ピーター・ドース他「帝国という幻想」

日本は「大東亜共栄圏」をどのようなものと考え、どうしたかったのか知りたいと思い、
ピーター・ドース他「帝国という幻想」(1988年 青木書店)を読んでいます。
話が重くなかなか先に進みません。

この本は日米の専門家による共著で、
大東亜共栄圏構想のなかで、
朝鮮や満州や中国等をどのように位置づけたのか、位置づけようとしたのかについて書いています。

全7章からなっていて、次のように章立てなっています。

朝鮮観の形成
東亜同文書院とキリスト教ミッションスクール
引き裂かれたアイデンティティ
ミクロネシアにおける日本の同化政策
植民帝国・日本の構成と満州国
東亜聡盟運動
東条英機と「南方共栄圏」

序章「想像の帝国」(ピーター・ドース):

日本が開国した当時、ヨーロッパはダーウィンのいう「適者生存」の「科学的知見」からして、
弱者を支配するのは自然の節理であると、自分たちの世界戦略=帝国主義を正当化しました。

日本は開国にあたっても、また開国以降も西欧に対する被害者意識が後々まで続きます。

アメリカの歴史学者はアメリカの右翼の政治活動を「[パラノイド・スタイル]と名付けました。

ここでいう[パラノイド・スタイル]はありもしないことを妄想するのではなく、
「事件を陳述する際、ある特定の点に関して常になされる想像上の奇妙な飛躍」と定義しています。
(日本を論ずるときわざわざこのような言葉を使うこともないと思いますが。)

日本は開国後の不平等条約についても、
(ドウスは書いていませんが、
日露戦争でロシアから権益を移譲された遼東半島のを3国干渉で放棄せざるを得なかったことについても、)
第一次大戦後関東軍の満州侵攻に対する西欧の横やりも、
被害者意識をつのらせますが、これらはすべて[パラノイド・スタイル]の概念で説明できるといっています。

1937年盧溝橋事件が発生し、日本は日中戦争に突入しますが、
これに西欧は反発し、日本への圧力を強めていきます。

日本は西欧からの圧力に比例して、独自の帝国の概念の構築しようとします。
その本質は西欧に植民地支配されたアジアに国々との共同を前面にだしすことです。

言葉は、東亜共同体、東亜連邦、東亜民族、東亜新秩序、
そして最後には大東亜共栄圏と変化しますが、
「日本の帝国」ではなくあくまでも「アジアの共同体」を謳います。

アジアは西洋とは異なる東洋の仲間の国は同じ文化を持つべきだと、
まず、台湾と朝鮮の「同化」を試みます。

しかし、日本が満州の実権をにぎると同化思想には無理があり、
むしろ独立を認め独立国との連盟という考えに舵を切ります。

第一次世界大戦後の西欧の考えでは、
「植民地は植民される側に利するような支配がなされるべき」という考えが力を持ち、
この延長としてこの信託統治とか委任統治といわれる統治が正当化されますますが、
その実態は、「先進国」が後進国の「後見」をするのだという論理になります。

1941年太平洋戦争が勃発し、日本が領土を東南アジアに広げると、
問題はさらに複雑になり、むしろ西欧植民地主義に近いものになってきますが、
被害者であるアジアの国々と共同体をつくり、
「ヨーロッパの植民地体制の抑圧と搾取、従属、奴隷状態が、
地域内の人々との協力と平等と友愛と相互の絆にとってかわる」と主張します。
実際、多くのアジアの独立運動家は、日本に期待を寄せ行動を共にします。

しかし、日本は戦争に敗れ、大東亜共栄圏の構想は幻想に終わります。
この戦争の終結についても、著者は次のようにいいます。

日本は戦争に敗れたが、アジアの国々に敗れたのではなく「白人帝国主義者」に敗れたので、
結局のところ、被害者意識がなくならないし、
「日本はアジアの解放者たろうとしたのだ」という幻想も依然として残存したままになった。

(西欧は戦後の植民地の独立により辛い経験をしたので、
けじめをつけたといっていますが、日本人である私には実感がありません。)

アジアの国々の指導者も、大東亜共栄圏構想の欺瞞を認識していてが、
それでも日本への期待をもっていました。

ビルマの総理大臣バ・モオは、
「日本ほど、アジアを白人の支配下から解放するのに尽くした国は、他にどこにもない。
にも拘わらず、解放を援助しまたは、いろいろな事柄の手本を示したその人々から、
これほどまでに誤解されている国もまたない」と述べています。

その原因は、軍部の蛮行につきる、
アジアの人々にしてみれば、
結局支配するものが西欧から日本に代わっただけだったと著者はいいます。

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