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Python

約30年前(1980年代)、私が大型CADの開発を計画した時、パソコンといえばまだオモチャみたいなもので、ワープロ(一太郎)や表計算(multiplan)で事務文書を書く程度のものでしたので、これでは使い物にならず、開発環境としてはUNIX+Cを使う以外考えられませんでした。

ところが、1995年Windows95が出現してからは、マイクロソフトの影響が強力で、アプリケーション開発ではUNIXではなく、Windows PCで開発するのが主流になりました。

私も時流に乗り遅れまいと、.NETとくにVB.NETを勉強し、専らVB.NETのプログラムを沢山書いていました。Webの世界ではJavaやJavascriptやPhpが使われていましたが、私はお手伝いで使う程度でした。

Unixは元々米国ATTの研究者が研究用として作成したもので、徐々に評判を得たOS(基本ソフト)でしたが、ビジネスと結びつくと結構高額な商品で、簡単に使えなくなりました。ただしソースは公開していたので、1991年に当時フィンランドのヘルシンキ大学の学生であったリーナス・トーバルズがUnixを参考にUnix互換ソフトを開発、無償で公開しましたので、瞬く間に評判を得て、また沢山の人が開発に協力するようになって、Linuxとして大きく成長することになりました。

時代がWEBの時代になり、LinuxがWEBサーバーとして独占的に使われるようになると、マイクロソフトが強力に作り上げたPC中心のクローズした世界は仇となって、Linux上で動作するフリーソフトを中心にした技術が大変重要視されるようになってきました。

昔は傍流であったJavascriptやJavaやPhp、最近急激に人気がでてきたPython(パイソン)やRuby(ルビー)の技術者に多くの求人が集まっています。

私は、これまでPythonやRubyに関心がなかったし、勉強しようとも思っていなかったのですが、今評判の言語を全く知らないのもしゃくなので、少しPythonを勉強してみました。

Pythonを勉強してみて、まず思ったのは、「いい教科書がない。あるのかもしれないが、探せない。マイクロソフトではこんなことはあり得ないことだ」と、最初に面喰いました。

Pyhotnの入門書はありますが、これはプログラミングの初級者用で、プログラミング経験者にはあまりにもかったるいのです。また「いいかな」と思う本は、なぜか気取った書き方で、「言語仕様を普通に解説してよ」といいたくなります。ともかく数冊読んでみました。

「この言語は『極力余計なことをしない』を設計の中心においている」と感想を持ちました。この点では「Perlに似ているが、その方針はPerlより徹底している」と思いました。

例えば次のようなことです。

プログラムは通常上から下に実行していきますが、途中で頻繁に分岐やループします。

このとき「ブロック」が明確である必要があり、メインのブロック、分岐したAのブロックとBのブロック、分岐ブロックの処理が済んだときに帰ってくるメインブロックの位置が明確でなければいけません。

C言語の系列では{}でブロックを表現しますし、他の言語では、If 判断 then Aブロック else Bブロック endif のように、then、else、endifを使ってブロックを明確にします。

これは結構かったるいのですが、Pythonではインデント(行揃えをずらす)ですませます。

また、計算では数字や文字のグループ操作が沢山あり、これも面倒なのですが、この部分も効率よく処理します。

しかし、なぜこれほどまでPythonの人気があるのか、本当のところはよくわかりません。

一つ言えるのは、WEB関連で便利なモジュールやパッケージが沢山無料で出回っていること、多分、処理系も軽く比較的容易にWEBに組み込むことができるからだと思います。

さて、GoogleやYahooで探したい事項を検索すると、関連するサイトの一覧を表示しますが、どのようになっているのだろう、と思っていました。

「Pythonによる クローラー&スクレイピング入門」(加藤勝也 翔泳社、2017年)を読みました。

Wikipediaによると「クローラ(Crawler)とは、ウェブ上の文書や画像などを周期的に取得し、自動的にデータベース化するプログラム」で、スクレイピングとは情報を抽出することのようです。

