月別アーカイブ: 2012年07月

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「村社会」

私は「村社会」といわれる教師と医師の世界を多少知っています。

教師についての少しの経験を前回書きました。

実は私の義父は医師で、
妻方にはそのほかにも数人の医師がいます。

彼らと深い付き合いはありませんが、
医師がどのような人たちかはある程度知っています。

 

私は若いころ1年足らずの期間でしたが、
米ピッツバーグのカーネギーメロン大学で3DCADの研究をしました。
カーネギーメロン大学は小さな大学ですが、優秀な大学として知られていました。

ピッツバーグにはもう一つピッツバーグ大学というのがあって、
医学界では相当知られた大学のようでした。

私は最初は単身で、安ホテルから大学に通っていたのですが、
暖かくなってアパートを借りて、
妻と当時4歳と1歳になった息子たちを呼び寄せ、
アメリカの生活を楽しんでいました。

アパートにはピッツバーグ大学に通っている若い医者の家族が2家族いて、
時々挨拶をしていたのですが、
妻がきたことだし、同じ日本人同士なので、2家族を招待して、
妻の手作りの料理でもてなしました。

親しい関係ではありませんでしたが、
普通ならそれぞれの仕事のこととか、
家族のこととかあたりさわりのない会話をするものですが、
この2家族の人たちは私たちをまったく無視して、
お互いに「先生」、「先生」と呼びながら身内の話に終始しています。

私たちは完全に蚊帳の外で、
あたかも料理人のような立場になり、
楽しいはずのパーティーはまったく不愉快なものになりました。

「実は義父は医者なのです」といえば、
彼らの態度は変わったのかも知れませんが、
そもそも私が職業や肩書に媚びたり、持ち上げることはあり得ませんので、
身内のことは何も言わず、
「2度と親しくすることはない」
と内心思ったことです。

もう一つの医者についての不愉快な体験は、
今年2月このブログの「それからのそれから」で書きました。

 

医者といい教師といい、
「これらの人たちはなぜ普通ではないのだろう」と考えます。

結論からいえば、彼らは「村社会」の人たちだからだと思います。

[普通の人]は基本的に競争社会で生きている訳で、
同僚やライバル会社と競い、失敗すれば上司にしかられ、
友人や同僚と泣き、笑い、喧嘩し、仲直りするなかで、
人の痛みや優しさを学び、
社会での自分の立ち位置を知ります。
また失敗や成功から社会での生きる知恵を学びます。

[普通の人]は、人それぞれに程度の差があるにしても、
自分が成長していかなければ、
社会のなかでまっとうには生きていけないと判っているのです。

一方医者とか教師は、
閉鎖的環境=「村社会」の中で「医者であれば」また「教師であれば」、
それだけで生活は保障されている訳で、
人間として批判に晒されることは非常に少ないのです。

何故でしょうか。
医者や教師という「職業」は、
私たちの人命を救い、また次世代の子供たちを教育するという大変重要な「仕事」ゆえに、
願いを込めて尊敬され特別視されてきたのです。

であってみれば、この職業についた人は、
[普通の人]以上に自己研鑽しなくてはいけないのに、
多くの医者や教師はその職に就いたことで、
「自分が尊敬されてしかるべきだ」と勘違いして、
人間としての成長を止め、
結果未熟な裸の王様が大変多いのです。

すべて「事なかれ。事なかれ」で行動し、
事が起こってしまたら、どう対処すればいいか分からなくて、
もっぱら保身に走ります。

「ママ、僕は悪くないのだ」。
小さい子供がそそうしたとき、ひたすら言い訳し、真実から目を逸らそうとするのと同じです。

社会で大変重要な職業についている人たちがこれではいけないと思います。

解決策は彼らが若いときから、
社会人として批判にさらされる環境で生きていくことが必要だと思います。

学校 2

大津の中学校で少年がいじめで自殺した事件が大きく報じられています。

私は先生がどのような人たちか殆ど知らなかったのですが、
昨年1月頃近所の中学校と、
「学校のためにお役にたつことをやらせてください」、
「お願いします」というやりとりがあって、
こちらは色々調査して報告したのですが無しのつぶてです。
何度か改善を申し入れたのですが改善されず、
遂に私は業を煮やし、これではやっていけないと、
その間のことをブログに書きました。

