歴史から学ぶこと

2月に加瀬英明他[なぜアメリカは、対日戦争をしかけたのか]の読書感想文を書きました。
私は現代史の勉強中ですから、
まだ加瀬英明の話を100%信じることは保留しますが、
多くの面で正しいのではないかと思います。

ところで、現代史を何のために勉強するのか。
知識としてあるいは教養として勉強するという態度もあるでしょうが、
重要なのは、歴史からなにかを学び、
将来の行動指針にどう生かすかです。

現代史は、自国だけでなく他国あるいは国際社会と大きく関与します。
ここで二つの重要な注意点があります。
一つは日本の歴史を自国だけでなく、
国際社会のパワーバランスの視点から考察しなければいけないことと、
二つ目は、学んだことを国際社会に対してどのように発信していくかということです。

そしてこの二番目の問題は、特に日本人にとっては苦手で難しい問題ですが、
手探りで勉強する必要があります。

 

日本人は頻発に「すいません」といいます。
昔「どうもすいません」を連発する人気芸人がいたくらい、
日本人は「すいません」をちょっとした挨拶代わりに使いまし、
考えてみれば、日本人は「すいません」と言葉に出していうだけでなく、
実際、問題が発生すると、まず「自分が悪かったのではないだろうか」と自問する民族です。

少しの経験ですが、中国人やアメリカ人と接したことがありますが、
彼らは簡単に謝罪しません。
日本人の「すみません」は、国際社会でのそれとは重みがかなり違います。

以前、半藤一利の[昭和史]を読みました。
ざっと読んだので細かいことは忘れましたが、
印象では日本の軍部や、天皇を取り巻く重鎮の愚劣さを色々話していたと思います。

半藤の歴史もそれを小説として読むのであれば、 そえなりに面白い話ですが、
後世に語り継ぐ歴史書としては問題です。

彼は日本の中の出来事を批判的に書いています。
基本的には日本が悪く、その反対に西欧諸外国が正しかったという論調です。
世界の力関係の中で、何が悪くて何が良くて何がしょうがなかったのか、
を考察していないと思います。

歴史の真っ只中で、何が正しいのかを判断するのはとても難しいことです。
科学や工学や学校の勉強とは違って、
歴史は多くの面で、何が正しいかアプリオリ(先見的、自明的)に決まっていません。

歴史は多くの場合「力」が正義です。
ナポレオンやジンギスカンや信長や、アメリカが正義とされてきました。

歴史家は、歴史の通説に対して「本当にそうだだろうか」という疑問を持って考察しなければいけません。
日本の歴史を世界史的視野から俯瞰して考えなければいけません。
歴史の中で、日本をとりまく世界の情勢がどうだったのか、
それとの関連で日本の行動が正しかったのか、間違いだったのか、止むを得なかったのか、
という視点です。

それなくして、日本をただただ批判的に見るのは、いわゆる自虐史観といわれるものです。
これでは私達は歴史から学ぶことはできません。

先の大戦に至るまでの、アメリカ、イギリス、ロシアの考えや動き、
中国や朝鮮の動向を同じく批判的に分析し、
それを背景に日本の動向を批判的に論じなければいけません。

その意味で、
自虐史観や戦勝国史観に批判的な書籍も積極的に勉強しなければいけません。
これらは、右よりといわれるものでしょう。
既に沢山の本を購入しました。
全部読むには1年くらい必要かも知れません。

バランスが大切ですので、左よりの本も読みたいと思います。
作業は大分時間が必要です。

ぼちぼち始めたいと思います。

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