この本にはたくさんのクローラーとスクレイピングの技法を紹介しています。

以前書きましたようにWEBページのソースには、通常ユーザに見えていない沢山のタグ(画面制御用のラベル)がついています。そしてこれらのプログラムはこれらのタグを辿って必要な情報を抽出・表示していきます。

「価格.com」や各種ランキングページは特定のページをクロールし、定期的に価格やランキングを取得しているのだと思います。

この技法を使って、YahooやGoogleを始め、沢山のWEBサイトがこのような処理をしているのでしょう。この分野の求人も結構沢山あるようです。

乳癌

母親の世話で長年遠方(九州)の実家で生活している妻から、昨年9月乳癌に罹ったと連絡があり、直ちに自宅(千葉県柏市)に帰らせました。

随分昔になりますが、実家の家業を仕切っていた妹が亡くなって、妻はその代役として実家の手伝いに行ったのが始まりで、当時はやるべきことをやって毎月自宅に帰っていたのですが、数年前母親が倒れて母親の世話がメインの仕事になってからは、妻は滅多に自宅に帰ることができなくなっていました。

自宅から10分ほどのところに国立がん研究センターがあって、羽田からの帰宅に妻が使っていた高速バスがここに止まりますので、私は何度も妻をがんセンターに迎えにいっていましたが、彼女は大抵夜帰ってきましたので昼間のがんセンターの顔を知らず、暗がりに浮ぶ人影のない大きな病院の外観をみて、「私たちとは関係のないことだが、癌にかかる不運な人がいるのだ」と他人事と思っていました。

しかし思いもよらず、妻が乳癌に罹ったと言ってきたとき、当院にかかるのが当然と考えました。

 

九州の病院では、両乳房に癌ができていて、かなり進行しているので全摘出するといわれ、彼女は覚悟を決めて長年生活で使っていた沢山の衣類を送り返してきて、直ちにがんセンターに行って癌の治療にかかりました。

がんセンターでは骨とリンパ節への転移を検査しました(検査名:シンチ)。
これらの検査は原理的にいえば、癌に集まる性質の微弱な放射性物質を体内に入れて、それを長時間露出で撮影して癌のある場所を特定するようです。話によれば東大グループがノーベル賞を受賞したカミオカンデで使ったと同類の装置だということで、私は検査室には入れませんでしたが、妻の話では相当大きな装置だそうです。

今回、私はがんセンターが近くにあってよかったとつくづく思いましたのは、がんセンターは最新の検査装置を備えていて、他のことは分かりませんが、検査は現在の日本のベストの機器を使うのだろうと推測されるからです。

検査の結果、骨や他臓器への転移はない。ただし右乳房には3センチ程度の浸潤性乳管癌が、左乳房には3センチ弱ののう胞内癌があり、右わきの下リンパ節には4つのセンチネルリンパ節がありそのうち一つには癌組織の存在が疑われる、左には一つのセンチネルリンパ節が疑われるということでした(なお、両乳房が同時に発症する確率は3%程度だということです)。手術は全摘出ではなく残せるところは残すという方針が示されました。

検査に時間がかかったのと、多分それ以上に病室に空がなかったのが原因で、1か月後の10月17日入院、19日手術を受けました。切除したのは、右が少し大きかったようですが、多分10×5×5センチ程度の左右の患部と、わきの下のリンパ節の一部を切除しました。右のリンパ節には1ミリ弱の癌の塊が一つあったようですが、左は切開して確認しただけで済んだようです。

多分内蔵と違って乳がんは手術としては簡単なのでしょう、なんと2日後には病院を追い出されました。

乳癌手術としても軽度だったのでドレインを使うことなく、一か所少し化膿しましたが、傷は比較的順調に回復しました。

続いて12月から3週間毎に4回の抗がん剤治療を受けました。妻は抗がん剤治療の悪評をネット等で調べていたので、受けたくないといっていたのですが、私は半分強制的に抗がん剤治療を受けさせました。
最初にすぐ顔に赤みが出たり、手足がうっ血しやがて「爪が浮く」といっていました。同時にひどい便秘になったり、髪の毛が抜けたり、両足にむくみが出たり…やはり大分辛い治療になりました。

