試論・私論[日本人論]

10月始め、OECDから「国際成人力調査」の結果が発表されました。

世界24カ国の成人の、「読解力」、「数的思考力」、「ITを活用した問題解決能力」の3項目についての調査です。

「ITを活用した問題解決能力」では10位でしたが、その他は1位、総合1位、「ITを活用した問題解決能力」についても、視点を変えれば1位という結果です。

内容的には、日本人は中間層が分厚いが、突出した人が多くないと読み取れます。今後日本は「上の上」の人を育成しなければいけないということでしょう。

 

私はこのところ江戸や明治の日本を書いた本を数冊読みました。

読みながら、昔の日本人の能力の高さに敬服しました。

高田屋嘉兵衛やシーボルトから多くを学ぼうとした人たち、明治維新を成し遂げた人たち、朝鮮に対応し、日清・日露戦争を戦った人たち。

なんとキラ星のような沢山の人たちがいたことでしょうか。

国際政治の中で、日本人のすべての行動が正しかったかどうか、議論のあるところですが、人として優秀であったり、立派であったりは間違いのないことです。

 

このような人々を生み出した日本という国は、どうして出来上がったのか。

以下は、独善と偏見に満ちた私論・日本人論です。

 

まず、日本人の性格や行動規範を決定付けているのは、日本の自然だと思います。「自然」から国民性を論じた文献では、和辻哲郎の「風土」が有名です。

和辻は日本の風土を特徴づけているのは、モンスーン的気候と台風だといっています。私は頻繁に発生する地震と恐ろしい津波を加えるべきだと思います。

日本は自然災害の多い国ですが、同時に美しい自然に恵まれた国でもあります。これもまた重要です。

自然が厳しいだけでも、逆に美しいだけでも、だめです。厳しいけれど美しい自然の中で、日本人は自然を恐れると同時に、自然を愛してきました。

自然の恐ろしさは、人間のおごりに対する戒めと受け止められ、それはそのまま自然のあらゆる事柄への畏敬になります。山にも海にも川にも、いたるところに神を見ます。日本には八百万の神がいます。

そして、自然と人間の接点に天皇があります。天皇は人でありながら、神の体現者とされてきました。

日本人は神や自然を敬ってきたように天皇を敬い、天皇に決定的にあがらうことをしませんでした。

しかし天皇は日本の歴史の中で、絶対君主になることもありませんでした。平安の時代から実権を持たない、象徴的な存在です。

国の為政者が変わろうと、常に絶対的に国の象徴として尊崇され、人々は天皇を超えようとはしませんでした。日本には天皇を超える人物も、従って絶対君主を目指す価値観もありませんでした。

足利尊氏が時の天皇を放逐したとして、武家の時代にも逆賊とされています。

中国や西欧には、絶対君主制の時代がありました。絶対君主にとっては国や民は自分の所有物でした。

江戸時代は封建制です。これは絶対君主制とは大きく異なります。

会社でいえば、封建制とは事業部制です。徳川社長も絶対的権力をもっているのではなく、常に緊張して国の経営に当たらなければいけません。

勝手気ままな行動は許されません。オーナー社長=絶対君主ではないのです。

そして現に、江戸末期には各事業部は天皇を擁立して、社長を解任したのです。

 

私はこのような日本の風土、政治や社会の仕組みが、日本人の精神の発達に大きく寄与したのだと思います。

将軍も武士も百姓も職人も商人も、それぞれの立場で切磋琢磨することが、自分の生存にかかわる問題だったと思います。

この緊張関係が日本人を成長させたのだと思います。訳の分からない学問ではないく、実学が重んじられましたし、様々な人々の努力や成果を正しく評価しました。美術であったり工芸であったり、武術であったり。

この辺りが、朝鮮とは大きく異なります。

李氏朝鮮では、中国の文明のみを尊重し、何の役にも立たない漢詩や中国の歴史や儒教の勉強の競争をして、工芸も芸術も武術さえも卑しいことだとしたため、500年にも亘って社会の発展が完全に停滞したのです。

 

ここまでは、日本のいいところが日本人の生活を発展してきました。

しかし、現代社会は非常な速度で発展しています。後進国とみなされていた中国や東南アジアの国々は、今は世界経済の中心になろうとしています。日本がこれまで通りで言い訳がありません。

富が最も重要といわないにしろ、経済的にも安定した独自の文化をもった国を構築しなければなりません。

それはこれまで以上に難しいことであり、私たちは更に一層努力しなければいけません。西洋追従ではなく、正しく日本を評価し、また世界の中での立ち位置を確認して、世界から尊敬される国になっていかなければいけません。

error: コピーできません !!