後日談があります。

それから3ヶ月くらいして8月ころ担当教師から突然
「例の件お願いします」のようなメールがきたのです。

このノー天気なぶしつけにさすがに腹をたて、
私は「話はこれまでの不誠意を謝罪してからだ」と返事しました。

先方からは謝罪してきましたが、結局中学校でのお手伝いは止めました。
次世代を担う子供たちの役に立ちたいと思っていたのですが、
まったく予想もしなかったことでダメになったことを大変残念に思っています。

 

そして今回の大津の事件。

文部省が悪いとか親が悪いとか、
先生が忙しすぎるとか、
先生に同情的な批評もありますが、
何よりも先生がひどいと思います。

先生はなによりも弱い子供がいれば、
全てに優先してその子に寄り添うことが最重要ではないか。

そうすることが、文部省や親と対立するなら、どうしてそれらと対決しないのか。

 

しかし今回の事件も教師だけがひどいのではありません。
親たちも警察もひどいのです。

前回のブログで「和をもって尊しとなす」という社会規範は、
日本人が自分の考えをなくし、自己主張をなくした大きな要因になったと書きました。
そしてもう一つ大切な正義感もなくしたと思います。

この事件は特殊な人たちの特殊な事件ではありません。
現代日本人の縮図です。

普通の日本人が場合によってはあるいは立場によっては、
大津の教員と同じ行動をとるのです。

おそらく先生は本来気持ちの優しい人が多いと思います。
しかし優しいからといって、
将来を担う子供を預かっている身であれば、
生徒を導く哲学や正義感のない行動が許されることではありません。

教師は、教師という村社会の中で、
考えることをやめ、行動することをやめ、
文部省や日教組のいうこと(自分に都合のいい部分のみ)を忠実に守り、
子供のことよりも、自分の生活を最重要にしていると思います。

学校を救うとは、単に教師を批判するだけではなく、
彼らを反面教師として、
日本人一人ひとりがにしっかりした価値観をもち、
身の回りで正しいと思うことを主張し、
行動することから始めなければいけないと思います。
そして最終的には日本人の再構築が必要だと思います。

 

追。
本日のヤフーでみると、大津の中学校に抗議の電話が殺到しているそうです。
これもまた、「いじめ」と思いませんか。(2012/7/22)

 

議論するということ

長い間人間をやっていると色々な人に会います。

多分日本人の特徴だと思いますが、
日本人は議論がとても苦手です。

利害が対立するとき、それぞれの考えを冷静に主張することができません。
「議論即喧嘩」と思う人が非常に多いです。

私は若いとき少しの期間アメリカで生活しましたが、
驚いたのは、女の子が街中でがなりあっています。
映画でみるとおりです。

多分アメリカ人は自分を主張し、それが喧嘩になっても仕様がない。
と考えるのでしょう。

それに比べ日本人は喧嘩が嫌いです。
誰でも喧嘩は嫌いですが、
日本人は喧嘩になるのを恐れるあまり、あたりりさわりのない人生を良しとします。

この国民性の差異は恐らく歴史の帰結なのでしょう。

自己主張し、たった一人でも開拓していかなければならなかったアメリカと、
逃げることのできない小さい島国の封建社会の中で、
「和をもって尊しとなす」という社会観が最善と考えた日本の社会風土との違いだと思います。

日本人の自己主張のなさは次の図式で説明できると思います。

日本人は喧嘩が嫌い。
> 喧嘩の原因は議論だから議論が嫌い。
> 議論しないから、自己主張しない。
> 必要な時にも議論ができないし、自分の考えがない。

さて議論はそれぞれの立場・考えを正確に披瀝し
相手の主張を冷静の聞き、
不一致があれば、
双方に利益のある方法を探す作業です。

これは古くから弁証法と言われています。

非常に多くの日本人は議論ではなく喧嘩になります。
単なる言い合いです。

自分の考えを正確に陳述する能力も、
相手の考えを冷静に聞く能力も、
不一致があったとき一致点を探っている創造力もない人がたくさんいるのです。

私はこれまでの人生で様々なことをやってきました。
社会に出て最初に就いた仕事は建築現場の労働者でしたが、
その時「自分の人生は自分で切り開かなければいけない」と心に誓い、
自分の気持ちや考えに忠実に生きてきました。

