江藤淳「閉ざされた言語空間」

私はGHQについて、断片的には聞いていたが、殆ど何も知らなかった。
表記の本を読んで、「やはりそうなのか」と気分が落ち込みます。

江藤淳は昭和54年(1979年)米国ウィルソン研究所に席を置き、米国に保存されている公文書等から、GHQが日本に科した言論統制について情報収集し、1982年以降雑誌に発表、更にこれを文庫文としてまとめ、1989年「閉ざされた言語空間」(文芸春秋)として出版しています。

いったいGHQは何だったのかを世に問うたのは、江藤が最初だったのではないでしょうか。今はGHQ検証本が沢山でていますが、著者の仕事は金字塔に位置付けられると思います。

彼は、極力一次資料に従って冷静に論を進めていますが、行間には悔しさや憤りが感じられます。

今中国では強権をもって言論統制敷き、中国共産党を脅かす言論人は、拘束あるいは投獄しています。戦前の日本もそのようなものだったのだろうかとぼんやり理解しています。

それに比べて、BHQがしたことを普通の人は殆ど知りません

戦争終結前の1944年11月、米国の統合参謀本部の命令で、GHQはCCD(民間検閲局)を組織し、日本が降伏後ただちに、日本の言論統制に乗り出します。

最初に著者は 「これはポツダム宣言違反だ」といいます。

ポツダム宣言によれば、日本は征服による敗北ではなく、合意による敗北であり、日本軍は無条件降伏したが、日本が無条件降伏したわけではない。従って言論統制を受けるものではない、と日本も実はマッカーサーも当初は理解していたといいいます。

日本の報道機関もそのつもりで最初はかなりい自由に報道していたが、これではGHQにとって都合が悪いことが分かり、GHQは高圧的に統制を強めます。

昭和20年9月15日付けの朝日新聞で鳩山一郎は次のような記事を書きました。
「米軍が原爆を落とし、一般市民を殺し毒ガスを使用したことは否定できないのだから、米国にもしっかりと認識してもらおう」というような内容でした。

また、17日の記事は米軍の婦女暴行を非難するものだったのです。著者は、これは石橋湛山が書いたと推測しています。

これに対して、CCDは朝日新聞を48時間の発行停止処分にします。

更に、ニッポン・タイムスも検閲を規定通り受けなかったという理由で、同じく48時間の発行停止を受けます。

これを境にGHQによる言論統制は熾烈になっていき、日本の言論は完全に封じられていきます。

しかも、GHQのやり方は、表立った言論統制ではない分、知らないうちに日本人の精神構造を根底から変えてしまったといえます。一口でいえば、GHQの行ったことは巧妙で大規模な日本人の洗脳です。

著者はいいます。

「国内の大逆罪裁判にかかわる言論統制と、極東国際軍事裁判の是非に関する検閲、(中略)
前者が防衛的であり、既存秩序と体制の維持を意図していたのに対して、後者の意図は明らかに攻撃的かつ破壊的のものだった(以下略)」

また、これは明らかに、米軍が作成し1946年に発布した日本国憲法21条に違反するといいます。

憲法
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

アメリカこそ民主的なのだと言いながら、まさかその裏で徹底的な言論統制をしていたとを、日本人には思いもよらないことでした。

CCDによる洗脳はどのように実行されたか。

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