韓国論 1

この一連のブログは、軽い気持ちで、黄文雄著「中国・韓国が死んでも教えない近現代史」の感想文を書くつもりで始めましたが、この問題はその程度で済ますほど簡単なことではないと、他に数冊の本を読んでみました。

黄文雄著著 「日本人はなぜ 中国人、韓国人と これほどまで 違うのか」
崔基高著 「日韓併合」
拳骨拓史著「朝鮮人に不都合な半島の歴史」
金文学著 「韓国人に告ぐ」
金文学著 「中国人による 中国人大批判」

黄文雄は台湾人、崔基高(名前の「高」は正しくは金偏です)は韓国人、拳骨拓史は日本人、金文学は中国で生まれた韓国人3世です。

これらの本は、何れも日本寄りですが、それにしても、これらの本を読んで一番思うのは、
「日本と中国および韓民族間の思考方法が大きく異なり、本当に理解しあうことができるのだろうか。
『話せば分かる』というのはあまりに楽観的ではないか」ということです。

実は、私は戦前韓国・京城(現ソール)で生まれ、戦後日本に帰ってきましたが、まだ小さかったし、韓国および韓国人については雰囲気としては感じていましたが、もやもやとした「感じ」があるだけで、実際にはどのようなことであったのか、一切知りませんでした。

ただ「なぜ?」という疑問だけありました。
なぜ日本人は韓国人を蔑視したのか。
なぜ中国人や韓国人はあれほど感情的で、いつまでも「反日」なのか。

今回数冊の本を読んで、私のもやもやが、「なるほどそういうことか」と納得しています。

私たちは、あらゆる歴史を追体験することはできない訳で、自分の実体験とそれに関連する「知識」で、事実を推測するしかありません。

もしかしたら、私の「なるほど」は間違っているかもしれないが、今のところ私は「おおむね正しく理解した」と思っています。

上の本は韓国人をこき下ろしていますが、とりあえず冷静に整理すると、こうです。

 

そもそも、朝鮮民族の精神構造は、非常に感情的で排他的・自己中心的であり、基本的な行動規範は、「事大主義」=「大なるものには従がわなけばいけない」であった。

朝鮮半島の歴史でいえば、古くから中国の支配下に置かれ、朝鮮の歴史のほとんどが、中国の属国としての歴史であった。

その間一度も中国に反撃したことはなく、ずっと属国に甘んじ、中国の文物を絶対的に受け入れ、それを頑なに守ってきた。

分かりやすくいえば、朝鮮は中国に対して親分・子分の立場を続けた。

さらに中国から伝わった儒教が事大主義を助長したのだが、儒教は保守色が強く、身分制度を肯定し、「働くことは賤しいことだ」という考えであったので、上流階級の人々は働かず、社会は発展しなかった。

商業は賤しいとされたので、貨幣経済も機能せず、産業も発展せず、道路らしい道路、橋らしい橋もなかった。
またオンドル=暖房で樹木を伐採し、その後植林することもないので、山野は荒廃していた。
町村では衛生観念に乏しく、糞尿は道端に垂れ流されていた。

一方、朝鮮は基本的には鎖国を敷いていたので、外国の状況も知らず、気位が高く、朝鮮人こそ優秀で、日本は野蛮国だから、日本の文化・文明はすべて朝鮮人が教えてやったのだと考えていた(今も?)。

日清戦争で日本が中国に勝利したことで、朝鮮は中国の呪縛から解放され、独立し大韓帝国と国の名前をかえた。

1910年日本は韓国を併合したが、日本統治は、全面戦争ではなく、契約によるものであったし、植民地として韓国を搾取したのではなく、日本の延長として半島を経営した。

すなわち、日本は韓国で道路・鉄道等のインフラを建設し、教育を改革し、農業を改革しさらには化学・紡績・金属等の工業を興した。日本が韓国に投資した金額は、当時の韓国の歳入の半分以上に相当する莫大な資金であったが、これはまさに、日本国内からのお金であった。これによって、韓国は近代化をスタートをしたのであって、その証拠となる数字を一つあげるとすれば、日韓併合の30年あまりで韓国の人口は倍増した。
(このあたりのデータは、崔基高著「日韓併合」に詳しい)

日本の韓国統治がボランティアであろう筈がなく、また、「天使のような気持ちからであって、清廉潔白だ」ということはあり得ないと思うが、とはいえ、日本が見ていたその先になにがあったとしても、日本が韓国を搾取したのではないことだけは確かだと思う。

こういう状況を過ごしてきて、日本が韓国人を差別・蔑視し、一方の韓国が反日に走った状況は容易に想像できる。

 

従軍慰安婦や日本による強制連行は実際にはどうだったか、私なりの考え・推測があるが、その前に、韓国側から見た状況判断はどうなのか、少し勉強してみたいと思います。

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