林房雄「大東亜戦争肯定論」2

「大東亜戦争肯定論」 で学んだことを少しだけ追加します。

私は、大東亜共栄圏という概念は何時からあったのだろうかと常々思っていました。この概念は、1937年に勃発した日中戦争を経て、日本が米英と開戦せざるを得なくなったとき、苦し紛れに「アジアは一つ」と叫んだのかと思っていたのですが、実は相当昔からあったようです。

勝海舟は、明治維新前にすでに「日韓支合従連衡論」を展開しています。

ただし、これは博愛主義から生まれたわけではなく、朝鮮・支那の先に西欧帝国主義を見ていました。日本・朝鮮が手を組みさらには支那と手と組んで、西欧に立ち向かおうという構想です。

この考えから福沢諭吉は、鎖国していた李朝の開国・近代化を応援しようと、李朝の政治家・金玉均を日本に呼んで支援しましたがうまくいきません。

日本に亡命していた金玉均は上海に誘い出されて、李朝の刺客に暗殺され、あろうことか、死体は八つ裂きにされて朝鮮の町々に晒されます。

これをみた福沢諭吉は半島人に幻滅し、「アジアはダメだ」と「脱亜論」を書いたといわれています。

もう一つこの本で「ヘエー」と思ったのは、日本には右翼政党がなく、日本の戦争を思想的に引っ張ったのは、北一輝や大川周明のような市井の思想家だったということです。しかも彼らは、時代に必ずしも受け入れられたわけではなく、みんな非業の最期を遂げています。

軍人でも政治家でもない北一輝は2.26事件の首謀者として処刑、大川周明は、東京裁判ではA級戦犯とみなされましたが発狂、失意のうちに世を去っています。

ドイツやイギリスやアメリカやソ連には、ヒットラー、チャーチル、ルーズベルト、スターリン、さらに中国には毛沢東がいたのに、日本には本当に先の大戦を主導した政治家はいなかったのです。

日本は、なんとなく戦争をし集団狂気になっていったということでしょうか。日本は不思議な国だと思います。

このことも私たちは、真剣に考えてみなければいけません。(誤解しないでください。ヒットラーやチャーチルやルーズベルトやスターリンを尊敬している訳ではありません。)

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