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ジョン・ダワー「容赦なき戦争」2

タイトルの「容赦なき戦争」とは、先の太平洋戦争が、「文字通り日米が敵を情け容赦なく殺戮した戦争だった」といっているのです。
「なぜそうなったのか」。
その戦争が人種差別を根底にしたからだといいます。

ところで、「日本軍は残虐だった」とよく言われるし、私自身何の検証もなくそう思っていましたが、最近は「本当にそうだったのだろうか」と疑っています。

イザベラ・バードの「朝鮮紀行」に朝鮮の刑罰の話が出できます。

李氏朝鮮は法治国家ではなく、貴族は奴隷をどのように扱っても構わなかったそうですが、ある時奴隷階級の男が公衆の面前で罰せられます。刑は棒打ちです。こん棒で臀部を死ぬまで殴るのです。肉は飛び散り、骨は砕けます。股の間に棒を突っ込み足の骨を折り、殴り続けます。男は苦痛の中で絶命します。
(実は細かいことはよく覚えていません。「酷いことをするのだな」とまともに字面を追うことができません。)

昔の韓国や中国の刑罰は、「見せしめ」の意味が強くてとても残酷です。

インターネットで調べてみると、江戸時代の刑罰は、江戸中期以降は基本的に法に基づいていたし、朝鮮や中国ほど身体的に残酷ではなかったように思います。死罪の場合、どちらかといえば苦しまないようにという配慮があったのではないでしょうか。武士の切腹での斬首は、無用な苦しみを与えないようにするためと言われています。

太平洋戦争でのアメリカもまた残忍だったのです。

米兵は日本兵の耳をそぎ落とし、西欧人としては珍しい金歯を、ときにはまだ生きている負傷兵の口を割いて取り出し、戦利品として持ち帰ったり、頭蓋骨を恋人へのお土産として送ったということです。
これはたまたま数件あったというのではなく、相当数の事例がありました。
Wikipedia 「米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断」  クリックしてください。
「連合軍による戦争犯罪 (第二次世界大戦)」 クリックしてください

また、日本人捕虜を一人逃がして、崖を上って必死に逃げようとする日本兵を、遠くから銃撃して、命中すると大はしゃぎして喜んだと同書に書いています。

彼らは常々日本人を人間とみないで、蟻とかゴキブリとか猿とか言って罵っていましたので、「人間を殺ろすのは躊躇するが、ゴキブリや猿なら構うことはない」というわけです。

西欧が日本人の捕鯨は人道的に残虐だといいつつ、牛や豚を殺すことを何とも思わない、主張に通じます。

Webには大戦での日本兵の残虐行為がたくさんでてきます。私は日本人は基本的には残酷を好まない民族だと思いますが、極限の中で狂気はどのような人間にも顕在化する可能性があると思います。

一つ言いたいことは、日本人「だけ」が、あるいは日本人が「特に」残虐だったという主張は、承服できません。

いま「どちらがより残虐だったか」とか「どちらが先に残虐行為をしたか」とかは重要ではありません。どちらも、あるいはどの戦争も残虐だったのです。ただし、ダワーによれば、太平洋戦争の残虐さは類をみないということです。

著者は、欧米陣営からの戦争の動きを記述しています。

日本が真珠湾を奇襲するまでのアメリカは日本を舐めていました。

開戦するとアメリカは日本人を分析します。当時もてはやされた精神分析学をもとに、日本人の異常性は幼児期の扱いにあるとまことしやかに語られました。「日本人は幼児のお尻が汚れることを極度に嫌い、それが異常な日本人の潔癖症を作り出している。さらに次の子供が生まれると、あれほど可愛がられた子供は今度は邪険に扱われるので、精神に異常をきたし、幼児性を脱することのできない。白人の尺度で測ることができない世界でも異常な人種である」というものです。

このような分析とは異なる次元では、日本人を昆虫や動物、「黄色い猿」と決めつけ、結果「猿を殺すのはどうってことはない」という深層心理を正当化します。

本書によれば日本軍の残虐の報復として、アメリカも残虐な絶滅戦をします。

1941年東条英機陸相は「戦陣訓」を配布。この中に有名な「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」という文言があり、これが原因で、日本兵が死にもの狂いで戦ったという説があります。(これが配布された理由、またそれを日本兵がどれだけ尊重したのかについては、議論があるいようです。)

