元木泰雄「保元・平治の乱」

中世の武士の実態を知りたいと、二冊の歴史本、入間田宣夫「武者の世に」と下向井龍彦「武士の成長と院政」を読みました。

しかし、この二つの本は微妙に違います。

日本史の見方は年々違ってきているらしいので、できるだけ新しい本を読んでみたいと思い、更に、元木泰雄「保元・平治の乱」(角川学芸出版 2012年)を読みました。

この本は文庫本でページ数も多くないのですが、保元・平治の乱に焦点を絞っていますので、事件の顛末については、非常に詳しく書いています。

鳥羽が、嫡男崇徳を忌み嫌ったことで、不幸が始まります。
鳥羽は、崇徳ではなく、美福門院が生んだ次男近衛を天皇にし、近衛が若くて逝去すると、さらに崇徳と同じ母が生んだ弟の後鳥羽を、天皇に立てます。

鳥羽、鳥羽亡きあとはその近臣から苛め抜かれた崇徳は、古文に全く素養のない私でさえ知っている和歌、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われてもすえはあはんとぞ思ふ」の作者で、当時、巷では教養人として人望が篤かったと知りました。

筆者は、保元平治の乱の本質は、院政政治が内包する危険性が噴出したものだといいます。

院政は、現天皇が幼少の嫡男(長男)に天皇位を譲り、自分は上皇になって実質的絶対的権力を握る、そして上皇が死去すると、現天皇が退位しその嫡男に天皇を譲るという形で、直系天皇の態勢を維持していくという方程式ですが、鳥羽が嫡男崇徳にその役割を譲渡せず、更に次の天皇が逝去することでこの方程式が崩壊し、摂関家が調整役の機能を失ったとき、これに武士が介入し、収拾のつかない武力闘争になったと著者はいいます。

保元の乱は、王家・摂関家・武士の三つの勢力が、それぞれ二手に分かれて、骨肉の戦いをした、しかも武士の仁義で戦ったことにより、王家および摂関家の力が決定的に衰亡します。
なぜなら、王家も摂関家も武士も、この戦いで敗れた側は、殺害されたり配流されたり、半数が抹殺されたのです。

更にそれに続く平治の乱では、源氏が中央歴史から抹殺されます。

 

これらの本を読んで思うことは、歴史の見方は一通りではないということです。

考えてみると、目の前の事件でも立場によってその見方が違うのだから、千年も前の話は、議論があって当然かと思います。

入間田宣夫は、安倍・清原は京都から下向した人たちだといっているし、下向井龍彦は、いや蝦夷(えみし)の一族だといっています。

また、下向井は、「源氏は平忠常の乱、前九年の役、後三年の役の平定で中心的な役割を果たしが、朝廷(白河)からは警戒されて、義親、為朝、義朝の三代にわたって冷遇された」といっていますが、元木は、結果としてはその通りだが、それほど単純な話ではないようにいっています。

日本の歴史は誰がオーソライズしたのでしょうか。その信憑性はどの程度なのでしょうか。

古代史は、「日本書紀」とか「続日本書紀」とかをベースにしているのでしょう。

中世では、例えば保元平治の乱については、「兵範記」、「愚管抄」、「平治物語」、「平家物語」等結構沢山あるようですが、それが即信頼できるかと言えば、話はまた違います。

国史は当然為政者の都合のいいように書いているでしょうし、個人の日記も立場によって、悪意はないにしても、偏った話になっているでしょう。また、物語はあることないことが書かれているでしょう。

ですから、これらの史料を100%信じることはできないと筆者も言っています。

このように考えると、私たちが学んできた歴史をどの程度信頼したらいいのか分かりませんが、逆に本当の歴史の面白さは、それを解き明かす作業にあるのかもしれません。

私はそこまでの興味はありませんが、もう少し納得いくイメージを描ければと思います。

今、吉川英治の「新・平家物語」を読んでいます。
歴史を手っ取り早く勉強するには、まず歴史小説を読んで、その後で歴史書で整理するのが一番効率がいいかなと思います。(今回は逆になっています)

ただし、「新・平家物語」は文庫本では16冊あります。
歴史を勉強するというには長すぎます。

それとこれは平家物語原本から大分違うようだから、「平家物語」を読んだという気分にならないのが残念です。

 

どうして中世の武士に興味を持ったのか。自問しました。

結局日本人とは何か。自分なりに再検討したいと思います。
自分の固定観念をすべて取り払って、武の原点はどうだったのか、日本人はどのように成長してきたのか、考えてみたいと思います。

武と天皇、仏教や神道や儒教。

これらが縦糸になり横糸になり、日本人の精神構造を作り上げたと仮説をたて、暫く勉強したいと思います。

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