春になって、その年の4月には大雪が降りましたが、
アパートを借りて日本から家族を呼び寄せることにしました。
息子たちは4歳と2歳前で、丁度今の孫達と同じ年頃でした。
ピッツバーグまでの適当な便がなかったので、
妻は幼い息子二人を連れてロス経由でシカゴにやってきました。
私はピッツバーグから飛行機で迎えに行き、
シカゴ空港からレンタカーで確かミシガン湖に近いホテルまで移動しましたが、
これまでピッツバーグの郊外でどうにか練習していた若葉マークにとっては、
シカゴの高速道路はとんでもない世界で、完全にパニクッていました。
妻にナビゲートさせ、
「右はどうか」
「後ろはどうか」
と緊張しっぱなしだったと覚えています。
渡米の目的は、受け入れてもらったカーネギー・メロン大学の研究室で一生懸命勉強し、
同時に少しでも研究室の役に立ちたいと意気込んでいたのですが、
肝心なところでは立ち入り禁止です。
それくらいなら大して得るところもなく、
日本の研究所でやっているのと同じなので、
ドライブであちこち行ったり、旅行をしました。
後で教授から、
「当時軍の仕事をしていたので、仕事の中に入れることはできなかった」
のような手紙がきました。
教授は3DーCADの研究をしていましたので、
湾岸戦争で夜間空爆のTVをみたとき、
「このシステムに関与していたのかも知れない」と推測しています。
アメリカでは大きな旅行を3度しました。
一度はピッツバーグからワシントンまで、
二度目は同じくピッツバーグからカナダのモントリオールまで、
三度めは帰国途中のサンフランシスコ、ロサンデルス、ハワイのスピード旅行でした。
旅行はいずれもドライブ旅行でしたが、
アメリカの美しく広大な自然と土木技術の素晴らしさに驚嘆しました。
志に反して時間を持て余し、ドライブ旅行を楽しみましたが、
考えてみれば、凡庸な青年であった私が、
一念発起して、「勉強しよう」と覚悟をきめてから、
およそ15年学び研究することだけにベストをつくしてきましたので、
このアメリカ滞在は神様がくれたご褒美だったと思っています。
一生に残る思い出となりました。