沖縄の平民も降伏しなかったのは、日本軍の指示によるという説と、降伏した日本人を米軍が射殺したからだという説もあります。

いずれも一理あると思われます。

いずれにしても、小さな「黄色い猿」が死を恐れず、凶暴な姿で応戦してくる。一種恐怖心から、逆に欧米人も狂気、凶暴を極めたのでしょう。

アメリカには鉄道施設の労働者として、古くから中国人が働いていましたが、彼らに対する人種差別も激しいものがあり、やがて中国からの移民を禁止します。

その後移住した日本人にも人種差別をし、開戦後はドイツやイタリヤからの移民を特別差別しなかったのに、日本人に対しては強制的に隔離収容します。

一方、日本はドイツとの軍事同盟のために人種戦を標榜しにくい状況でしたが、それでも徐々に、これは有色人種の独立戦だとする日本のプロパガンダが東南アジアの人たちに浸透し、アジア諸国は独立の気運が芽生えてきます。

アメリカ側の戦いは基本的には人種戦でしたが、人種戦を前面に出すことに慎重になります。

日本を背後から攻撃するためには、中国と組む必要がありましたが、軽蔑した中国人と組むことに抵抗がありました。幸い中国にはキリスト教が浸透していて、中国人というよりキリスト教徒と組むという理屈で、蒋介石を支援します。
(2013/7/11 当ブログで紹介した「ウイリアムズ「中国の戦争宣伝の内幕」」でも同様の指摘がされています。)

ジョン・ダワー「容赦なき戦争」

私は常々「国家心理学」という研究があればいいと思っています。

国の重大な行動(たとえば開戦)はどのように決まっていくのだろうという問題です。国を動かす心理はどのように醸成されていくのか、非常に興味があります。

ヒトラーのように強力なリーダーが国を動かすこともあるでしょうし、特定の個人でなくムード的に集団心理が一方に集中し、その結果そのように行動に移っていくというケースもあるでしょう。どちらにしても、結局国はある方向に動いていきます。

関連ある学問は社会学とか社会心理学だと思いますが、これらは国レベルではなく小さな社会についての研究だと思います。

文化人類学もこれに近い研究だと思いますが、これも私が知る限り原始社会についての考察に終わっていると思います。

アメリカの歴史学者ジョン・ダワーの「容赦なき戦争」(原著 1986年、平凡社 2001年)を読んでいます。全約500ページ程度で今半分くらいを読んだところです。

第二次世界大戦当時、日米双方の人種的偏見に基づく狂気について、当時巷に氾濫した情報に基づいて太平洋戦争を考察しています。下は本書の序文の一部です。

政策立案と戦闘状況の記述に焦点を合わせる代りに私は、敵と味方の両陣営に殺戮を心理的に容易にした、むき出しの感情と紋切り型の言葉とイメージを探求することを選んだ。

このことは学者たちが一般に頼りとする公式文書とはまったく違う「テキスト」、たとえばスローガン、歌、映画、漫画、それにありふれた慣用語句とキャッチフレーズを、私に吟味させることになった。

著者の意図するところは、明確に読み取れます。公式文書の解説とは異なり、生々しい敵味方の感情・心理が手に取るように見えてきます。これまで読んだところは、欧米特にアメリカにおける人々のものの考えかた、日本に対するイメージや言動が、どのように出現し、どのように浸透・拡散していったか書かれています。

第三部「日本人からみた戦争」はまだ読んでいませんが、そこに書かれているだろうことを予想して、次のように集約できると思います。

すなわち、ジンギスカンやオスマントルコ隆盛時代ならいざ知らず、大航海時代以降の白人は、白人こそが人間であり、他の有色人種は動物にも等しいと何の疑いもなく考えていた。

その考えの下では、アフリカ人を奴隷にすることも、アジアや全世界の国々をほしいままに植民地にしていくことも、白人=人間としては当然の行動であった。

その脈絡のなかで、日本と米国が険悪な状態になったとき、日本とアメリカのとった敵に対する態度は決定的に異なるものでした。

アメリカは、日本人を考えられる限り下等で下劣な動物に仕上げ、あらん限りの罵声を浴びせるのに対して、日本は、自分たち日本民族がいかに優秀であるかを考え出して自己陶酔しています。アメリカを悪くいうのはせいぜい「鬼畜米英」というくらいです。

