歴史認識

韓国は事あるごとに、日本に歴史認識の問題を出します。

「進歩的」政治家はその都度謝罪していますが、いったいなにについて謝罪するのでしょうか。

私はこれまで不勉強で韓国のことを全くと言っていいほど知らなかったので、戦前の日帝軍国主義が韓国に迷惑をかけて「申し訳ないことをした」と漠然と思っていました。しかし今回、朝鮮・韓国について少し勉強してみて、「そんな単純な話ではない」と思っています。

イザベラ・バードの[朝鮮紀行]を読んで驚いたのですが、すでに明治の時代には強力な[反日]感情があったのです。

原因はどうやら、16世紀末の秀吉の[文禄・慶長の役]のようです。
秀吉は朝鮮に攻め入り、一時平城のあたりまで侵攻し、朝鮮に多大の被害を出したのだろうと想像しますが、半島と日本列島の間にはそれよりずっと前から、長い闘争の歴史があったのです。戦争というほど大規模ではない小規模な戦闘や海賊たちによる暴力はお互いにやっていました。

秀吉から遡ること300年、蒙古と朝鮮(高麗)の連合軍・元寇が日本を襲撃しました。鎌倉幕府は本土侵攻をなんとか食い止めましたが、対馬や壱岐では多くの人が殺戮にあっています。

その後元寇への報復として、日本人は朝鮮を攻撃し、倭寇として沿岸の人々は恐れます。ただし後には「倭寇」と称して朝鮮人も朝鮮や東アジアの各地を荒らしまわっていました。

そして秀吉の朝鮮侵攻です。

要は、秀吉の時代あるいはそれ以前には、どちらもお互いを侵略し、侵略されていたのです。当時の弱肉強食の「食うか食われるか」の時代のことを、後になって全く異なる社会体制から、単純にどちらがいいとか悪いとかいうことはできません。

それに日本が元寇の本土侵攻を食い止め、逆に朝鮮が侵攻を食い止められなかったのは、国の軍事力の差であり、時の運だったのです。
本土にまで侵攻した方が悪くて、本土侵攻をしなかった(できなかった)からよかったのだとはいえません。

これらの過去のことを理由に、なぜ韓国・朝鮮が一方的に日本を非難するのか。不当なことだと思います。

元寇が攻めてきた時の鎌倉幕府と、秀吉が攻めた時の李氏朝鮮とでは、国を守る軍事力とその気構えがまったく違っていました。
高麗の重臣であった李成桂が、国を裏切り敵対していた中国・明の力を借りて、自分の国・朝鮮を興した歴史から、朝鮮は中国への隷属の姿勢を続けたことと、自分が起こしたクーデターが今度は自分に対して起こることを恐れて、軍事力を最小にしていたのです。

次に言いたいのは、歴史認識はすべてとは言わないが「結構いい加減だ」ということです。

蒙古襲来では、神風のお蔭で日本が勝利したと聞かされていましたが、今、Wikipediaを見ると台風のおかげで日本が勝利したのではないということです。また、韓国では元寇そのものがなかったことになっているようですし、更にいえば、韓国は一度も日本に侵攻したことがないことになっているそうです。

慰安婦問題や強制連行の問題については、韓国の主張とは異なる見解があります。
WEBにはたくさんの反論があります。

少なくとも数万人(一説には20万人)の慰安婦が強制的に駆り出されという話は不自然です。当時の新聞には、慰安婦募集の広告があって、月収300円になっています。当時の女工の月収は30円程度だったということですから、これは「いわゆる」慰安婦の募集だと思わない方がどうかしています。

男子の強制連行にしても、半島で日本国内での労働者の募集をしたが、沢山の応募があって、募集の締切をしたという話があります。戦前には200万人の韓国人が日本に来ていたということですが、これらが強制連行だとは考えられません。

戦争で悲惨な事件や残虐な行為がまったくなかったとは考えられませんが、逆に大量の組織的行為があったとも考えにくいことです。

 

専門家の間でも意見が分かれる歴史問題に、私たちは正確にその真偽を判定することはできません。卑近な例でいえば、ごく最近発生した刑事事件でさえ、被告が否定した場合は有罪か・無罪かの判定は難しいことです。

歴史上の事実については、多くの人の話を聞いて、どちらが真実かを「推測する」しかありません。

それにしても、国のありようを決めていく国会議員は、この問題をどれほど勉強して「あれこれ」いっているのだろうかと疑っています。

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