マイコンピュータ 2

私の最初のパソコンは、何年前になるのでしょうか。恐らく30年近く前のMulti16です。多分インテルが16ビットのマイクロCPU/8086を発売開始し(その他モトローラとテキサスインストルメントからも?)、日本でも数社がこのCPUを使ったパソコンを発売しました。

Multi16は三菱製でメモリがいくらついていたのか忘れました(数MBだったかもしれません)。フロッピーは5インチで数百KBだったと思います。ハードディスクなどというものはありません。その代わりフロッピーが二つついていたと思います。Wikipediaで確認すると、当時8ビットOSとして評判であったデジタルリサーチ社のCP/Mを三菱電気が日本語CP/M-86として改造し、Multi16に載せていたようです(この辺りはすっかり忘れています)。

当時これで何をしていたかというと、先ずワープロです。管理工学研究所の「松」が日本最初の人気のパソコン用ワープロソフトでした。次は汎用コンピュータの端末として使っていました。汎用コンピュータから直径1Cmもあろおかというケーブルを延々自分の部屋まで引っ張っていました。後は、Cコンパイラを入れて小さなバッチプログラムを作成していました。

余談ですが、当時は汎用コンピュータの時代で、巨人IBMの周りにBUNCH(房という意味)と揶揄された7つの会社が取り囲んでいました。ちなみにBUNCHとは、Burroughs、UNIVAC、NCR、CDC、Honeywellの7社の頭文字をとったものです。日本でも国が支援し沢山のメーカーが汎用コンピュータを作りました。富士通、NEC、東芝、日立、三菱、沖電気等々です。そういう中でDEC(デック)社は、PDPやVAXというミニコンピュータを発表し、科学者や研究者から信頼されていました。今日本のメーカーはともかくこれらの沢山のコンピュータメーカーはどうなったのでしょう。

時代が少し下ると、UNIXがソフト研究者の間から少しづつ評判になり、何社かからUNIX機が販売されましたが、一台1千万円以上の値段だったと思います。

マイクロソフトがMS-DOSにつづいてWindows3を発表、パソコンの世界もグラフィカルになりましたが、Windows3上のソフトが余りなかったので、その後も多くの人はMS-DOSを使っていたのではないでしょうか(CP/Mは商売気がなくて消えていきました)。マイクロソフトがWindows95を発表すると、WindowsはUNIXをも寄せつけずパソコンOSの勢力地図を一色にしてしまいました(UNIXはミニコンのPDP上で — 趣味的にといって悪ければ、研究レベルで — 開発され、MS-DOSがIBM PC用にインテル8086上で — ビジネスとして — 開発されたことが勝敗を決めたのでしょう。一方MACは一人グラフィックデザインの世界では絶対的な人気を保っていますね)。

このコンピュータの歴史は、正確ではありません。私の周りで移ろっていったコンピュータの世界を私の視点から記憶をたどって書いたものです。

私が始めてコンピュータを組み立てたのは、Windows95の時代でした。以後20台くらい組み立てたでしょうか。考えてみれば私はいわゆるメーカーのパソコンはラップトップ以外は余り使いませんでした。私は自作コンピュータが好きなのです。それは頻繁にOSや様々なソフトを入れ替えるし、故障にも柔軟にしかも経済的に対応できるからです。ハードディスクは2年程度で駄目になると思わなければいけないし、ディスプレイも何年かでくたびれます(その他はメモリをはじめそう壊れるものではありません)。

ハードディスクが安くなりましたので、リムーバブルディスクにして開発環境の同じプロジェクトをまとめています。コンピュータをリムーバルディスクの数だけ持っているようなものです。このような自分勝手なコンピュータの構成は自作コンピュータに限ります。

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