初期仏教から大乗仏教へ

釈迦の死後すぐに、弟子たちは集まって釈迦の教えの編集会議を開きました。

このとき集まった500人の高弟は、阿羅漢(あらかん 聖者)と言われ、日本の大寺院の境内に並んだ石仏「五百羅漢」が彼らのことのようです。

さて、膨大な教えは、経、律、論に分けて整理されたのですが(これを三蔵といいます)、当時文字は商用および公用でしたし、文字化することで釈迦の精神が失われると考えた弟子たちは教えを文字化せず、すべて記憶をたどり議論したということで、これまた驚きです。

経は、釈尊の教えを纏めたもの
律は、修行者の守るべき戒律
論は、経や律の注釈

この仏教徒の会議は結集(けつじゅう)といわれ、紀元前だけで、およそ100年毎に1回、計4回開かれています。

最初の結集から約100年後の2回目の結集では、議論が大きく分かれ、教団は2分されました。これを根本分裂といいます。

原因は戒律を実情に合わせて緩くしようと主張した学派と、あくまで厳しくするべきだとする学派の対立があったのです。

前者は多人数だったので大衆部(だいしゅぶ)と呼ばれ、一方の戒律の除外例を認めない厳格なグループは、少人数で長老上座が多かったので上座部と名づけられました。(上座部のことを卑下して、一時小乗仏教といったようですが、今はこの言葉は使わないということです)

この根本分裂以降も分裂が続き、約20の学派に分かれていきます。分裂以前の仏教を初期仏教、分裂後のそれを部派仏教といいます。紀元前2世紀頃、上座部から説一切有部(せついっさいうぶ)が独立し、一時勢力を伸ばします。

Wikipedaiによると、説一切有部のメインの主張は次のようなものですが、
私には、今一つよくわかりませんが…

説一切有部の基本的立場は(中略)
森羅万象を構成する恒常不滅の基本要素として70ほどの有法、法体を想定し、これらの有法は過去・未来・現在の三世にわたって変化することなく実在し続けるが、我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間である、という。
未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていくという。
このように我々は映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験しているのだと、諸行無常を説明する。

ここで、法とは、法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。

この考えは、紀元前後に興った大乗仏教で批判されるのですが、当時の議論の中心は神秘的な宗教というより、むしろ西洋哲学の形而上学(存在論や観念論)そのもののように私には思えます。

 

さて、大乗仏教の話に移りましょう。
上座部仏教が修行者の修行・悟りを重視するのに対して、大乗仏教は、凡人を救う方向に向かいます。その起源はよくわからないようですが、紀元前後に、部派仏教・大衆部から大乗仏教の考え方がでてきたといわれています。

仏教では、修行者がブッダになるためには、誓願・授記という必須の儀式を経験しなければいけません。修行者はブッダに会って「私もあなたのようになるよう努力します」と誓い(誓願)をたて、ブッダが逆に「お前は将来必ず、ブッダになるだろう。がんばりなさい」という保証(授記)をしてもらわなければいけないのです。

ブッダから授記を受けた修行者を菩薩といいますが、菩薩は更に修行を続け、悟りを開いたとき初めてブッダになるのです。

初期仏教では、釈迦ただ一人がこの儀式をクリアし、修行の末ブッダになったと考えました。

ところで、ブッダは何億年に一人しか出現しないと考えていたのですから、「それなら釈迦自身、いつブッダに会って授記を受けたの?」という疑問が起こります。

彼らが用意した答えは次のようなものです。

「実は釈迦も過去に長い長い輪廻の世界を過ごし、昔々のある時ブッダに会って、そのブッダから「お前はブッダになれる」と授記され菩薩になった。菩薩になってからも、また長い間修行しこの世に生まれて、やっとブッダになったのだ、この世での生活はほんの氷山の一角だったのだ」というのです。

「なるほど!」
「それは分かった。
でも、私達が仏教に帰依しても、何億年に一人しか現れないブッダに何時会うことができるの?」という悲観的な考えが出てきます。

ここで大乗仏教が「発明した」理論は、釈迦の話を拡大して、「善行を続ける人は、実は前々前世に既にブッダに会っていて、そのとき『あなたのようなブッダになるよう努力します』と誓いをたて、ブッダは『がんばれよ』と授記してくれているのだ」というものです。

この大発明で、凡人も救われる論理武装ができました。

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