「中世ヨーロッパの騎士」 4

乱暴者の集団だった中世騎士は、
ローマ教会から「神聖な神の戦士」の称号を与えられ、聖なる十字架を紋章に十字軍に従事、名声を高めます。
12世紀になると、吟遊詩人が騎士の英雄譚と宮廷ロマンスを歌い上げ、
また頻繁に行われた騎乗槍試合はあらゆる階級の人々を熱狂させます。
やがて騎士は貴族の末端に列せられ、更には国を救う英雄まで出現しますが、
15世紀になると鉄砲の出現に居場所をなくしていき、やがて騎士道は「ドン・キホーテ」で揶揄されるようになります。

十字軍の遠征

十字軍の遠征は、1096年の第1回から1270年の第7回まで決行されています。
それを呼びかけたローマ教皇、運動に参加した国王、諸侯、商人、一般民衆はそれぞれ違った思惑をもっていましたが、
少なくとも当初は皆共通して宗教的情熱をもって十字軍を応援したのは間違いありません。

十字軍は聖地を奪還しイェルサレム王国を建設。
東方貿易の活発化に寄与し、イスラーム文化の流入など、中世ヨーロッパ社会を大きく変動させる一因となりましたが、
結果的にはイスラーム側の反撃によって、騎士たちが描いたかの地での祝福された国の経営は果たせぬ夢に終わります。
すなわち、十字軍は期待ほどの成果は挙げられませんでした。

ただはっきり言えるのは、この過程で騎士の地位が社会的に認知されたことです。
荒くれ戦士の一団は、キリスト教によって「高貴な戦士」になり、貴族の末端の地位を占めるようになります。
十字軍の遠征には貴族の子弟も参加すると、騎士は階級として世襲されるようになり、ますます存在価値を高めていきます。

吟遊詩人

一種憧れの対象になった騎士をさらに鼓舞したのは、戦争とは対極の文芸的な流れです。
12世紀になるとトルバドゥールと言われる吟遊詩人が各地の宮殿を巡り歩いて、騎士の英雄譚や騎士のロマンスを表現豊かに歌い上げます。
演者も騎士自身だったり、高貴で教養豊な人々であったりしたので、文芸に限らす広く社会の文化全般に影響をあたえたようです。

ヨーロッパ各地にはもともと英雄伝説があり、英雄の功績をたたえる叙事詩がたくさんあったようですが、
イギリスも例外でなく、
12世紀聖職者ジェフリー・オブ・モンナスは幾つかの叙事詩をベースに中世騎士道の味付けをした「ブリタニア列王史」なる著書を出し人気を博し、その後も様々な人々の改編を経て「アーサー王の物語」が出来上がります。

馬上槍試合

もう一つ騎士の人気を助長したものに、馬上槍試合があります(これはトーナメントといわれ、現在の野球等のゲーム形式の語源なのでしょう)。
これは疑似戦争で、実際負傷したり、命を落とすことがあったようですが、大変盛んで、
数日間にわたって、競技場や街中で団体戦、個人戦を行い、
勝った騎士は相手を捕虜にし、高価な武器・武装を没収、高額な身代金を稼ぎます。腕に自信のある騎士にとっては貴重は収入源になります。

おそらく現在の、プロスポーツのようなもので、優勝者は高く栄誉を称えられます。

このように騎士を盛り上げる動きが、騎士の人間的質の向上に寄与したのは、間違いないでしょうが、
しからば当時の騎士たちがすべて聖人君子だったかといえば、
そんなことはなく、やはり粗暴な暴力集団が日常だったようです。

騎士が騎士であるためには、武装品は鎧兜や良質な馬や数人の従者等を自前しなければいけないので、
結構お金がかかります。戦場や試合での身代金や略奪が大きな収入源であったのは変わりなかったようです。