2月5月~19日、抗がん剤治療中です。(画像をクリックしてください)

抗がん剤を注射すると抵抗力が落ちるので、抵抗力を落とさないように毎回2日後に別の注射を受けましたが、この注射もまた副作用があるようです。

ともかく、2月まで抗がん剤治療を受け、3月になってから今度は平日毎日計21回放射線治療を受けました。抗がん剤治療に比べてこちらの副作用は小さかったですが、少し火傷の症状を起こしたようです。

3月いっぱいで当面の治療が終了しましたが、未だに抗がん剤の副作用があって、夕方になると足がむくみますし、数本の足の爪が剝がれ(結果的に1本を残しすべての足の爪がとれました)、長い間動かないことで両足の親指が巻き爪になりました。

治療は一段落しましたが、癌がホルモン由来だったので、今後も薬を毎日5年から10年間呑み続けなければいけませんし、3か月毎に内科の診察と半年ごとに外科の検査(マンモグラフィー)を受けなければいけません。
今も抗がん剤やホルモン剤の副作用があるらしく、時々めまいや嘔吐があり、食欲もなく、また暫く動かなかったので筋力が衰え痩せたようです。

7月10日一通り治療は終了しましたが、後遺症が残っています。
髪の毛が縮れ、足の爪が剥がれました。(画像をクリックしてください)

当初妻は、ステージ4を覚悟していたようですが、がんセンターではステージ1か2だといわれ、5年後再発率は2~3%だということですから、年齢からして再発を余り気にすることはないのでしょう(私だった5年後生存率は50%程度でしょうから)。今は髪の毛も数センチに延びましたし、注意深く元気を取り戻していくしかないのでしょう。夏には普通の生活ができると期待しています。

今回の件で、幾つか考えることがあります。

まず、癌は絶対がんセンターにかかるべきだということです。
手術の腕は分かりませんが、検査設備が充実しているので、切開の前に癌の居場所や大きさを突き止めてくれる。それによって治療を最小限に抑えることができると思います。また国立がん研究センター東病院では一棟全部が手術棟になっていて、図面でみると1フロアに20程度の施術室があり、直下の階に検査室と薬品庫を配置しています。手術の途中で取り出した生体を直ちに検査し確認しながら手術を進めるのだと思います。
第二に治療はチームで当たっているので、一人の医者が暴走することはないだろうと、この点の安心感があります。

逆に、不満は担当医が判断を自分でしないで、こちらに投げる傾向にあることです。こちらは初めてのことで、説明を受けても、どうするのがいいか判断のしようがないのに、「これとこれがありますが、どうしますか」という言い方をします。

手術後、担当が内科に移って、内科での治療方針のオリエンテーションがありました。ここで、内科医が、血液検査でB型肝炎のサイレントが発見され、「抗がん剤を使用すると劇症化する恐れがあります」といいます。
私は少し驚き(私自身も同様サイレントがあるようですし、中高年では珍しくないようです)、癌に対処するには抗がん剤を摂取しなければならないのだから、発症の恐れを受け入れなければいけない。ただその対応に万全を尽くしていただきたい。と私は考えました。
私は、「万一発症したら、こちらで対応していただけますよね」と当然のこととして、確認しました。
ところが担当医の発言は「対応しません」といいます。唖然としこの「医者はなにをいっているのか」と怒りに顔が強張るほどでした。

このような対応はがんセンターの方針なのだろうか。それともこの担当医の人間性の問題だろうか。どちらにしても、今答は見つけられませんが、医療機関の人間としてのレベルの低さに驚いています。

 

それにしても、癌患者がなんと多いことか。毎日1000人以上の患者が外来しています。

また、わが家としては幸運でしたが、妻は70歳になったところで、年金以外の収入がないので、毎月の医療費の上限が低額に抑えられています。これが働き盛りの中年だと、数百万円の費用が掛かるのだろうと思います。

しかしそれ以上に国は、癌医療だけでも相当な負担をしているのだと実感しました。