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林房雄「大東亜戦争肯定論」

林房雄「大東亜戦争肯定論」を読みました。

著者は、1963年から65年にかけて16回にわたってこの題名の論考を「中央公論」に連載し、1964年および65年(昭和39年および40年)に上下巻として出版しています。その後何度が、絶版や再出版を繰り返したようですが、私が読んだのは今年(2014年)11月中央公論がら出版された文庫本です。

1965年・昭和40年といえば、戦後20年経過し、日本は大戦の痛手から立ち直り、東京オリンピックの成功や世界初の高速鉄道・新幹線の完成を契機に、自信を取り戻しつつあった時期です。

政治的にみれば、1960年および70年に、いわゆる安保闘争といわれる学生運動の火が燃え盛かりました。運動そのものは、当時の自民党が強引に日米安保を締結したことに対する反対運動でしたが、根底には、安倍現首相の祖父にあたるA級戦犯岸伸介当時首相に戦前の軍国主義の影を見ていたという側面がありました。

当時は、庶民はアメリカに憧れる一方で思想的には左翼的思考が強く、学生だった私も、時代を理解しようと左翼系の本を何冊か読みました。

 

このような時代背景の中で、「大東亜戦争肯定論」が発表されましたが、当然と言えば当然、当時の主流の論壇・学者からは相当の批判をうけたようです。

それから50年たった今、私は過去のいきさつは何も知らずに、アマゾンで評価が高かったので、この本を購入したのですが、表題からして「先の大戦は日本が正しかった」という自己満足論だろうと、さすがにこの表題には違和感を持ち、しばらく積読していましたが、気乗りしないまま読んでみました。

一読してみると私の予想とは違う説得力のある内容でした。

著者は、当時の言論界にあえて挑戦的・挑発的表題をぶつけたのかも知れません。

 

著者は1903年(明治36年)生まれ、1975年(昭和50年)に没しています。人生の大半を戦争の時代に生き、1916年生まれの五味川順平のことばを借りて、「あきれるばかりふんだんな戦争によって、生きている時間を埋め尽くされている」といっています。

この本では、戦争の推移や事件の事実関係を細かく書くことはせず、著者の主張に必要最小限のものに留めています。

著者が言いたかったのは、先の戦争が「日本人にとって」どのような意味であったのかということで、それを裏付けるためたくさんの人々の引用をしています。

ざっと上げると…

吉田松陰、橋本佐内、島津斉彬、サトー、岩倉具視、中岡慎太郎、西郷隆盛等々、沢山沢山の、もしかしたら100人以上の日本のリーダーが、日本のためにどのように考えて戦争を戦ってきたのか証言が続きます。

何十年も後から、あたかも小説のように当時を想像しながら、また高所から見下ろして歴史を語っているのではなく、日本のリーダーたちがその時々で、西欧やアジアや日本をどのように考えて戦ったのか、彼ら自身の口で戦争を語っています。

彼らの判断が正しかったのか間違っていたのか、また日本の戦争が歴史のなかで肯定されるのか否かは、更に数十年あるいは百年以上の年月が必要かもしれません。

どちらにしても、歴史を生きた人々が、どのように考えたかを知ることは大変重要だと思います。

本の中に少し立ち入ってみます。

そもそも日本の戦争は太平洋戦争でも、「15年戦争」でもない。幕末、開国を求めてきた西欧諸国との戦いに始まる「100年戦争」であり、その最終戦はアメリカとの大戦争だった。

100年戦争の始まりは、薩英戦争と馬関戦争です。

1862年薩摩藩主・島津久光の行列が生麦に差し掛かったとき、英国商人が行列を乱したとして、その場で斬殺されます。

英国は激怒し、幕府と薩摩藩に賠償と犯人の処刑を求めますが、薩摩藩は無視します。英国は軍艦7隻を設えて鹿児島を襲撃しますが、薩摩の反撃は予想以上で、むしろ英国の損害が多く退却します(薩英戦争)。

また、幕府は長州藩に下関を通過する外国船の攻撃を命じたことで、長州藩はしばしば関門海峡を通過する外国船を砲撃し、小競り合いを繰り返します。

1864年遂に、イギリス、フランス、オランダ、アメリカ4か国は連合して、総計17隻をもって、長州藩を攻撃し下関の町を焼打ちします。これが馬関戦争です。

結局何れの戦闘も、日本側は賠償を支払い和解します。これをもって、「日本は手も足もでなかった」と自虐的な観察もできますが、著者は、「日本は完敗したわけではない。清や李朝のように一歩も領土の占拠は許さなかった。日本はそれを教訓に、国内の対立を喫緊に収束させ、一致団結して近代化を図っていった。そして日本の100年戦争が始まった」と考えます。

幕末の安政5年(1858年)に江戸幕府は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヵ国と修好通商条約を締結し、続いて、スイス、ベルギー、イタリア、デンマークと、明治になってからスペイン、スウェーデン、ノルウェー、オーストリア、ハンガリーと同様の条約を締結します。

