カナダへ

2度目の旅はナイアガラからモントリオールまでの旅です。

ビッツバーグから北上してバッファローからナイアガラに行きました。
エリー湖からオンタリオ湖へ満々と流れる川の上流から滝に近づきました。
写真でよく見る、しかし現物では初めて見る大きな滝です。
それまでナイアガラは森の奥深くにあるのだと思っていましたが、
周りにはたくさん建物があって、その意味ではすこし興ざめでした。

ナイアガラから川をはさんで向こうはもうカナダです。
入管ゲートを通りカナダの地に入りました。特に何の検査もなかったと思います。

実はカナダ側に渡ってから滝を見たのか、渡る前に滝をみたのかよく覚えていません。
地図をみると入管をすませてから、滝をみたのかもしれません。

アメリカはヤード・ポンド法ですが、カナダはメートル法です。
カナダの高速道路の制限速度がアメリカより高速で確か100K位で、
みんなブンブン飛ばします。
それに道がアメリカに比べでよくなく、
マナーもよくないので、アメリカで走っているより緊張しました。

カナダで最初に宿泊したのはトロントでした。
確か球形の展望台のある高い塔が印象的な街です。

ここで2歳になったばかりの下の息子が病気になりました。
妻は三日麻疹だと判断していました。

私はまず体温計を買いに薬局に行きましたが、
体温計を英語でなんというのが分かりません。
確か[Temperature]とかなんとかいったと思いますが、
何とか通じて引出の奥から体温計を探し出してくれて、
「お代は良いよ」みたいなことで、無料でもらったと思います。

大きな病院に連れて行きましたが、
息子は乳児の時おしりにおできができて、
医者が麻酔もせず手でつぶした時の痛みを覚えていて、
白衣を見るとギャーギャー泣き叫びます。

「三日麻疹だと思う」という英語も分からず、
どんな治療をしてもらったのかも忘れましたが、
多分妻の診断通り熱も下がり、様子を見ながら旅をつづけました。

旅は大人の(私の)ペースしか考えていないで、
1日500K位の移動は幼い息子たちには苦痛のようで、
いつもいつも後ろの席で喧嘩していました。

オタワを経由してモントリオールまでいきましたが、
モントリオールに行った理由は、
何年か前に開催された万博で作られたフラー・ドームを見たかったからです

川の中州に建てられていて、川の対岸からは見たのですが、
カーナビなどない時代でしたので近づく道が分からないし、
また病気の息子も気がかりでしたので、遠目で見ただけで済ましました。

ガラス張りのまん丸いドームは思ったより小さい印象を受けました。
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モントリオールからの帰りに、ニューヨーク州のイサカに寄りました。
最初期の3次元アニメを作成したコーネル大学があったからです。
その年の前年にオハイオ州立大学で開催された研究会で、
コーネル大学のグリーンバーグ教授が発表した、
大学の構内を移動する3次元アニメは大変衝撃的で、
初めて聞いたコーネル大学がどんなところにあるのか見たかったのです。

研究会の前日ホームパーティがあって、
カーネギー・メロン大学のイーストマン教授が、
日本から研究者が来ていると話したのかも知れません。
気難しそうなグリーンバーグ教授は講演の中で、
「3年すれば日本が追いついてくるし、
5年すればドイツが追いついてくる」(年数については記憶があいまいです)
のようなことをいっていましたが、
今や全世界で3Dグラフィックは「普通」になってきました。

帰途、モントリオールからオンタリオ湖に続く美しい川沿いの道を進み、
オンタリオ湖の手前で南下して、人家もないようなところを何マイルも走って、
とても神秘的な湖のほとりの「ど田舎の」高台にその町と大学はありました。
研究室に寄りたい気持ちもありましたが、気難しそうな教授の顔を思い浮かべて、
研究室には寄りませんでした。
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アメリカへ行って感じたことは、
日本では「何がなんでも、東京にいかなければダメ」のような、
全てにわたって中央集権国家ですが、
「アメリカはまったく逆だな」ということです。

グラフィックで有名なユタ大学も(私は行きませんでしたが)、
大都市からは遠い町(ソルトレークシティ)にあります。
アメリカからの帰りに寄った、スタンフォード大学も町から離れたところにありました。
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日本は日本人は大きなものに寄りかかろうとしますが、
アメリカ人は独立心が強く、
自分の信念に従ってやっていくという精神構造は見習わなければいけない。
と深く感じました。

それも随分昔のことです。

私の人生に少しは影響したかも知れません。

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