騎士の十戒

教会はそのような粗暴な騎士をなだめなければ、教会の制御下に置くことはできません。
以下のようなキーワードを使って、騎士のあるべき姿を熱心に説きます。

PROWESS:優れた戦闘能力
COURAGE:勇気、武勇
DEFENSE:教会、弱者の守護
HONESTY:正直さ、高潔さ
LOYALTY:誠実、忠誠心
CHARITY:寛大さ、気前よさ、博愛精神
FAITH:信念、信仰
COURTESY:礼節正しさ

1275年頃、騎士にして神学者であるラモン・リュイが著した「騎士道の書」は「騎士道の法典」とも呼ばれ、
中世を通し騎士の必読書であったのみならず、聖職者にも教本として親しまれたということです。
この中で下に示す騎士の十戒を説いていますが、
教会への服従、弱者への敬愛を説いくものの、
目上の人(日本でいえば、天皇や貴族や将軍や戦国大名や親)への服従=「忠」や「孝」について説いていません。
武士道の精神的基盤になった儒教と根本的に異なるところだと思います。

第一の戒律 不動の信仰と教会の教えへの服従
第二の戒律 社会正義の精神的支柱であるべき“腐敗無き”教会擁護の気構え
第三の戒律 社会的、経済的弱者への敬意と慈愛。また、彼らと共に生き、彼らを手助けし、擁護する気構え
第四の戒律 自らの生活の場、糧である故国への愛国心
第五の戒律 共同体の皆と共に生き、苦楽を分かち合うため、敵前からの退却の拒否
第六の戒律 我らの信仰心と良心を抑圧・滅失しようとする異教徒に対する不屈の戦い
第七の戒律 封主に対する厳格な服従。ただし、封主に対して負う義務が神に対する義務と争わない限り
第八の戒律 真実と誓言に忠実であること
第九の戒律 惜しみなく与えること
第十の戒律 悪の力に対抗して、いついかなる時も、どんな場所でも、正義を守ること

社会的地位を得た騎士は契約によって領主に仕えるようになり、更には自身が領主になるケースもあったようです。
初期の騎士は名前を残していませんが、吟遊詩人としての騎士は名前を残していますし、
その後は更に「成功し」後の世に名前を残した騎士も少数ですがいたようです。

ウィリアム・マーシャル、テンプル騎士団、ゲグラン、ドン・キホーテ

12世紀、イングランドで小地主の次男として生まれたウィリアム・マーシャルは、
放浪の騎士生活の末に、イングランド国王に仕え上流貴族に列せられ、
広大な領地とイングランドの摂政の地位を手に入れ、ヨーロッパで最も有力な人物の一人になります。

教会はイスラムから奪ったイェルサレムに巡礼する人々を守る目的で騎士団を経営します。最も有名な騎士団はテンプル騎士団です。
テンプル騎士団は莫大な資産を持つことになり、12世紀から13世紀に亘って人々の利便性から金融に力をいれ、後のヨーロッパの金融市場に大きな役割を果たします。
この強力な権力を奪おうとフランス王とローマ教会は、テンプル騎士団に無実の罪を着せて滅亡させます(1307年10月13日金曜日)。
所謂呪われた「13日の金曜日」です。

14世紀の最も有名な騎士は、フランスのベルトラン・デュ・ゲクランです。
後に100年戦争といわれるイングランド(フランス系王朝)と争ったフランスが当初完敗しそうな状況で、
ゲクランはフランスのために奮戦、フランスを救った英雄として語り継がれています。

15世紀になると、鉄砲・大砲が戦争の主要武器になり、戦争も個人戦よりも組織戦になります。
かつて騎士が主役であった戦争は一種の競技あるいは競技の延長でしたが、今や戦争は仕事であり、騎士の役割が減少していきます。

1605年セルバンテスは「ドン・キホーテ」を著わし、大ベストセラーになります。
ドン・キホーテの解釈は色々あるようですが、当時は騎士道を茶化したものと受け止められたようです。

小説「ドン・キホーテ」と共に、騎士道も遠い昔のよき時代のお話になったのでしょうか。

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