そういう人間からすれば今日、「どうして?」と思い苛立つことがたくさんあります。

「どうして自分の考えを言わないのか」。
なにも言わないでおいて、「どうして後でグズグズいうのか」。
「どうして議論ができないで、すぐ喧嘩になるのか」。

世界に視点を移したとき、「これでいいのだろうか」と痛感します。

15年も前だったでしょうか、まだ日本がこれほど疲弊していなかったときのことですが、
リタイア老人が「日本人は優秀なのだ」といって、
自分は遊びまわっているのに接したとき、
「なんというノー天気な老人だ」と悲しくなりました。

日本が鎖国の時代ならいい。
グローバル化がこれほど進行していない時代ならいい。

しかし好むと好まざるとにかかわらず、
ますますグローバル化が進行するなかで、
世界の中での立ち位置を考えなければいけないのに、
自分だけの世界に浸っていいはずがないのです。

私たちは考え、議論し、解を見つけていかなければいけないのに、
考えることをやめ、議論することをやめ、
世界に向かって自分の主張を冷静に論理展開することもできない日本人に、
将来はあるのだろうかと危機感を持ちます。

[Using Drupal]

この際ついでなので、Drupalを少し研究してみました。

米アマゾンで評判のいい[Using Drupal](O’Reily)を取り寄せて、
2章[Drupal Jumpstart]を読みながら、
XAMPP上でDrupalサイトを構築しました。

この本は[Drupal 7]について解説しています。
まず書評から…

この本にはPhpコードの話はありません。
あくまでも[Drupal]の標準機能の使い方の解説です。

この本は読みやすさを考慮して、
1章を除く全章でまず[Case Study]があって、
いくつかの[Spotlight]と[Hands-on]の記述で統一しています。

[Case Study]でこの章では「これこれのことをします」と説明し、
[Spotlight]でサブテーマを取り上げ、
[Hands-on]ではそれについて実際のDrupalの操作を説明します。

アメリカの本は多分[テクニカルライター]の職域が確立しているのだと思いますが、
「いかに読者に分かりやすく書くか」ということに傾注しています。

私は2章だけ読みましたが、評判どおりよく書けていると思います。

JoomlaとDrupalは機能的にはほぼ同等です。
CMSはひとことでいえば、
[記事]あるいは[ブログ]を作成し、
それをどこに配置し、どのメニューとリンクされるかを決めていきます。

ユーザからのアクセス管理をします。
Drupalではデータベースと同様に、Drupalへの権限とロール(役割)を作成し、
ユーザにどのロールを付与かによってユーザのアクセスを制限します。
(Joomla1.5ではロール=権限は固定です)

たとえば管理者、編集者、認証済ユーザ、匿名ユーザ等のロールを作成し、
それぞれのロールに特定の権限を設定しておきます。

これによって一般ビジターがアクセスできる範囲、認証ユーザのアクセス範囲、編集者のアクセス範囲、
等々を設定することでサイトを管理するようになっています。

JoomlaとDrupalで見た目に違うところは、
Joomlaではサイト管理画面と、一般ユーザ(編集者)画面が異なるのですが、
Drupalでは管理者は閲覧者用画面の上に半透明のOverlap画面を表示しながら作業をします。

総括すれば、Joomlaの方がチョコチョコット簡単にホームページを作成するには向いていますし、
Drupalはもう少し深く勉強しないと使いこなせないようです。
たとえば[View]というモジュールを使いこなさないとその良さがわからないようです。

ホームページ作成ビジネスをやるのなら、
柔軟性があるDrupalが勝っているかもしれません。