すなわち、アメリカ人は攻撃的であり、日本人は自己防衛的自己満足的なのです。

アメリカは、日本人をゴキブリ、アリ、サルと考えられる限りの悪いイメージを作っていき、その嫌悪感を「そうだそうだ」と白人全員で共有していきます。

日本は天皇をいただく皇国と自国を美化し、あくまでも自己中心的です。

「劣等なサルをやっつけよう」と仲間を増やしていくアメリカと、あくまでも自己求心的な日本とでは、少なくとも前哨戦=プロパガンダ戦では勝負ありです。

歴史から学ぶこと 2

先月[歴史から学ぶこと]と題するブログで、
日本の現代史を、世界全体を俯瞰して考察しなければいけないと書きました。

ところでもう一つの問題。
日本が他国との関係で国際的に問題になったとき、
日本はどのような態度をとるべきかという点です。

最悪なのは、「誰々がこういっている」といういい方です。
TVのコメンテータが「アメリカは日本に『失望している』といっている」とか、
フランスがどうのとか中国がどうのとか韓国どうのとかいういい方は最悪です。
「お前さんの考えはどうなんだよ」。
「それでコメンテーターなのかよ」と言いたくなります。

田嶋とかいう馬鹿女に至っては「ヨーロッパはみんな日本のことを笑っていますよ」、
とかいうと怒りがこみ上げてきて、「テレビにでてくるな」と心の中で叫びます。

例えば、先の戦争で日本軍は残忍だったと広く言われていますが、
そもそも戦争は常に残忍だし、日本が特に残忍だったのではありません。
西欧の日本に対する人種的偏見は強烈だったし、
先の戦争では、アメリカは日本人捕虜をとらないことが一般だったのです。
すなわち日本人を捕虜にしないで、殺すという方針をとっていたと、
リンドバーグは日記の中で書いていますし、
戦争末期には、多くの西欧人は本気で日本人を絶滅すべきと論じたのです。

戦争ですから、西欧だけが非道かったのではなく日本も非道かったのでしょうが、
戦後になっても、日本人=残虐という構図は戦勝国が都合よく作り上げたステレオタイプです。

これにのっかり、いまでも韓国や中国、時には西欧の世論は日本は残酷な国だと決めつけ、
その脈絡の中で慰安婦問題や南京虐殺問題の主張を正当化します。
国際的にしみついた日本人に対するイメージを私たちは再検証しなければいけません。
我々自身で日本と日本人について、公平に学び直さなければいけません。

こういう状態の中で、「アメリカが…」とか「EUが…」とか「中国が…」とか、
他国の主張を丸呑みするコメンテーターは思考停止した売国奴です。

もう一つ、外国のいうことは「放っておけばいいよ」というのがあります。

韓国の朴大統領か世界中て機会あるごとに日本を非難して歩きます。
日本では「告げ口外交」と揶揄していますが、これを放っておくのはいけません。
黙っていることは、それを認めたことになり、
現にネットをみていると「韓国のいうことはもっともだ」という西洋人もいます。
はっきりと反論しなければいけません。
黙っているのは絶対にいけません。

 

首相が靖国神社に参拝すると、韓国、中国は反発します。
政治家が微妙な問題にうかつに発言するのは禁物です。
政治家の行動、特に首相の行動は監視されていますので、
揚げ足を取られないように、最大の注意を払いできる限り当たり障りのないようにしなければいけません。

その代りに、国民はもっと国際政治に関心をもって、
自分の考えたことを発信しなければいけません。
国民の声に押されてやむを得ず、政治家が発言し行動するという形が望ましいのです。

ヘイト・スピーチが時々マスコミに取り上げられます。

私は実際にヘイト・スピーチに遭遇したことはありませんが、
人種差別のような下品な発言はいけません。

いうべきことを論理的に冷静に、国際社会に発信することが重要だと思います。

建築士定期講習終了証

一級「建築士定期講習終了証」が届きました。

合格率はおよそ99%ですから、ほとんど全ての受講者は合格するのですが、それでも自分がその1%になるかもしれないと多少の不安はありました。

結果は4月30日発表、終了証が5月1日に届きました。

これで晴れて、誰からもケチをつけられることもなく、一級建築士です。