これは不平等条約で、日本はいつまでもこの不平等条約に苦しみます。

著者にいわせれば、100年戦争の本質は、一言でいえば、西欧列強に対する日本の、言い換えれば有色人種のトップランナーの宿命だったのです。有色人種が西欧と平等を賭して戦った戦争だったのです。

日本の戦いは結果として、半島や中国や東南アジアの国々に人的物的損害を及ぼしたのは事実だが、同時に、日本の戦争が東南アジアの国々の独立の後押ししたのも事実です。

「日本は100年戦争を戦い、敗れ、疲弊した」。今、日本は休む時だといいます。

「これからは中国が日本の立場にとって代わる」と著者はいっていますが、「そうだろうか」と私は思います(むしろイスラムではないでしょうか)。(追記。 2020年現在、著者の主張が正しいと思う。)

この本が出版されたとき、たくさんの人から批判されたようですが、それから半世紀経った今、私はほぼ100%著者の主張に賛同します。

本のタイトルを変えることができれば、もっと多くの人が近づいきやすいのではないか、と私は思います。

江口圭一「十五年戦争小史」2

この本を読んで思うのは「流れ」の怖さです。満州事変(1931年)では軍中央は、関東軍の突出した行動をいさめていたのに、結果「悪くない」とみるや、軍・政府は関東軍の行動を容認し、さらには日中戦争では逆に軍・政府が先頭にたって衝突を仕掛けていきます。

5.15事件(1932年)や2.26事件(1936年)が、国内の慎重勢力を委縮させ、軍国主義に口出しできない状況を作っていきます。最早、「流れ」を止めることができません。

左翼知識人は投獄され、新聞はこぞって日本の行動を煽り、日本国民全体が戦争肯定になります。

日本は、自分の力も敵の力も冷静に分析せず、いやむしろ事実を認識するのを恐れるように、狂気のなかで中国や東南アジアの人々を殺害し、 多くの若者を死ぬために戦地に送り出し、庶民を死に追いやっていきます。

終戦後、戦争の反省として様々な考えがあります。

その一つ、「日本が攻撃しなければ戦争は起こらない」という主張は、ノー天気な楽観主義・理想主義にすぎると思います。

とすると、日本のある程度の軍備を容認することになりますが、それを肯定するからには、私たちは日本が軍国主義にならないように、真剣に考えなければいけません。

まず、武力の独断専行が起きない政治システムを作っておかなければいけないし、そのような芽がでないように、私たちは政治に関心を持って自分の意見を表明しなければいけません。

スイスのような永久中立国は理想だと思いますが、日本では難しいのでしょうか。

日本が中立を宣言するということは、アメリカとの同盟も解除することになりますから、防衛も自力でやらなければいけません。スイスの人口は700万人で、日本は人口でも国土でも領海でも大きな国ですから、スイスと同程度の軍事力を持つとすれば大変なことになります。

産業面では、スイスは金融や製薬、精密機械等いわば小ぶりの産業が多いようですが、日本は重工業やあらゆる産業で国際的に激しく競っている国なので、単純にスイスの真似は出来ないのだろうと思います。

戦争を起こさないようにする最も重要な要件の一つは、日本が国際的に孤立しないことだと思います。先の戦争で日本は国際的に孤立していました。当時、世界は西欧帝国主義列強と、植民地化された国々だけという中で、日本が孤立化していったことはやむを得なかったのだと理解していますが、今、世界は変わりましので、日本が孤立しないようにすることは何倍も容易になっています。

日本が孤立しないためには、たくさんの国と友好関係を保つことが重要で、友好を守るために最小限の、他国への軍事協力も必要だと思います。

世界の微妙なパワーバランスにかかわっていくのは大変難しいことだし、その分したたかさが必要です。

十分時間と経験のある老人は、よく勉強して、 次の世代に進むべき方向への足しになる知恵を提示するのは重要な役割だと思います。

江口圭一「十五年戦争小史」

大東亜戦争の真実を自分なりに理解するには、本を一冊読んで片付けられるようなものではありません。

中国や東南アジアの国々で激しい戦いがあったのは事実だが、語られる情報をどのように整理し、どのように自分なりに総括をするのか容易ではありません。

先の戦争について、ある 本は自虐的に語り、ある本は逆に日本を美化して語ります。本当はどうだったのか多くの著作を読んで、できるだけ正確に情報を入手しなければいけません。

江口圭一「十五年戦争小史」(1991年、青木書店)を読みました。十五年戦争とは、1931年の満州事変から日中戦争、大東亜戦争、そして終戦(1945年8月)までの15年間の日本の戦争です。

この本は筆者が大学で行った講義録をまとめたもので、全24講からなっています。最初に感想をいいますと、「何か物足りない」感じがします。講義録だということですが、本として出版するならもっと推敲するべきだと思います。

