シーボルト事件

前回に続いて、秦新二著「文政11年のスパイ合戦」(以下「スパイ合戦」)に従って話を進めます。

 

若いシーボルトは日本に着くと直ちに、オランダ・ウィレム1世に命じられた任務を精力的に遂行していきます。彼の任務とは、博物学的調査、日蘭貿易戦略調査、軍事・戦略調査です。

彼にとってなによりも幸運だったのは、当時の長崎奉行が高橋越前守重賢だったことです。

越前守はそのとき既に69歳でしたが、元はといえば北方防備のスペシャリストで、彼の部下あるいは影響下にはシーボルト事件の重要人物、最上徳内、間宮林蔵、高橋作左衛門がいました。

徳内と林蔵はかつては、越前守の部下として北方警備に従事していたのです。

間宮林蔵は言わずと知れた探検家で間宮海峡の発見者ですし、最上徳内はその上司でした。徳内72歳、林蔵51歳で、徳内はすでに隠居していましたが、実は彼らは隠密筋だったのです。

もう一人の重要人物・高橋作左衛門は、天文方兼御書物奉行で幕府の文書管理の責任者でした。作左衛門は父の家督を継いでこの要職を得ていましたが、出世欲、名誉欲が強い人物だったといわれ、たたき上げの徳内、林蔵とは不仲でした。

さて「スパイ合戦」によると、江戸に着いたシーボルトは、あらかじめ連絡をとっていた御典医の他に、長崎奉行に紹介された、最上徳内、間宮林蔵、高橋作左衛門に会っています。ただし、シーボルトの「江戸参府紀行」(以下「紀行」といいます)では、徳内の名前は頻繁にでてきますが、林蔵の名前はでてきませんし、作左衛門はグロピウスとして出てきます。

秦新二は、「シーボルトは『紀行』の中で、本当に重要なことを書いていない」、「作為的に隠ぺいしている」といっています。

国防や天文方の役人がどうして、オランダ人と会うのか不思議に思いましたが、当時外国人の対応は天文方の役割と決まっていたようです。

日本側の3人はシーボルトからロシアの動向や他のヨーロッパの情勢を知りたかったし、特に作左衛門は自身の栄達のため、シーボルトが持っていたロシア海軍提督・探検家のクルーゼンシュテルンの「世界周航記」がどうしてもほしかったのです。一方のシーボルト=ロシアの南下に神経を使っていたオランダ=は、北方の蝦夷地や日本の詳細な地図がほしかったのです。

 

ともかくシーボルトはこの旅行で直接手渡されたり、長崎に帰ってから送ってもらったりたくさんの収穫をします。特に作左衛門とは頻繁に手紙のやり取りをして、しつこく自分がほしいものを要求しています。

その中には、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」や、江戸城の見取り図やたくさんの重要書類がありました。(間宮林蔵の樺太の地図は、江戸参府の帰りに徳内から直接手渡されたようです)

事件の発覚は色々言われているようです。どれも本当のような、推測のような話です。

林蔵はあまり親交がなかったシーボルトから書状を貰いましたが、当時外国人との勝手な文通は禁止されていましたので、林蔵はそれを開封せず役所に届けます。

この手紙の中で、シーボルトと作左衛門との緊密な関係が露呈し、それがきっかけでシーボルトおよび作左衛門の調査が始まったという説があります。

またシーボルトのコレクションを満載したハウトマン号が出航を直前にして、台風に遭遇し座礁します。シーボルトの行動を怪しんでいた、長崎奉行はただちに遭難船の積荷を調べたところ、大量の禁制品がでてきたという説もあります(1996年の論文では、ハウトマン号にはなにもなかったといっています)。

また、作左衛門の指示で禁制の日本地図のコピーを作成させられた図工4人が、「恐れながら」と勘定方に届け出たとも言われています。

どちらにしてもシーボルトをマークしていた役人が、これらのことをきっかけに事件の真相を究明すべく動き出した。ということかと思います。

作左衛門や関連する役人・民間人が多数逮捕され、取り調べを受けます。そして驚くほどたくさんの禁制品が発覚します。

シーボルトも再三に亘って取り調べを受けますが、自分以外の人々に関することは「知らぬ存ぜんぬ」で押し通します。

結局シーボルトが国外追放になったほか、作左衛門が獄死・死罪、図面をコピーした図工の一人が自害、眼病の治療法を教えてもらった御典医がそのお礼として将軍から頂いた(帷子)衣服をシーボルトに贈り、その罪で長期の留置を課せられましたが、その他は大した罰も受けず放免されます。

シーボルト事件は一件落着です。

 

ここで私が一つ不思議に思ったのは、ケンペルが長崎奉行所には拷問の道具があって、「長崎奉行は『この道具を使えば、だれでも白状する』といっている」と書いていますが、なぜこの事件の取り調べでは、そこまで徹底して取り調べをしなかったのだろうか。ということです。

一般市民には残酷な拷問をしたけれど、武士階級には拷問しないで、尋問で終わらせていたのでしょうか。

 

ところが、著者・秦新二はこの話には裏(更にはその裏=奥)があると主張します。そしてこれこそが、彼が展開したい事件の真相です。

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