…」、「縮み志向と解きます」その心は…

あらゆることを取り上げて、この二つの句を関連づけてみせます。これがお笑い芸なら笑って済ませますが、底意地の悪い日本人論では笑えません。

この本の底流にある「反日」を取り除けば、それなりの文明批判だとは思いますが、偏向した日本論にうやうやしく贈呈する、日本の賞とはいったい何なのでしょうか。

 

ともかく私が手にした、反日の議論は粗雑で相互理解の役には立ちません。

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