アメリカの思い出 運転免許

アメリカに勉強にいって、もう35年にもなります。
当時、日本はまだ発展途上で、為替レートは170円程度でした。

当時私は東京で働いていましたので、
公共交通が発達していて、
特に自動車免許が欲しいと思ったことはなかったのですが、
「せっかくアメリカに行くのなら免許をとったら」
と同僚に勧められて、
アメリカに行ったら免許を取ることにしました。

自動車免許は州で管理していますので、州によって取得の難易度が違うようです。
私が行ったのは、ペンシルバニアのピッツバーグです。
ペンシルバニアは免許は難しい方だということです。

免許を取る前に車を買いました。
買うとなれば一刻も早くマイカーがほしかったのだと思います。

アメリカでは個人で小さな新聞広告を出します。
マーキュリー・マーキーという7年落ちの車を確か1300ドル程度で買いました。
当時のアメ車はとても大きくて、
特にこの車はフルサイズと言われるもので、
横幅が約2メートル、長さが6・7メートル、
排気量は600CC程度だったと思います。

当時はまだ安ホテルに宿泊していましたので、
この大きな車をホテルの駐車場に置いて、
「早く乗りたいな」と毎日眺めていました。

自動車を買っておいて、免許を取るべく行動を始めました。
警察にいって小冊子をもらいます。
巻末に50問程度の問題が載っています。
たとえば、「時速何マイルで走っていてブレーキをかけると、停止までに何ヤード進むか」
のような実用的な問題です。

この問題集を勉強して、試験場に行きます。
口答試験があって、試験官が3つの問題をだします。
それに合格すると仮免許を呉れます。

この仮免許を持っていれば、
自分の車でも誰の車でも、隣に免許保持者が座れば、街中を自由に走ることができます。

私はアメリカに知り合いがいませんでしたので、
Driveing Schoolに行くことにしました。
といってもそこに練習場があるわけでなく、
Driveing Schoolが迎えにきた車にのって、街中をぐるぐるまわるだけです。

車の練習で走りやすい場所をまわります。
ピッツバーグは古い町で、高級住宅地も走りやすいので恰好の練習場です。
車窓からみる住宅は巨大な屋敷でお城のようです。
巨木に囲まれた、石造りの建物はいったい何部屋あるのか想像もできません。
「アメリカのお金持ちは桁違いなのだな」と感心しました。

Driveing Schoolでは何も教えてくれません。
運転の初心者はコーナーを回るのに、
どこでハンドルを切ればいいのかタイミングが分かりません。

隣に座った教官に、「ハンドルをどこで切ればいいか」を聞きますと、
「やってみろ」といいます。
わたしがともかく街角でハンドルを切って見せますと、
「それでいいのだ」というだけで、それ以上なにも教えてくれません。

そうこうしているうちに、
教官が「免許をとりにいってみろ」といいます。

街外れの試験場に行くと、試験官が横に座って、
「回ってみろ」といいます。

私は何も教わっていないままに、ただただ運転を失敗しないように、
集中しています。
すると、試験官が「あそこにストップの看板があったろう」というようなことで、
落とされました。
それはそうだと思いましたが、車の免許を取りに行ったことがない人間にしてみれば、
そのようなことが採点のポイントだとは知りませんでした。
Driveing Schoolで「試験のポイントくらい教えてくれよ」と釈然としない気持ちでした。

合格すると、仮免にスタンプで合格印を押してくれます。
即、街中で運転することができます。

考えてみれば視力検査等もなく(あったかも知れませんが、記憶にないくらい簡単だったかも)、
免許費用も2,3千円だったと思います。
アメリカらしく到ってシンプルでした。

ところで大きな車を初心者が乗りこなすのは大変でした。
左ハンドルで車の右端がどの位置にあるのか、
信号待ちでは長い鼻先がどこにあるのか、
広い無人の駐車場を見つけては、何度も何度も車から降りて確認したものです。

一人暮らしで時間を持て余した時は、練習を兼ねてよくピッツバーグの郊外をドライブしました。
アメリカの道はどこも歩道があって、日本とは比べ物にならないほど走りやすいです。

高速道路も整備されていて、しかも高速代もとても安いので、
車窓からでしたが、アメリカの風景を楽しみました。

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