歴史から学ぶこと 2

先月[歴史から学ぶこと]と題するブログで、
日本の現代史を、世界全体を俯瞰して考察しなければいけないと書きました。

ところでもう一つの問題。
日本が他国との関係で国際的に問題になったとき、
日本はどのような態度をとるべきかという点です。

最悪なのは、「誰々がこういっている」といういい方です。
TVのコメンテータが「アメリカは日本に『失望している』といっている」とか、
フランスがどうのとか中国がどうのとか韓国どうのとかいういい方は最悪です。
「お前さんの考えはどうなんだよ」。
「それでコメンテーターなのかよ」と言いたくなります。

田嶋とかいう馬鹿女に至っては「ヨーロッパはみんな日本のことを笑っていますよ」、
とかいうと怒りがこみ上げてきて、「テレビにでてくるな」と心の中で叫びます。

例えば、先の戦争で日本軍は残忍だったと広く言われていますが、
そもそも戦争は常に残忍だし、日本が特に残忍だったのではありません。
西欧の日本に対する人種的偏見は強烈だったし、
先の戦争では、アメリカは日本人捕虜をとらないことが一般だったのです。
すなわち日本人を捕虜にしないで、殺すという方針をとっていたと、
リンドバーグは日記の中で書いていますし、
戦争末期には、多くの西欧人は本気で日本人を絶滅すべきと論じたのです。

戦争ですから、西欧だけが非道かったのではなく日本も非道かったのでしょうが、
戦後になっても、日本人=残虐という構図は戦勝国が都合よく作り上げたステレオタイプです。

これにのっかり、いまでも韓国や中国、時には西欧の世論は日本は残酷な国だと決めつけ、
その脈絡の中で慰安婦問題や南京虐殺問題の主張を正当化します。
国際的にしみついた日本人に対するイメージを私たちは再検証しなければいけません。
我々自身で日本と日本人について、公平に学び直さなければいけません。

こういう状態の中で、「アメリカが…」とか「EUが…」とか「中国が…」とか、
他国の主張を丸呑みするコメンテーターは思考停止した売国奴です。

もう一つ、外国のいうことは「放っておけばいいよ」というのがあります。

韓国の朴大統領か世界中て機会あるごとに日本を非難して歩きます。
日本では「告げ口外交」と揶揄していますが、これを放っておくのはいけません。
黙っていることは、それを認めたことになり、
現にネットをみていると「韓国のいうことはもっともだ」という西洋人もいます。
はっきりと反論しなければいけません。
黙っているのは絶対にいけません。

 

首相が靖国神社に参拝すると、韓国、中国は反発します。
政治家が微妙な問題にうかつに発言するのは禁物です。
政治家の行動、特に首相の行動は監視されていますので、
揚げ足を取られないように、最大の注意を払いできる限り当たり障りのないようにしなければいけません。

その代りに、国民はもっと国際政治に関心をもって、
自分の考えたことを発信しなければいけません。
国民の声に押されてやむを得ず、政治家が発言し行動するという形が望ましいのです。

ヘイト・スピーチが時々マスコミに取り上げられます。

私は実際にヘイト・スピーチに遭遇したことはありませんが、
人種差別のような下品な発言はいけません。

いうべきことを論理的に冷静に、国際社会に発信することが重要だと思います。

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