柳成龍「懲ヒ録」3

もう一つ言いたいことがあります。

今般の安保法案に反対する人たちに対してです。

「集団的自衛権の行使は戦争に巻きこまれる危険性が増す」。
「日本は戦争をしてはいけない」。

それならどうやって自国を守るのか。

「スイスのようにすべて自力で国を守る」というのであれば、それはそれで分かります。しかし「スイスのように」とは軍事費を今の数倍にし、徴兵制を導入するということです。そこまでの覚悟をして、「スイスのように」といっているのなら議論できます。

しかし、「それも嫌」ならいったい何を考えているのか。

 

李朝は武を軽蔑し、どうでもいい儒教の論争に明け暮れていた。それは実学とは縁遠い、いわば神学論争です。

どちらが儒教の教えに沿っているかの議論、内実をいえば権力闘争の道具、何の役にも立たない机上の空論です。

それは「今の日本人の安保反対と同じだ」としか思えない。

現状では、自国を守るには自国が強くなるだけでなく、いざとなれば助けてくれる国がどれだけ多くあるかが重要です。

そのためには、お互いの信頼関係が必要です。「困ったら助けてね。君が困ったときには助けるから」という間柄でなければ、どうして他国が日本を助けるのか。

しかも今日本で議論し、しかも反対されているのは「君が困った時、しかもそれが日本に害になる場合だけ助けるよ」、という日本の勝手な言い分であり、「それでもいいよ」といってくれる国が存在する方が不思議です。「不思議」がいけなければ、特殊なケースです。この特殊がいつまでも続くと考えてはいけない。

「もちろん立場の違いや条件があるが、君が困った時には助けるから、僕が困った時には助けてね」ということ以外の協力関係はあり得ない。

安保反対を唱える人に、本当に聞きたい。

自国をどうやって守るのか。

 

[文禄・慶長の役]当時、明は他にも紛争を抱えていたので、日本と戦争したくなかった。「この戦争が明まで拡大しなければよし」と考えたのでしょう。日本が明に攻めてくれば明は本気を出すが、日本が朝鮮と戦っている間は、看過したかったのです。

朝鮮は戦争続行を主張したが、明はそれを無視して、一時講和交渉を始めたのです。

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