集団的自衛権

集団的自衛権の容認が閣議決定されました。

首相官邸前では、これに反対して多数の人がデモをしました。
「戦争が起こる危険が増し、若い人が死ぬことになる」という主張のようです。

しかし、私には反対する論理が理解できません。

TVで「私は悲惨な戦争に反対です」という街の声を流します。
誰ひとりとして、この言葉を否定する人はいないでしょう。

しかし、私はこの言葉にどれだけの重みがあるのか疑問に思います。

誰だって戦争が嫌いに決まっています。
だが、人類の歴史では、ほぼ休みなくその嫌いな戦争をしてきたのがです。

「戦争が嫌いだから、私は戦争をしません。
私が戦争をしないと言っているのだから、誰も私に戦争を仕掛ける筈がありません」。

小さな国で、他国と利害が反することがなければそれもありかもしれませんが、
世界有数の経済力を持つ日本が、他国と何の利害の対立もないと考える方がおかしいでしょう。

何もできない国だから、近隣諸国は日本の領土を侵すのです。
ロシアも韓国も中国も。

集団的自衛権を容認すると、
「アメリカのために日本人が死ぬことになる。だから反対」という意見もあります。
「日本のためにアメリカ人が死ぬのはいいが、そのは逆は反対」という正義感は理解できません。

そのような日本に対して、
アメリカがお人よしに自国の若者の命を賭して日本の窮状に必ず加勢する筈がありません。
加勢するとすれあ、自国の利益に抵触するときだけでしょう。

アメリカのあらゆる紛争に日本が加担する必要はありませんが、
「本当にアメリカが困った時には加勢します。
その代り日本が困った時には加勢してください」というのでなければ、
アメリカにしても日本が困った時に加勢する気にはならないでしょう。

今回政府が発表した[集団的自衛権]は、あくまでも日本の事態について米軍を支援するもので、
まったく双務的な防衛協定ではありません。

そのような日米の軍事的緊密関係は、近隣からの武力に対する抑止力になります。

そうでなく、日本が全面的に米国の軍事力の庇護のもとにあるというのは、「普通の国」とはいえません。

「普通の国」の人々は、ぼんやりしてはいけません。
政治家や政治を自分のこととして真剣にチェックし、深みに入らないようにしなければいけません。
本来知識人やマスコミこそが、政治に対してしっかりしたチェック機能を果たさなければいけません。

先の大戦で、大衆を煽ったのは大新聞だったのです。
日本の新聞は、命を賭してもブレーキをかけなければいけないときアクセルを踏み、
ハンドルを切らなければいけないときに、「このまま。このまま」と思考停止しています。

「『普通の国』でなくていいのだ」。
となれば、話はまた違ってきますが、「それでいいのか」ということです。

いじめられっ子のように、あちらでもこちらでも「ごめんなさい。ごめんなさい」と首をすくめている民族。

李氏朝鮮がこのようだったと理解しています。
軍隊といえるほどの軍事力を持たず、中国の顔色を常に伺いう国。

気位だけは高く、ひねくれた精神。

こうはなりたくありません。

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