韓国論 2

その後、韓国について、数冊の本を読みました。

その一冊が呉善花著「韓国併合への道 完全版」です。呉善花女史は韓国生まれで、今は日本に帰化しています。

この本では、題名が示す通り、日本による韓国併合に至る韓国の内政について詳しく解説し、
日韓併合を総括しています。

日本に少しひいき目かもしれません。
しかし、それよりも「なぜ韓国がそういう状態になったのか」を反省せず、いつまでも「反日」を叫びつづけている韓国人への絶望感が伝わってきます。

それと、日本に帰化したとはいえ、現在韓国では、「親日」=「売国奴」とされ、法律をもって弾圧される立場にありながら、これほどまでに韓国批判をする精神的なタフさに、敬意を表します。

私からみれば、彼女は売国奴どころではありません。若いころ志願して4年間軍隊生活を送っているのだし、れっきとした愛国者だと思います。

 

さて、この本では李朝末期の政治状況から解きほぐします。

李朝朝鮮は1392年建国されましたが、建国のはじめから中国の子分としての立場を続け、あらゆることを中国風にしました。

すなわち、身分制度が厳格で、完全な王政・中央集権国家でした。王族がその権力を維持するためにとった方策は、家臣が横につながることを極端に警戒し、家臣も平民もすべて王の直結になるようにしていました。

そのためあらゆる層の人々が協力して、なにかを成し遂げるという気風がなく、お互いに足の引っ張りあいを続け、軍事力は低下し、不正・腐敗がはびこり、下層の農民は搾取され疲弊していました。

日本が明治維新を成し遂げたころ、弱小朝鮮に多くの西欧列強が禿鷹のように群がっていました。

ロシア・イギリス・アメリカ・フランス等です。

これらの国は朝鮮になにかと口実をつけ、軍艦を持って朝鮮を威嚇、権益を要求していました。

このような状況の中で、日本に見習って開国しようという動きもありましたが、ことごとく失敗に終わり、その都度中国の庇護をもとめたり、日清戦争で清が日本に敗退すると、ロシアに傾いたりしました。

日清戦争後一時、日本もロシアも朝鮮から距離をおきますが、清で義和団の乱が起こると、各国は軍隊を派遣し、鎮圧します。義和団の乱の平定をもって、各国は軍隊の撤収を約束しましたが、ロシアは満州に軍隊をとどめ、これをきっかけに日本はロシアと衝突することになります。
日露戦争で日本が勝利し、ポーツマス条約で、日本は朝鮮の地における様々な権益をロシアから獲得します。

当初韓国内にも日本・韓国の対等併合の動きもありましたが、結局日本は、小規模な衝突や、暴動、反日抵抗運動の鎮圧を経て、1910年韓国を併合することになります。

日韓併合では、日本は韓国を日本の一部にしようとしていましたので、たくさんの投資をし、韓国の近代化を推し進めた。このことは前回のブログでも書きました。

この本では、次のことを指摘しています。

韓国は、日本が併合し、日本の敗戦でやっと真の独立国家になったのだが、1900年初頭、政治腐敗していた朝鮮・韓国がどこかの国の植民地になったり併合を受されずに、自力で独立できたとは考えられない。

韓国に進駐してきたのはたまたま日本だったが、もしそれが西欧列強であったと仮定したら、もっと悲惨な状態ではなかったか。なぜなら、西欧の植民地経営は、その地を近代化せず、もっぱら、原料の収奪に働いていた。

さらに、第二次大戦で日本は敗れたが、韓国は日本の一部と考えられたので、日本からの「賠償」はなかった。

しかし、日本はかつて韓国で建設した日本のすべての資産を放棄し、さらに韓国にODAで多額の援助をしている。たとえば1965年、当時の韓国の国家予算が3億5千万ドルであったのに対して、ODAの供与は有償・無償を合わせて8億ドルを超えていた。

韓国政府はこれらの事実を公表せず、いつまでも賠償を要求している。

最近の「反日」は、金大中、盧泰愚、李明博大統領が内政・外交に手詰まり、国民の目をそらすために、打ち出したキャンペーンである。

 

彼女の痛烈は韓国批判は、韓国に対する悲痛な叫びに聞こえます。「なぜ、過去の歴史をいつまでも他人のせいにして、自分の欠点を反省し前進しないのだ」と。
日本に対して少し甘いかもしれないが、「甘いとかなんとかいうより、自分達がだらしないのだ。韓国人目を覚ませ」という気持ちを強く受けます。

私は大筋彼女は正しいと思います。

今の韓国の権力者のやり口は、結局李朝・朝鮮の権力者のやり口と同じではないか。国の将来を見つめた大きなビジョンではなくて、追いつめらて結局、保身に走り、自分を守る方策として「反日」を叫ぶのを当然と思う人たち。このような人たちとまともな議論ができるのだろうかと、暗澹たる気持ちになります。

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