考えてみれば、私は正式な「授業」を受けたのは大学の建築の授業が最後です。

大学院はどこも同じだと思いますが、授業らしい授業はなく研究室で自分で勉強するのが普通ですので、教室で何かを教わったということは殆どありません。

正式な授業のよさは、嫌いなものも無理やり勉強されられ、後で役立つということがありますが、
独学ではついつい自分の興味あることだけを勉強しますので、
「大切なものが」抜け落ちることがあります。

それはともかく、独学では本を読むことが第一の勉強法になります。
本の話はあとにして…

上京して大学院生になって、大学院の授業は殆どありませんでしたが、
学生の特権で、自分の興味がある学科をどこでも出かけて聴講しました。
確か、心理学と哲学の授業を聴講しました(勿論、都市工の丹下教授の授業も)。
本でしか知らなかった心理学の宮城音弥さんの講義を受けましたし、
哲学では実存主義の授業を受けました。

また、東京には(当時)どこかで無料(あるいは低額)の公開講座が開催されていて、
言語哲学の大森荘蔵さんや脳生理学の時実利彦さんの講座を受けたことを覚えています。

そういえば、コンピュータの勉強を始めたとき、職場に汎用コンピュータがありましたので、
メーカーの講座が無料で受講でき、アセンブラ、Fortran、Cobol等たくさんの講座を受けました。
(近年はマイクロソフトの無料の講座もたくさん受けました)

さて本のことです。
私は小さいときから「よく出来る子」ではなかったので、本を読むことが苦手でした。
職人の家でしたので、親は「勉強なんか必要はない」というくらいでした。

大学に入ってクラスメートと並んで本を読んでいると、隣の友人はページをめくるのが断然早いのです。どうしてそんなに早く読めるのだろうと、その友人の本の読み方を盗もうとしましたが、わかりませんでした。

それまで文学書など読んだことがなかったので、
「読まなきゃ」と大学の前の書店で文庫本を買ってきて文学の世界に踏み入りました。
これぞ文学書と思って購入したのは「罪と罰」です。
ドストエフスキーの憂鬱なほどに長ったらしい話を最初に取り上げたのは最悪でした。
のたうちまわりながら、読み終えるのに数ヶ月かかりました。

当時嫌いなことをしかも効率よく勉強するには、
どのような方法がいいのだろうと「方法」に関心がありました。

大学時代ずっと自分なりに勉強の「方法」を研究して、
大学院を受験するときは大分自信をもっていました。

大学院生になってから勉強の「方法」で一番影響を受けたのは、
加藤周一さんの河童ブックかなにかの新書本で、
たとえば、「外国語を勉強するのならエロ本を読め」とか、
戯曲は「劇場では2時間程度の上演なのだから、2時間で読むものだ」という話に納得しました。

本は随分沢山購入しました。
しかも私は自分の人生を何度か大きく舵を切り替えましたので分野も多岐に亘ります。

建築学科の学生のときは当然建築関連の本、
大学院では学生運動の季節でしたので思想書、
研究所に就職してからは人工知能や数学基礎論、のちにはCAD関連。
ビジネスの世界に入ってからは、経営やWindows関連のコンピュータ書。

おそらく累計では優に1万冊を超えていたと思いますが、
引越しの多いアパート暮らしでしたので、引越しの度に本を処分せざるを得ず、
大半は処分し、今は殆どコンピュータ関連の本しか手元にありません。

本棚の隅っこにいまも遠慮がちに並んでいるのは、
建築ではライトの原書[The Future of  Architecture]、マルセル・ブロイヤーの[対立と調和]等数冊、
文学書は吉川英治の[三国志](文学書といわないか)他ほんの数冊の文学全集、
思想書は[世界の名著]等これも数冊。
コンピュータ関連もMS-DOS当時の本は殆ど処分しました。

漱石や鴎外や
ヘッセやトルストイやカフカや
サルトルやカミユや
エンゲルスやマルクーゼや
ラッセルやウィトゲンシュタインや
カルナップやクワインや
IBMやフォード創業者の伝記本や
(吉田拓郎流にいえば)「みんなみんないっちまった」

沢山の本を購入しましたが、実際に読んだのはその何分の一かです。
本は何冊もっていたかではなく、
どれだけ読み自分の実になったかが重要なのは分かりきったことですが、
「沢山購入すれば結局のところ沢山読むことになる」と思っています。

1万冊の本全部を読んでいませんが、(小説は別にして)仮に5分の1の2000冊読んだとしても、
それは「本を読もう」として買い込んだ効果だと思います。

今はチョットしたことを調べるにはインターネットをよく使います。
ソフト開発のときもオンラインヘルプを使いますが、
初めての事柄をまとめて独学するには本が最善だと思います。

本の良さは何度もページをめくって確認できる点です。
本のシミや鉛筆で引いた下線が記憶の役に立ちます。

「あの話題は前から何ページあたりにあったかな」という視覚的触覚的記憶は、
初めての勉強で知識を紡いでいく作業には最適で他に替えるものがないと思います。

また、たとえばC#を習得するために、
3万円の本を買い、結局2冊の本だけ読んで他は埃をかぶっているとしても、
それでC#が書けるようになったのなら、
私はまったく気にしません。

そして仮に職業プログラマであれば、
それくらいの投資で自分の間口を広げられるのなら、これほど安い投資はないと思います。

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