宮脇淳子「真実の満州史」

日清、日露戦争の後、日本がずるずると大戦争に突入する契機になった満州事変。

満州は、そもそもどのようなところだったのか知りたくて、
宮脇淳子「真実の満州史」(ビジネス社、2013年)を読みました。

記述は学術的というより談話をまとめたという感じで雑な感はありますが、
概論として読めば、それなりに価値があります。

ただし、著者は独断的に語っていますので、
へそ曲がりの私は、ところどころ「そうかな」と疑問符をつけながら読みました。

本書に従って、満州での推移を整理します。

日露戦争終結後、日本とロシアは秘密条約を結んで、
朝鮮、満州、モンゴルの権益を分け合いました。

と同時に、日本は清朝と条約を結び、ロシアの権益を日本が引き継ぐことを認めさせ、
日本は、条約に従ってまだ未開発であった満州に、人や金をつぎ込み開発していきます。

1913年には、朝鮮の釜山から鉄道で北上し、満鉄からシベリア鉄道を使って、
モスクワ・パリに行けたということを今回初めて知りました。

満州開発について、本書は次のように書いています。

満州は日本人によって、今のように金を生み出す土地となりました。
やはり日本人の投資によって現代の中国があるのです。
例えば、アメリカ合衆国では西部の開発にしても、
ユタ州やミネソタ州などでは開発が進んでいません。
日本はそれに近い奥地を開発して、生産性のある土地に変えました。
日本人が満州へ行く前は、狩猟民と農民だけがいて、
何も生み出さない土地でした(270P)。

日本は満州国で真面目に国造りをしました。
道を直して、電気を通すなどインフラを整備し、
貿易も盛んにして豊な国にしようと頑張り、実際にそうなっていきました(274P)。

しかし、中国で辛亥革命(1912年)、ロシアでロシア革命(1917年)が起こり、
政権が変わると事態は一変します。

ソ連は日露秘密条約を暴露し、中国革命政権は日本との条約を一方的に破棄します。
1919年、世界同時革命を目指すコミンテルンが誕生すると、
コミンテルンは中国の共産勢力の強化をはかって、反日工作を強めていきます。

ロシアがソ連になって過去の関係をすべて無視したのと同じように、
ソビエトの後ろ盾を得た中国も、過去の人間関係や国際関係、条約を全部棄てました。
前の王朝であった清朝が決めたことはまだしも、
袁世凱が決めた21カ条の要求にも反対運動が起こり、約束を反故にしようとしました(179P)。

当然日中での衝突が起こります。

日本にしてみれば、それまで投資してきたものを、突然捨てろと言われても困ります。
投資がやっと実る時期になって、すべて置いて出ていけと言われたら、
「はい、そうですか」とはいえません。
ですから、
日本は満州を日露戦争で「十万の生霊、二十億の國ど」を費やして得た正当な権益だと主張し、
満州をめぐって日中が対立していくのです(180P)。

加えて、かつてロシア革命勃発当時、革命阻止に動いたアメリカは、
それまで良好な日露関係にあった日本に、
ロシア領への出兵を要求した(1915年シベリア出兵)にも関わらず、
1930年代後半、第二次世界大戦がはじまると、ルーズベルトはチャーチルの強い要請を受け入れ、
手のひらを反して日本に圧力をかけ、日米開戦に仕向けたのです。

日本は孤立し、大戦争に突入していきます。

20世紀の歴史は、日本がまず日露戦争でそれまでの白人絶対の歴史を変えて、
満州事変でも世界の仕組みを大きく変えました。
第一次世界大戦以外は、すべて日本のせいで世界史が動いたのです。
(中略)

日本は謀略でなく正論を持って戦争を行ったので、
他の白人諸国はおおやけに文句を言うことができません。
「植民地主義がひどすぎる。なぜ人種が違うだけで奴隷扱いするのか。
白人はけしからんのでアジアの人たちを救ってやりたい」というのが日本の主張で、
本当に正道の理由でした。

そして白人の圧力を跳ね返した日本人が強くなったので、
白人は正面切って文句をいえなくなりました。
そのため、「日本をなんとかおさえなくてはいけない」
と背後に回って組んだというのが、世界の歴史なのです(271P)。

いわゆる自虐史観の対極にある史観で、
数年前まで、このようなことをいう人はいなかったと思います。

現代史を色々な観点から考察しなければいけません。

情報をたくさん仕入れて自分なりの歴史を構築することが重要だと思います。

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