人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり

信長が好んだという能「敦盛」の一節。
「人生は、天の摂理に比べればたった一日の出来事。夢幻の如くだ」と。

人は愛し、悩み、挫折し、
成功し、失敗し、
泣き、笑い、沢山のことをしてきたようだけど、どうってことはない。
夢のようだと。

されど人生。

私は男ばかり6人兄弟の4番目です。
建築関係の職人一家でしたので、若い頃は家に勢いがありましたが、
兄弟はこの10数年で次々に他界し残ったのは私一人になりました。
さみしい限りです。

私は兄弟の中でひ弱な方だったので、私が最後まで生き延びるとは思いませんでした。

私が小さい頃はまだ自動車が珍しく、車の排気ガスがいい匂いだと、
車が通ればわざわざ車を追いかけて排気ガスを吸っていたことが原因だと思いますが、
小さいときから肺に影があり、
その結果肺に負担がかかる運動がとても苦手でした。
マラソンは走れないし、水泳も息がつづきません。

ごく最近精密検査ではじめて肺の機能が正常の80%程度しかないことが分かったのですが、
小さい頃はそんなことを知る由もなく、
運動でみんなについていけないことがコンプレックスになっていました。

それと、私は生まれながらに左目が悪く、そのために顔を左に向ける癖がありました。
野球で右バッターボックスに立つと極端に顔をサード側に向けるので、
小さいとき子供らしい野次を受け、とても傷ついていました。

これらのことは当然少年期・青年期の私には心の深い部分で負担になり、
落ち込み考えこむことがよくありました。

球を打つ野球や卓球は目のことが原因で敬遠するようになり、
サッカーのような走り回る競技はついていけないので、
結局運動は嫌いではないのですが苦手でした。

ゴルフもするつもりはなかったのですが、
他人に勧められ始めましたが、右打ちでは球がよく見えません。
左で打つことにしました。

セオリーからいえば「レフティーは右手主導でいけばいいので都合がいいはず」ですが、
そうは問屋がおろしません。
不慣れな左手がスウィングの邪魔をします。

私はハンディキャップをもって生きてきましたが、
もう兄弟のだれよりも長生きをしました。
ゴルフも長いトンネルの先に、
やっと光明が見えてきたような気がします。

また考えてみればハンディキャップをもった「お蔭」で、
自分を見つめ周りを見つめ、「正義とは何か」と考えることになりました。

多くの人は多かれ少なかれハンディキャップを持っています。
解消できるものはさっさと解消しなければいけません。

しかしどうにも解消できないものもあります。
どうしても解消できないのであれば受け入れるしかありません。

何の問題もないのに、
努力しないで不満を他人や社会のせいしたり、
嘆いたり、ぼやいたりグズグズする人は、私は心底嫌いです。
ハンディをもって前に進んでいる人がたくさんいるのに…

そして歳をとってみると、

「そんなことはどうってことはないのだ」と。
「それによって得ることもあったのだ」と。

「気高く誇り高く生きてきた」と。

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。

 

1年も続かないのだろうと始めたブログです。
「プログラミンを中心に」と思っていたのですが、
ついでに日頃思っていることのいくつかを書かせてもらいました。

このブログも終わりにしたいと思います。

毎日沢山の方々に立ち寄っていただきありがとうございました。
皆様のご健勝をお祈りいたします。

2011年6月吉日 toytoy

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