江藤淳「閉ざされた言語空間」2

CCDの業務は次のようなものだったと、Wikipekiaは解説しています。

民間通信(すなわち、郵便、無電、ラジオ、電信電話、旅行者携帯文書、及びその他一切)の検閲管理、秘密情報の取得などを使命とし、
国体の破壊、再軍備の阻止、政治組織の探索、海外との通信阻止などを主眼とし、
後に新聞、あらゆる形態の出版物、放送、通信社経由のニュース、映画なども民間検閲の所管としてこれに加えられた。

CCDは郵便,電信,電話の検閲を行う通信部門と、
新聞、出版、映画、演劇、放送などの検閲を担当するPPB部門からなり、
東京、大阪、福岡およびソウルにオフィスを置いて、検閲業務を遂行しました。

検閲は昭和20(1945)年9月10日に開始、昭和24(1949)年10月31日に終了しています。

1947年3月現在の構成人員は将校88名、下士官兵80名、軍属370名、連合国籍民間人554名、
日本人5076名、総員6168名であった(別の資料では、検閲官は1万人を超えていた)という。
因みに日本人の給料は日本が支払っていたということです。

CCDで検閲官は何をしたのか。
GHQが設定した規則=プレスコードに抵触する情報の抽出です。

プレスコードの項目は要するにGHQに都合の悪い情報で次のようなものです。

  1.  SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2.  極東国際軍事裁判批判
  3.  GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
  4.  検閲制度への言及
  5.  アメリカ合衆国への批判
  6.  ロシア(ソ連邦)への批判
  7.  英国への批判
  8.  朝鮮人への批判
  9.  中国への批判
  10.  その他の連合国への批判
  11.  連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
  12.  満州における日本人取り扱いについての批判
  13.  連合国の戦前の政策に対する批判
  14.  第三次世界大戦への言及
  15.  冷戦に関する言及
  16.  戦争擁護の宣伝
  17.  神国日本の宣伝
  18.  軍国主義の宣伝
  19.  ナショナリズムの宣伝
  20.  大東亜共栄圏の宣伝
  21.  その他の宣伝
  22.  戦争犯罪人の正当化および擁護
  23.  占領軍兵士と日本女性との交渉
  24.  闇市の状況
  25.  占領軍軍隊に対する批判
  26.  飢餓の誇張
  27.  暴力と不穏の行動の煽動
  28.  虚偽の報道
  29.  GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
  30.  解禁されていない報道の公表

これを見ても分かりますが、
アメリカはもとより、中国、韓国はいうにおよばず他国への批判、
東京裁判への批判、検閲制度への言及、戦争犯罪人の正当化および擁護、
占領軍兵士と日本女性との交渉、連合国の戦前の政策に対する批判等すべて封じられたのです。

CCDの通信部門は、郵便物の開封、電信電話の傍受を行い、開封した数は4年間で2億通。
プレスコードに抵触する文書は翻訳し、米軍に提出。
それをもとに、多数の人物・組織が摘発されたそうです。

また、マスメディアも同様に、プレスコードに触れる内容は放送禁止、出版禁止、時に出版物は没収されています。

 

GHQ検閲官の中には、
後に大学教授や労働組合の幹部等社会的に高い地位についた人が沢山いたそうです。
が、その実態は闇に隠れていました。

理由の一つは、彼らには緘口令が敷かれていたからですが、GHQが撤退した後にも彼らが口を開かなかったことは、それだけでは説明できません。

自分のした仕事に後ろめたさを感じていたかも知れないが、終戦直後の日本人は生活に困窮していたのだし、多くの人は彼らを非難することはできないと考えると思う。

一方そのような人こそ、個人的感情よりも大局的見地に立てば、日本が不当に烙印を押された実際を明らかにする義務感がなかったことに、一番の残念さを感じます。

とはいえ、重い口を開いた人はいました。
一部の検閲官が2013年11月NHKクローズアップ現代で証言しています。

知られざる“同胞監視” ~GHQ・日本人検閲官たちの告白(クリックしてください)

 

このような流通情報の検閲・遮断の一方で、CCDは、「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」=「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を実行します。

当時重視したのは、日本の世論動向特に戦犯容疑者と東京裁判についての国民感情の動きでした。

昭和23年4月に出版された「25被告の表情」と、同年5月に出版された「弁護20年」を事後検閲で出版禁止にします。

前者は読売新聞記者団が編集し、東條元首相の弁護士清瀬一郎が序文とあとがきを書いたものであり、後者は土肥原賢二大将を弁護した太田金五郎弁護人の書籍だった。

著者によると、両弁護人は東京裁判に対して「正論」を吐いたので、この本を通じて、日本人が戦犯や弁護士の主張に同感するのをGHQが恐れたといっています。

また、広島・長崎の原爆投下のマスコミ報道にも神経をとがらせていました。

さて、WGIPの主要任務は日本軍国主義悪者論の定着です。

まず、GHQは日本人には特別の意味を持つ「大東亜戦争」という言葉を禁じ、
アメリカが使ってきた「太平洋戦争」の使用を強要、
その上で、「軍国主義」が「国民」と対立する概念であることを押し付けます。

昭和21年初頭から同年6月にかけてあらゆる日刊紙に、「太平洋戦争史」と題する連載を掲載させ、日本軍国主義がいかに酷く、連合軍が正しかったかを報道します。

同時にマニラにおける山下裁判、横浜法廷で裁かれているB・C級戦犯容疑者リストの発表と関連して、戦時中の残虐行為を強調した日本の新聞向けの「インフォメーション・プログラム」実施された。

この「プログラム」が、以後正確に戦犯容疑者の逮捕や、戦犯裁判の節目節目に時期を合わせて展開されていったという事実は、軽々にに看過することができない。
つまりそれは、日本の敗北を、「一時的かつ一過性のものとしか受け取っていない」大方の国民感情に対する、執拗な挑戦であった。(中略)
この時期になっても、依然として日本人の心に、占領者ののぞむようなかたちで「ウオー・ギルト」が定着していなかったことを示す有力な証拠といわなければならない。

 

GHQの指示そのものが極秘にされていたので、一般日本人は、GHQがマスメディアを裏でコントロールしていたことを知らず、日本は軍国主義の悪い国、アメリカは民主主義の素晴らしい国という、マスメディアの発信する構図に何の疑いもなく、馴らされていきます。

更に悪いことにそして悲しいことに、マスメディアや出版社は、GHQから解放された後にも、この条件反射は続き、自主規制を続けます。

これこそが日本人の精神構造に深刻な影響を与えたと筆者は指摘します。

 

WGIPについては、最近小冊子が出版されています。
関野通夫「日本人を狂わせた洗脳工作」 自由社 2015年

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