タウンゼント「暗黒大陸 中国の真実」

私は中国あるいは中国人を殆ど知りません。

これまで「中国は日本文化の源流だ」と、何はともあれ敬意をもってみていました。
漢字や仏教や様々な文化を教えてくれたのは中国であり、私が大好きな[三国志]は、日本がいまだ未開時代の歴史物語です。「中国は日本にとって文化や道徳の先生だ」と思っていました。

ラルフ・タウンゼント[暗黒大陸 中国の真実](芙蓉書房 2007年)を読みました。

驚きましたが、「やっぱりそうなのか」という方が正しいかもしれません。近年TVで酷い中国人が映し出されますが、私は本当のところ無関心で、「どの国にも酷いやつはいるよ」程度に思っていました。しかしこの際、中国人観を考えなおす時だと思います。

原著は1933年の発行です。

「眠れる獅子」といわれた中国が、アヘン戦争(1840年)で英国に、日清戦争(1894年)では日本にあっけなく敗れたことで、西洋列強は我先に中国に狙いを定め、上海や香港やその他の土地に租借権を確保し、中国へ勢力拡大を計っています。

清王朝の力は弱くなり、辛亥革命(1911年)等の反乱が勃発、清は滅亡し(1912年)、南京に中華民国が樹立されましたが、いまだ確固たる統治機構が成立せず、様々な勢力が衝突を繰り返していた時代です。

中国というパイを、列強が分け合う相談をしています。
左から、英国、ドイツ、ロシア、フランス、日本(Wikipediaより)

タウンゼントはアメリカ人で大学卒業後、一時新聞記者になりますが、のち国務省に入り、1931年から上海と福建省で米国副領事を務め、1933年外交官を辞めて本書を書きます。

彼は中国に住んで、ほとほと中国人に手を焼いて、完全に切れています。彼は中国人が大嫌いです。

次のように書いています。

驚くべき感受性を持つと同時に本性むき出しで脅しつける人、完成された職人芸を持ちながら崩れ落ちぶれたあばら屋に住む人、仕事熱心でありながら共同では働けない人、事あるごとに諺を持ち出しながら全く信じていない人、外国人を怒らせながら持前の才でなだめ上手な人、いつも忙しくしていながら何もできない人。4億の人。雨に煙る緑の田んぼ、ジャンクや籐の帆掛け船が浮かぶ黄色い川。すべてに香辛料とじめじめしたカビのような匂いが漂う。これが中国であり、中国人である。

この記述はまだ控え目です。本の大半は、中国人がいかに酷い人種であるかを気分が悪くなるほどに書き綴ります。

彼によれば中国人は、調子はいいけど、金がなによりも大切で、約束は守らず、嘘をつくのはあたりまえ、自分が大事、家族が大事。国のために団結するなど考えられず、全く信用できない不正まみれのゴロツキの群れである。

 

アメリカやフランスの租界地にいる外国人は、しばしば略奪や虐殺にあっています。

そんな中1932年、上海事変が勃発し、日中が衝突、日本は上海を空爆します。現地の多くの西欧人からは「日本はよくやった」という声があがります。

ところが、中国で布教を続けるキリスト教の宣教師は、どこまでも中国の味方をし、新聞もまた碌に真実を調べもせず中国に同情的な記事を書きます。

ここで、アメリカにおける中国人観、日本人観を押さえておかなければなりません。アメリカには古くから中国人が移住していて、中国人は愛嬌がよくアメリカ人からすれば憎めない人種だったのですが、後に移住してきた日本人は社交的ではなく、アメリカ人からすれば得体の知れない人種だったし、日清・日露戦争で力を見せつけた日本は、白人帝国を脅かそうとする警戒すべき国・人種だったのです。

 

後半には視点を変えて、具体的な話が出てきます。一つは「日本と中国人」の章で、中国人との対比で日本人論を展開しています。日本人評は、ほぼ納得できるものです。

この中で日本と満州のかかわり、張作霖および張学良と日本の関係、その過程でのあるいはその結果に対する、欧米の日本への不当な干渉・論調を憤りをもって述べています。

南京虐殺の話が出てきます。私はてっきり日本によるとされる大虐殺のことかと思ったら、1926年、中国国民党による外国人虐殺の話でした。

北伐第一軍が南京に入城したとき、「略奪、外国人殺害許可証」をもっていたということで、
すなわち外国民間人の虐殺は、軍としての方針であったと主張しています。

 

この本を読んで思うのは、「これまで中国という国をどれほど好意的に理解していたか」。という感想です。

韓国は胡散臭いと感じていましたが、中国はいつも割り引いて考えていました。(酷いのは共産党で、人種としては日本人と変わりはないのだと。)

この本に書かれたことは混乱の中の中国の話ですから、そのまま現在に適用するのは適当ではありませんが、尖閣列島の中国の行動、反日の日系商店、企業の打ちこわし。高級官僚の汚職、国家予算のなん分の一かは、どこに消えたか分からないという政治体制。

本質的な部分は当時と今とでは変わっていないと思います。

 

それと、ここでも思い知らされたのは、「日本は国際世論に鈍感ではいけない」ということです。これはなかなか難しいことですが、すくなくとも、いつも「正しいことは正しい」とはっきりと主張しなければいけません。問題を先送りにして、何を考えているのか分からない人種・国ではいけません。

日本はいつも自分の考えを主張する国としてその存在感を示さなければいけません。それは安全保障の原則だと思います。

ただし、威勢のいいことをいって、外国から噛みつかれると、すぐに放り出して自分で最後まで責任をもって対処しなかったり、すぐに「ごめんなさい」といって逃げ出す政治家は、逆に日本を不利な立場していくことを認識しているのでしょうか。

そもそも国政をになう政治家が国益にからむ問題をどれほど真剣に勉強しているのでしょうか。また政治家の発言の重みをどれだけ明確に認識しているのでしょうか。

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