議論の余地のある問題も、おおむねあっさりと書いています。たとえば、天皇の戦争責任、慰安婦強制問題、中国の人的被害等です。これらは色々議論のあるところですから、論拠を明確にすべきです。

前回ご紹介した吉本貞昭[日本とアジアの大東亜戦争]もこの本も、どちらも嘘偽りを書いてはいないのでしょうが、読後の印象は真反対です。吉本は日本を美化し、江口は自虐的です。

要は、自分がいいたことを余計に述べているのです。吉本は、江口は語らない、しかし自分の都合のいい部分を、逆に江口は、吉本は語らない、しかし自分の都合のいい部分を書いています。

さて、「十五年戦争小史」の内容です。江口は時代を簡潔に述べています。

日本は、その固有の領土以外に、日清戦争(1894~95年)により台湾・澎湖諸島を、日露戦争(1904~05年)により遼東半島先端部(関東州)とサハリン南半分(南樺太)と、韓国併合(1910年)により朝鮮を、また第一次世界大戦により南洋諸島を領土ないし事実上の領土として保有していた。

また日本は、中国東北地方の南部いわゆる南満州に関東州・南満州鉄道・関東軍を基軸とする満蒙特殊権益を設定し、同地方を勢力範囲に収めていたのをはじめ、中国で治外法権と租界をもち、陸海軍を配置するなど、列強とともに全中国を半植民地的に支配していた。

満州は日本にとっては、地下資源の供給源であり、ソ連の南下を防ぐ防衛線として重要な地点だった。日本本土からの入植を積極的に進め、同時に日本の権益を守るという名目で関東軍を配置していました。

この地には国民党軍の他、軍属が跋扈していて、日本軍としばしば小競り合いをしていました。

この地の大軍閥・張作霖は最初親日でしたが、 やがて排日に転じるに及んで、関東軍は張作霖が乗った列車を奉天の近郊で爆破し殺害します(1928年6月、張作霖殺害には異論があります)。

排日運動は益々激しくなり、関東軍は更に高圧的に軍事行動をします。1931年9月奉天の北・柳条湖で爆発事件が発生、これは関東軍が仕掛けた挑発ですが、これを根拠に日本軍は奉天城を攻撃し、ここを占拠します。

当時、軍中央は軍事行動に慎重な態度をとっていて、関東軍に自重をもとめていたのですが、関東軍はそれを無視して 次々に口実を設けて全満州に侵攻します。満州事変の勃発です。

当時、世界経済は大不況に突入し、不安定は国際情勢に陥っていました。国際社会からの日本への圧力、日本政府の煮え切らない態度に対して、青年将校はクーデターを起こします(1932年 5.15、 1936年 2.26)。

この時代は、世界的には経済的に不安定になり、関東軍は中国での軍事力を拡大し、国内的には軍国主義が着々と力を増していった、陰鬱な時代だったのだと想像します。

満州事変で日本は列強から批判されますが、日本は強引に武力行使を続け、国際連盟が派遣したリットン調査団は、日本の非を認めた報告書を提出し、これをめぐって、遂に日本は国際連盟を脱退します。

中国では当初、日本に歩調を合わせていた南京政府・蒋介石の国民軍と、毛沢東の共産党は手を組み(西安事件、1936年)、協力して日本に対抗します。

満州から長城を超えて南下して北京の郊外盧溝橋に集結していた日本軍に発砲があり、これをめぐって日本と中国が対立します(1937年、盧溝橋事件)。そしてずるずると日中戦争の深みに入っていきます。

日中戦争が長引くにつれて、戦争に必要な物資が不足してきました。日本は物資をイギリス・アメリカからの輸入に頼っていましたが、イギリス・アメリカは日本への輸出を禁止すると、戦争物資の調達のため、東南アジアを確保する必要に迫られます。

日本の戦争はアジアモンロー主義を唱える一方で、常に英米に物資を頼るという冷静に考えればあり得ない構造をもっていたのに、日本は一途にアメリカとの良好な通商を期待し、結局それが絶望だと認識したとき、真珠湾攻撃をしかけ欧米との全面戦に突入します。

初戦は、中国南西部、仏領インドシナ、マレー半島、フィリッピン、太平洋の島々等華々しい戦果をあげますが、やがて、武器弾薬の乏しい日本軍は次々に敗戦を強いられます。

日本軍はハワイの西ミッドウェー海戦で大敗し、それを期に各地の制空権、制海権を米軍に奪われ、戦死者よりも多くの餓死者をだし、玉砕戦へと続きます。

この本では、戦争の経過とは別に、天皇、軍・政府の動き、 大東亜共栄圏の実際、中国戦での戦争の実態、チャーチル、ルーズベルト、スターリンによる日本の戦後処理の動き、ルーズベルトの急死で登場したトルーマンとスターリンの駆け引き等を書いています。