確か夏目漱石に「それから」という小説がありました。内容は忘れました。
このブログの終了を宣言して半年以上経ちますが、いまだに毎日たくさんの方がこのブログを覗いてくださっています。
だからといって私に何の責任もないのですが、なんだかまた続けなければいけない気持ちになって、書くことがあれば続けてみようかと思います(気ままに)。
さて私の毎日は大して変化がありません。もうほとんど出来上がっているソフトを何度も何度もテストし、「もう少しよくならないか」と書き直しています。「多分これは私の最後の仕事になるのだろうな」と予感しながら。
話は違いますが、以前書きましたが、私は肺に陰を持っていて、それと関係があるのかないのか、昨年2月に血液検査でPro-GRPなるマーカーの値が正常値の3倍近くありました。
これは肺の小細胞癌のマーカーだそうです。ただし小細胞癌は数週間で大きくなるらしいのですが、私は数か月それらしい変化がありません。
CTを3度撮り、血液と痰の検査を何度も繰り返すのですが、マーカーが高いことの他は癌の兆候がありません。
この間ずっと近くの総合病院(今K病院といいます)にかかっていたのですが、専門医も「よくわからない」と、「がんセンターに行ってくれ」とのこと。
昨年の暮れ近くにあるがんセンターに行きました。我が家から車で10分程度のところで、羽田からの高速バスが止まるので、九州から帰ってくる妻を何度か迎えに行ったところです。これまでは中に用があった訳ではないので、外観はよく知っていたのですが、中に入ったことはありませんでした。
国立(今は独立行政法人だと思います)で、広い病院の中には、そこら中沢山の患者が不安げな顔で(私にはそのように見えました)、順番を待っています。世の中にはこんなに沢山の癌患者がいるのだと実感しました。
今はどの病院も同じですがとても丁寧な対応です。(当然といえば当然ですが、癌に関する設備はやはり充実しています)
K病院からの紹介状とCT画像のCDをもって、初診を受け、結局PETを受けることになりました。
ブドウ糖は腫瘍に集まる性質があるそうで、ブドウ糖の注射の後、全身と特に肺の放射線写真を撮りました。
ここでも癌の兆候を確認できなかったため、胃カメラの撮影に臨みました。
さすががんセンターというべきか、丁寧に何度も何度も内視鏡を胃に深く挿入したり、のど元まで抜き出したり、胃カメラはこれまで何回か経験していますが、今回ばかりは少し大変でした。
しかしここでも兆候がありません。
それではといよいよ肺(気管支)にカメラを入れることになりました。これは私は初めての経験で、「内視鏡を肺に入れると、いったい息ができるものか」ととても緊張しました。
気体状の麻酔薬をたっぷり吸いこみ、肺の内視鏡検査を受けました。
胃カメラと違って仰向けに寝て、胃カメラよりも細いケーブルを肺の中に挿入します。呼吸はまったく阻害されないのですが、何せ緊張のせいで息苦しい状態でした。
大きく息を吸うと呼吸も楽になりましたが、組織を摘出したら多量の出血があったらしく、その処置に時間がかかり、そのため痰がからんできて、後半は少し苦しくなりました。
ケーブルを取り出し終了しましたが、やはり痰とともに血液がでてきました。
これも止血剤と抗生物質の服用で3日程度で止まり、「想像したよりもきつくはなかったかな」という感想です。
結局「肺がんではないようですね」という結論をもらいました。少し辛い目にあいましたが、「まあ不安を抱えているより、良しとするか」と考えています。
ただし、PRO-GRPはなぜ高いのかわかっていません。医者は「こういうこともある」というのですが…
「それにしてもたくさんの放射線を浴びてしまった」「もうしばらくX線はごめんこうむりたいものだ」と思っています。